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2016年4月 6日 (水)

嗜み

最近、コーヒーを飲む量が減ってきたような気がする。

職場のコーヒーベンダーマシンがずっと不調で小銭を入れる気が失せたことに加え、競馬場に行く機会がなくなったことが主たる原因に違いない。競馬場ではレースが終わるたびにコーヒーをお代わりしていた私である。おかげでメインの頃は胃がゼーゼー言ってた。それでも飲み続けたのは、アドレナリンをじゃんじゃん分泌しなければ、神様とカネのやりとりをするなんて恐ろしい真似などできないということであろう。

コーヒーに癌の予防効果があるなどと喧伝されたことも、コーヒー離れのひとつかもしれない。タバコや酒などもそうだが、私はコーヒーは純粋な嗜好品だと考えている。嗜好品に効果などを期待するものではない。期待した瞬間、それは嗜好から志向へと変わってしまう。すなわち健康志向である。嗜好品はあくまで嗜み(たしなみ)のためだけにあって欲しい。

Coffee 

「馬券は買う方ですか?」

と尋ねられ、

「嗜む程度に」

と答えたことが何度かある。「下手ですが、少しばかり」。そんな謙遜の意味を表したつもりだった。酒を飲むかと聞かれて「嗜む程度」と返す人は少なくあるまい。関西弁なら「ぼちぼち」という便利な言葉がある。だが、これは「嗜」という文字が持つ本来の意味ではないらしい。直木賞作家であり馬主でもある浅田次郎氏が、誰か(忘れた)の言葉を引用しながらそれを説いていたと記憶する。曰く、「老いて旨しとするもの」と。

なるほど。「老いて旨し」とは含蓄がある。酒やタバコは言うに及ばず。子供の時分にはコーヒーなどただの苦い水であった。それが大人になると徐々に旨いと感じられるようになる。さらに歳を重ねることで、その味わい深さに気付いてしまった。焼き魚なんてどれも似たようなものと思っていたはずが、いつしか天然鮎のありがたみを知り、「酒なんて酔えれば何でもいい」と言ってた若造が、日本酒やワインやシングルモルトの銘柄に一喜一憂しては、それをしみじみ旨いと感じる。要するに、ただ食べたり飲んだりするだけでなく、嗜むようになったのである。

ならば、「馬券を嗜む」という使い方は結局のところ正しいような気がしてならない。下手さ加減は若い時分となんら変わりがないが、楽しみ方という点ではずいぶん上達した感がある。昔は勝負馬券がハズレると、悔しさのあまりしばらく馬券を買う気が起きなかった。それが今ではハズレてもハズれたなりに楽しい。たまの当たりはなお楽しい。「老いて楽し」なら立派な嗜みであろう。それを他人に言ったら、「老いて悔しさを忘れただけ。ボケの初期段階」と一蹴された。

なるほど。その可能性はあるな。

 

***** 2016/04/06 *****

 

 

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