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2016年4月13日 (水)

【訃報】フジヤマケンザン

UAEダービーのラニ、ドバイターフのリアルスティール。ドバイ国際レースの興奮もまだ冷めやらぬこの日、国際派の先達たるフジヤマケンザンの訃報が届いてしまった。28歳。老衰だという。引退後は種牡馬となったが目立った活躍馬を出せず、2005年からは生まれ故郷の吉田牧場で余生を過ごしていた。

今でこそ、毎年のように日本調教馬が海外の重賞レースを勝っているが、実質的にその先陣を切った一頭と言える。1995年の香港国際カップ優勝。国際GⅡ格付けのレースとはいえ、それは日本競馬界にとっては期を画する、歴史的な出来事だった。

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その日のことは昨年12月12日付のこのブログ「あれから20年」にも書いたが、そこに書き切れなかったことがある。レース終了後、ツアーの参加者がバスが待つ駐車場に向かってぞろぞろと歩くうち、たまたま吉田重雄氏が我々の隣を歩いていた。そこで私の妻が「おめでとうございます」とお祝いの言葉を掛けたのである。それに対する重雄氏の言葉が忘れられない。

「ようやくです……。本当に……、夢を見ているみたいだ」

フジヤマケンザンの父・ラッキーキャストを知る人はほとんどいまい。フジヤマケンザンと同じ吉田牧場の生産馬。だが、日本ではなく米国でのデビューを目指して2歳時に渡米していた。

ラッキーキャストの父・マイスワローはグランクリテリウム、ロベールパパン賞、モルニ賞の仏国2歳三冠レースを完全制覇した全欧2歳チャンピオン。引退後は種牡馬として愛国で繋養されていたが、重雄氏が中心となり1978年に日本へ輸入された。

また、ラッキーキャストの母タイプキャストは、マンノウォ―Sなど通算21勝を挙げて全米最優秀古馬牝馬にも選ばれた名牝。それを重雄氏が、72万5000ドルという当時の世界最高落札価格で購入して話題となった。「無茶な買い物」と揶揄する声もあったと聞く。産駒のプリティキャストが天皇賞を勝っても、展開に恵まれただけだと周囲の評価は厳しかった。

米国デビューを目指して渡米しながら、屈腱炎のため競走馬としてデビューすらできなかったラッキーキャストを、それでも種牡馬としたのは重雄氏の執念であろう。それが牧場ゆかりのワカクモの牝系で結果を出したのだから、嬉しくないはずがない。しかもそのラッキーキャストは、同じ年の2月にこの世を去ったばかり。タイプキャストを日本に連れてきてから23年。テンポイントの海外遠征が幻に終わってから17年。「ようやく」の言葉に重みが増す。いま思えば、フジヤマケンザンの香港国際カップ制覇は、重雄氏の執念の結晶だったように思えてならない。

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熱狂の祝勝会が終わり、ホテルのラウンジで2次会を楽しんでいると、重雄氏がアッと言って立ち上がった。なんと牧場への連絡を忘れていたという。皆にせかされて慌てて国際電話をかけると、アイルランドにいる息子さんから先に連絡が入っていたそうだ。それを聞いて笑いながらまた飲んだ。あの夜はいつまで飲んでいたのだろうか。

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そんな重雄氏も2001年に亡くなっている。いまごろ向こうでフジヤマケンザンと再会しているだろうか。ひょっとしたら、再会を祝して一杯やっているかもしれない。ひとりのホースマンと、その夢を叶えた一頭の馬を想い、今宵は私もグラスを傾けよう。

 

***** 2016/04/13 *****

 

 

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