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2016年1月13日 (水)

変わらぬ私、変われぬ私

年明け7日に知人と恵比寿で水炊きをつついた。なんと会うのは15年ぶり。互いの第一声は「変わらないねぇ」である。それで少しホッとした。年齢を気にする柄ではないが、この日のために多少なりともダイエットを意識してきたので、「変わらない」と言われるのは正直嬉しい。

Bijin 

それにしても最近は久しぶりの人と会う機会が増えた気がする。フジヤマケンザンつながりの友人と10年ぶりに飲んだのが11月。先月は中学の同級生が独立したというので、20年ぶりに顔を会わせた。暮れから正月にかけても、ここ数年間足が遠のいていた店に顔を出しまくっている。特に何かを意識しているわけではない。だが、無意識のうちに懐かしさを埋める衝動に駆られている可能性はある。

2001年7月のある夜、不意に自宅の電話が鳴った。

「死ぬかと思いましたよ」

開口一番、受話器の向こうから聞こえてきた声の主は、野平祐二調教師その人である。体調を崩して病院に担ぎ込まれた。でももう大丈夫。明日にも退院する。まだ死ぬわけにはいかない。私にはまだやることがたくさん残されている。狼狽える私の耳に、祐ちゃんは滔々としゃべり続けた。

師の訃報が届いたのはその2週間後のこと。あとで聞いたら、退院後に突然日高の牧場を訪れて周囲を驚かせていたという。「律儀な祐ちゃんのことだから、別れの挨拶を済ませておいたんだろう」。牧場の人はそう口を揃えた。それならあの電話もそのひとつだったのか。最近の私の行動はあの時の祐ちゃんの行動を思わせる。ひょっとしたら私も近々死ぬのかもしれない。

そんな心配をしていた今日になって、自宅に遅めの年賀状が届いた。差出人は知り合いのJRA騎手。丁寧な毛筆で「いつも変わらぬ応援をありがとうございます」としたためてある。

私が彼に「変わらぬ応援」を続けているのにはワケがある。あの日、野平祐二は「まだやることが残されている」と私に話した。具体的には、騎乗機会に恵まれない若手騎手の境遇を憂いだのである。そして数人の名前を挙げて「彼らをなんとかしなければ」と続けた。年賀状の相手はその一人。祐ちゃんが名前を挙げた騎手の中で、今も現役を続けているのは、ついに彼ひとりになってしまった。

それなら私が馬主となって彼らに騎乗機会をつくってあげよう。

そう考えた私はとりあえず地方馬主になった。祐ちゃんの死んだ年だから15年前のことである。その後、生産にも手を広げたりもしたが、そこより先にはなかなか進めない。JRA馬主資格の壁のなんと高いことか。このままでは、私が死ぬまでに年賀状の彼に乗ってもらうことは難しそうだ。

恵比寿の夜に話を戻す。「変わらないねぇ」で始まった15年ぶりの再会だが、話を進めるうちに相手の中身は変わっていることに気付き始める。15年前は単なるライターだった相手は、今では誰もが知る雑誌の編集長となっていた。乗馬クラブのスタッフだった方は、今やあちこちから乞われて牧場を渡り歩く馬のスペシャリストであり、大井で一緒に写真を撮っていたカメラマンは、クラシックカメラを扱う会社の社長となり、皿洗いに明け暮れていた小僧は、今やミシュラン掲載店のオーナーシェフである。この15年間で変わらないのは、実は私ひとりだけだった。

そう思うと「変わらない」と言われて喜んでいた自分が恥ずかしい。正確には「変わらない」のではなく「変われない」ではないか。騎乗機会に恵まれない若手に馬を用意するどころではない。「変わらぬ応援」を変えられない自分がここにいる。むしろ最近は競馬から遠ざかり始めた感も。それなら「変わらない」私を進歩が無いと嘆くのではなく、せめて退行を食い止めていると思うことにするか。そうでもしなければ、この2016年に向き合えない気がする。

 

***** 2016/01/13 *****

 

 

 

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