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2016年3月13日 (日)

師匠

写真にしても文章にしてもそれ以外の何かにおいても、誰かに師事したという経験を持たない。バリバリ我流の人生である。

むろん競馬場で撮り始めた当時に先輩カメラマンの荷物持ちを務めたり、某ライターのお茶汲みをしたこともあるけど、決して師弟関係ではない。だから、「騎手のフリー化が進んで、厩舎社会の師弟関係が薄れてしまった……」などと嘆くことはない。師弟関係を知らぬものが師弟関係を語るわけにはいかないのである。

そうはいっても、物事を教えられた人は数知れぬ。学校の先生に限った話ではない。「師弟」という関係にならなくとも、競馬や人生のいろいろを教えてくれる人はたくさんいるということだ。

私は生来のおしゃべり人間だが、こと競馬に限ればその性格はいっさい封印して、ひたすら他人の話を聞くことに集中している。たまに口を開いても、相手にさらに話を促すような言葉だったり、単なる合いの手だったり。ともあれ、競馬以外の私しか知らぬ人が競馬場の私を見たら、多かれ少なかれ驚くことであろう。

それでも敢えて、師匠的な人をひとり挙げろと言われれば、やはり野平祐二氏ということになるのであろうけど、「先生」と呼ばれることさえいたく嫌った祐ちゃんのことである。まさか「師匠」などと呼ぶわけにもいくまい。

「私なんかに教わるんじゃなくて、馬に教わりなさいよ」

祐ちゃんが、誰かにこうおっしゃっていたことを思い出す。競馬に関わる人間は、すべからく馬が師匠なのである。岡部幸雄氏をして、「シンボリルドルフに競馬を教えられた」と言わしめたことはあまりに有名なエピソードだ。

Symbori 

川崎が世界に誇る鉄人・佐々木竹見氏にも同じような話がある。1962年の金盃で騎乗したハジメオー。ゲートを出るとすぐハナに立ったが、道中も後続と一定の距離を保ち、余裕をもってゴールした。「こんな馬がいるのかと驚いた。勝つためのレース運びを馬に教わった気がした」と竹見さんは振り返る。

「騎手も調教師も馬に育てられて一人前になる。馬の写真を撮るにしても同じことでしょう」

生前の祐ちゃんに授かったこの言葉は、私の脳にしっかりと刻み込まれている。今日3月13日は、35年前にシンボリルドルフが生まれた日だ。

 

***** 2016/03/13 *****

 

 

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