« ふるさとコーナーにて | トップページ | 安田伊左衛門の理念 »

2016年5月25日 (水)

目黒競馬場の面影

所用で目黒に出向いたついでに元競馬場界隈を歩いてみた。ご存じの通り、第1回目の日本ダービー(東京優駿)が行われた由緒ある土地。いまは目黒記念にその名を残している。

Bus 

競馬場の跡地は既に宅地化されおり、その痕跡はほとんど残されていない。競馬場の余韻を現代に伝えるのは、不自然にカーブした路地と「元競馬場前」というバス停の名前だけだ。

まだ農村地帯だったこの地に、競馬場が姿を現したのは1907年のこと。コースは一周1600mの芝コースと、内馬場をクロスする障害コースがあるだけで、府中に比べるとかなり狭い。ちなみに府中とは逆回りの右回りコースだった。

Meguro 

ダービーのスタートは向こう正面の右奥、3コーナー手前にあった。スタートして150mほどで3コーナーに飛び込むコース形態からすれば内枠の有利は動かぬであろう。第1回優勝のワカタカは最内1番枠からの逃げ切り勝ちであったという。

そのワカタカの父でもあるトウルヌソルの銅像を、現在の目黒通り元競馬場バス停の近くに見ることができる。6頭の日本ダービー優勝馬を送り出したのは、サンデーサイレンスと並ぶ史上最多記録だ。

Bronze 

トウルヌソルの銅像から目黒通りを挟んだ反対側、大きな肉まんで有名な『目黒五十番』の向こうは、かつての厩舎地区。手狭なため、2キロも離れた碑文谷に外厩を作ってどうにか凌いでいたが、関東大震災直後から周辺の宅地化が進むにつれ、悪臭や騒音の苦情が出るうようになった。また、競馬開催日には、港区魚藍坂から権之助坂を経て競馬場までびっしりと車列が連なり、鉄道もマヒしてしまうなど、競馬そのものが社会問題化し始める。競馬場の移転問題は急務とされていたようだ。

府中への移転後、その跡地は戦時中の食料確保のためジャガイモ畑に転用されたこともあったという。華やかな勝負服がファンを熱狂させた競馬風景から一転、真っ白なジャガイモの花が一面に咲き誇る光景はさぞや壮観であったことだろう。

 

***** 2016/05/25 *****

 

 

|

« ふるさとコーナーにて | トップページ | 安田伊左衛門の理念 »

競馬」カテゴリの記事

コメント

私は開店当時(30年ほど前だと思います)によく立ち寄ってました。奇遇ですね(笑)

投稿: 店主 | 2016年5月28日 (土) 10時10分

そして25年前、目黒五十番でバイトをしていたのが私であった。(笑)

投稿: tsuyoshi | 2016年5月26日 (木) 14時29分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ふるさとコーナーにて | トップページ | 安田伊左衛門の理念 »