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2016年7月20日 (水)

忘れ物を取りに

「4年前の忘れ物を取りに行く」

そんなフレーズを新聞紙上で見かけた。リオ五輪に向けて出発する日本選手の誰かが発した言葉。ここで言う「忘れ物」とはメダル、あるいはもっと明確に言うなら金メダルであろう。

私も先週金曜日に忘れ物を取りに出かけた。行先は大井競馬場。と言っても、私の目的は金メダルなどではない。ごく普通の傘。つまりリアルな忘れ物である。

ジャパンダートダービー当日は雨が降ったりやんだりの不安定な天候だった。それで傘を片手に競馬場に到着。しかし、業務エリアでの傘は御法度であるから、事務所の傘立てに突っ込んだ。それをすっかり忘れていたのである。

傘を忘れたことに気付いたのは、その夜帰宅してから。とはいえすぐに取りに戻るほどのものでもない。明日にしよう。そう決めて迎えた翌日は関東全域で記録的な豪雨である。電車も止まるほどの雨の中、傘を取りに出かけるというのもアホらしい。

ところが、その翌日も朝から雨は降り続いており、まったく上がる気配がない。さて、どうしたものか。たかが傘一本。ビニール傘ではないが、かといって高級ブランドというわけでもない。知らん顔を決め込むという手もある。しかし、その傘には私のネームプレートが付いていた。「今どき傘に名前?」と人は笑うかもしれないが、なんとなく気に入ってたんでしょうね。

私の名前を付けた傘が、じっと黙って大井競馬場事務棟の傘立てで私が迎えに行くのを待っている―――。

よせばいいのに、ついそんな光景を想像してしまった。仕方ない。行くか。

「忘れ物を取りに行く」というフレーズは競馬でもよく耳にする。海外遠征が当たり前になった昨今では、2年続けて同じレースに挑戦することも珍しくない。その際に、インタビュアーが「昨年の忘れ物を取りに行くという気持ちですか?」などと関係者に聞いたりする。すると相手は「そうですね」と答える。オルフェーヴルの凱旋門賞や、ジェンティルドンナのドバイシーマクラシックがそうだった。

ここで私が違和感を覚えるのは、ホントにそんな気持ちだろうか?ということだ。

実際に忘れ物をして、それを取りに行ったことのある人なら分かるだろう。忘れ物を取りに行くという行為というものは、時間と労力の純粋な無駄である。だって、忘れ物をしなければそんな必要なかったんですからね。私はこれまで幾度となく忘れ物を取りに警察や駅の忘れ物センターに出向いたことがあるけど、その道中は自己嫌悪感と虚無感のせめぎ合い。なんで忘れちゃったんだろう……。なんであのとき気づかなかったのだろう……。それはそれは後悔の連続である。

だから、人は忘れ物を取りに行く以外に何か用事を作りたがる。それなら時間の無駄にもならない。だが、その場所が競馬場だとかえって悲惨な結果を招くことも。私も「せっかく大井に来たのだから」と、その日の大井8Rに手を出した。結果、9番人気のウオッカマティーニの激走に遭い、大惨敗である。自己嫌悪感は大爆発。後悔の念をさらに募らせて、しくしく泣きながら家に帰った。忘れ物を取りに行ったところでロクなことにならない。

Vodka 

よもや、五輪の金メダルや凱旋門賞勝利を目指して今まさに旅立たんとする人物が、自己嫌悪と後悔の念で満たされているとは思えぬ。だいたいが、ロンドンでの忘れ物がリオにあるというのも変な話じゃないか。そろそろ「忘れ物」とは別のフレーズに登場いただきたい。

 

***** 2016/07/20 *****

 

 

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