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2016年1月31日 (日)

閉店

2016年の東京競馬がついに開幕。寒い寒いと文句を言いつつも、土曜の朝からイソイソと府中に出かけた。まあ、まずは雪が降らなかったことを感謝せねばなるまい。

1回開催の初日は今年一年を占う日でもある。となればやはり勝って帰りたい。どうしても勝ちたい。それでドクター・コパ氏のコラムに目が留まった。えーと、ナニナニ……。2016年の風水では、白くてなおかつ長いものとか粘るものを食べると運気が上がるらしい。「白くて長い」と言えばうどん。これに「白くて粘る」とろろを加えた「とろろうどん」なら完璧。さっそく食べに行かねば。

もとより私は縁起・占いの類を信じぬタチだが、「うどんを食べれば運気が上がるよ」と言われて、それを拒む理由も持ち合わせていない。だって、言われなくてもうどんは食べるのである。しかも、この開催でフェブラリーS3連覇の偉業を目指す方の御言葉とあらば、もはや今日は勝ったも同然であろう。なんだ、馬券なんてカンタンじゃないか―――。そんな浅はかな思いを抱きつつ、スキップしながらスタンド4Fのうどん店『むぎんぼう』にやってきたら、

Muginbou 

むむっ!?

Muginbou2 

がびーん!coldsweats02

ま、まさか……、こんなことが……。

いや、風水云々で狼狽えているのではない。この店は私にとっての、東京競馬場のメインダイニングなのである。それが閉店となれば一大事だ。

私は東京競馬場では、ほぼ欠かさずここのうどんを食べてきた。1日に2杯食べることもあるし、最近はパークウインズ開催での来場も増えている。数えてはいないが、ざっと年間50杯は食べているのではないか。ともあれ、普段うどんばかり食べている私の食生活の中にあって、もっとも食べているうどんであることは間違いない。それが無くなってしまった。これで困らない方がどうかしてる。

震える足をどうにか動かしてスタンド1F西側を目指した。「とろろうどん」が無理ならば、「とろろ」だけでも食べておきたい。たしか牛タン専門店『なとり』のメニューに「とろろご飯」があったはず。それでようやくたどり着いてみると、

Natori 

まじか!??shock

もう風水は諦めよう。なんでもいいから温かいものを食べたい。残された頼みの綱は『馬そば深大寺』である。それでいつものように「鳥そば」を注文しようと思ったら、

Menu 

おおっ!lovely

Kamonan 

いやあ、やはり冬は「カモなん」に限りますな。鴨の風味もさることながら、ほどよく焦がした長ねぎの中から出てくるトロッとした芯の美味いこと。今日はこの一杯に助けられた。“とろろうどんショック”も、もう残ってない。これで馬券もバッチリだろう。

Tokyo 

かくして臨んだ2016年東京初日の馬券勝負は、あろうことか歴史的な大惨敗に終わったcrying

3連複の軸馬は4着に敗れ、馬単を買えばことごとく裏目が出る始末。やはり勝負前の「カモネギ」は避けるべきだったのたか。しかし食べたいものを食べて敗れたのだから悔いはない。むしろ懸念は『むぎんぼう』の閉店である。跡地に入るのが、長いお付き合いのできるお店であれば良いのだが。

 

***** 2016/01/31 *****

 

 

 

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2016年1月30日 (土)

ルゼル

明日の東京メインは重賞の根岸Sだが、セントポーリア賞に注目している向きも多かろう。なにせ去年の勝ち馬はあのドゥラメンテである。

Dura 

ひとまず雪の心配は必要なさそうで何より。それでも週中あたりは2001年の再現もあるのでは、と危惧した。この年の1月最終週、東京を襲った大雪により土日の競馬開催は揃って延期。月火の平日開催を余儀なくされたのである。この時のセントポーリア賞勝ち馬は英国生まれの外国産馬ルゼル。まだ雪の残る直線を力強く駆け抜けて、デビュー2連勝を飾った。

Ruzeru1 

手綱を取ったのは今は亡き後藤浩輝騎手である。「ダービーを意識させる」。たしかそう言っていたはず。その言葉通りトライアルの青葉賞を勝ち、外国産馬として初めて日本ダービー出走を果たした。

その後、2004年に競走馬登録を抹消されたルゼルは、浦河のディアレストクラブで乗馬生活を送ることに。のんびり人を乗せて余生を過ごすかと思われたが、なんとその3年後にレックススタッドで種牡馬入りすることになった。乗馬となる際には去勢されるのが普通。ゆえに、乗馬から種牡馬への転身は極めて珍しい。さらにその理由というのが「生産者サイドから種牡馬入りの強い要望があったため」だという。これまた珍しい。

Ruzeru2 

個人的なことだが―――このブログは首尾一貫して個人的なことを書き連ねているけど―――外国産馬であるルゼルが日本にやって来たたは1歳の秋。ルゼルが門別の育成牧場に到着して、私はすぐに彼を撮影している。そんな縁もあって、現役中に走った彼の全てのレースは常に注目していた。ダービーでジャングルポケットの14着に敗れた後も、放牧先を訪れて当時2歳の娘と一緒に写真を撮ったことも。現役の競走馬でありながら、子供と一緒に写真を撮れるほどおとなしい馬だったわけだ。そのような穏やかな気性の持ち主だったからこそ、去勢を免れることができたのだろう。

Ruzeru3 

残念ながら種牡馬として成功することはなかったが、今もルゼルは軽井沢の土屋乗馬クラブで元気に暮らしているとのこと。今年は会いに行ってみなければなるまい。

ところで、ルゼルが勝った01年のセントポーリア賞当日はやたらと競走中止が相次いだ記憶がある。それであらためて調べてみたら、競走中止が5頭、取消も3頭出ていた。普段よりずっと多いこの数字は、大雪とそれに伴う2日間の開催延期の影響と決して無関係ではあるまい。この冬の開催に雪の影響がないことを祈るばかりだ。

 

***** 2016/01/30 *****

 

 

 

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2016年1月29日 (金)

大雪

府中本町駅から東京競馬場に通じる通路は、パークウインズモードからフェブラリーSモードへと様変わり。あとは明日の開催初日を待つばかりとなっている。今夜は雪の予報が出ているが、今のところは雨も雪もまだ降っていない。

Feb 

雪と言えば、40年ぶりとも50年ぶりともいわれる寒波と、それに伴う大雪が九州地方を襲ったばかり。その影響で福岡県大牟田市では市内のほぼ全域で断水が続いていたが、今日になって3日ぶりに断水が解消したと報じられている。それを受けて、ようやく大牟田市に住む知人にメールを送ってみた。

本当は大雪が降った24日にメールをしようと思ったのである。道路は軒並み通行止め。鉄道は全滅。空港も閉鎖。佐賀競馬も中止らしい。「たいへんそうですね。大丈夫ですか?」。そう書いて、送信ボタンを押す寸前に思い直してやめた。

「たいへんそう」だと分かっている時にメールをしたところで、それが何かの役に立つわけではない。むしろ返信の負担をかける。相手の安否を気遣う気持ちは、あくまで自分の気持ちである。その解消のために相手に余計な負担をかけてるべきではない。

もちろん時と場合による。賛否も割れるだろう。だが、私には苦い思い出がある。忘れもせぬ5年前の大震災。宮城に住む知人が避難所にいるらしいとひとづてに聞いて、「大丈夫か?」とついメールをしてしまった。

返信があったのは翌日である。

「大丈夫。ありがとう」

この文面を見て初めて気が付いた。たった9文字を私に送るために、ひょっとしたら相手に負担をかけてしまったのかもしれない。しかも仮に相手が「水が足りない」と申し出たところで、当時の私にはどうすることもできなかった。むろん心配する気持ちに偽りはない。とはいえ、このタイミングでのメールは、気持ちの押し付けに過ぎないのではないか。「大丈夫か?」と声をかけるだけの準備が、私の方にちゃんとできていたのか。そのことで当時はずいぶんと悩み、反省もした。

私の住まうマンションでも、数年前にポンプか何かの故障で断水の憂き目に遭ったことがある。わずか一棟の断水だからコンビニから水が消えるような事態にはならない。なのに、それだけでもたいへんな思いをした。それが町全体となれば想像を絶する。動物を飼育している方や医療機関などはなおさらであろう。寒波がもたらす被害は、大雪による交通網の寸断や競馬の中止だけではないのである。むろん東京でも起こり得ること。決して他人事ではない。

ここまで書いたところで、東京に大雪注意報が発令された。知らぬ間に外は雨が降っている。明日は今年最初の東京開催。競馬は無事に行われるだろうか。

 

***** 2016/01/29 *****

 

 

 

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2016年1月28日 (木)

快挙

向こう正面でサウンドトゥルーが内からポジションを上げていくと、負けじとホッコータルマエも仕掛けて行く。巨大なマルチビジョンがその光景を映し出すと、スタンドからドォーッと歓声が上がった。

昨日行われた川崎記念。正式発表は8704人のはずなのに、背中から伝わるヴォルテージは8万人の大観衆にも感じられる。迎えた最後の直線、両馬が馬体を併せると、その歓声は一段と大きくなった。もう実況も聞き取れない。

Hokko 

2頭がゴールを過ぎると歓声は拍手に変わった。差はわずかだったのに誰もが確信しているのである。川崎記念3連覇。そして前人未到のGⅠレース10勝目。歴史的快挙は歴史的名勝負で達成された。ホッコータルマエの関係者には賛辞を惜しむべきではない。と同時に、歴史的名馬を最後まで苦しめたサウンドトゥルーの強さもまた賞賛されてしかるべき。そして寒さをものともせず競馬場に足を運び、ライブでその瞬間を見届けたファンは、その経験を一生自慢して欲しい。

Kawasaki 

ホッコータルマエのGⅠ初勝利は3年前のかしわ記念。2着に下した相手は、やはりGⅠ9勝の大記録を作ることになるエスポワールシチーだった。当時ホッコータルマエ4歳、エスポワールシチーは8歳である。仮にこのときエスポワールシチーが勝っていれば、GⅠ10勝の栄誉を先に掴んだのはエスポワールシチーの方だったかもしれない。歴史は時に皮肉だ。

Kashiwa 

GⅠ9勝の猛者はもう一頭いる。ご存じヴァーミリアン。だが、彼にしても2010年の川崎記念でGⅠ9勝目を挙げた時点で、すでに8歳になっていた。ホッコータルマエはまだ7歳。国内に専念すれば、GⅠ勝利数の記録をさらに伸ばす可能性だって低くはない。それでも陣営はドバイを選んだ。その気概たるやよし。ちなみにヴァーミリアンはドバイワールドカップに2度挑戦して4着、12着という成績を残している。こうなったら、ドバイでも「ヴァーミリアン越え」を成し遂げてもらいたい。

Take 

それにしても、と思う。ヴァーミリアンにしても、ホッコータルマエにしても、直系の祖父は、先日訃報に触れたばかりのキングマンボ。ダートの牝馬戦線で長らくチャンピオンの座にあったサンビスタの血統表にも、3代前にキングマンボの名前が登場するし、サンビスタ以前に女王に君臨していたミラクルレジェンドの4代母サンタキラ(Santa Quilla)は、実はキングマンボの曾祖母にあたる。チャンピオンの血―――。そう呼ぶほかはあるまい。ホッコータルマエの快挙を祝福しつつ、大種牡馬キングマンボの偉大さにあらためて思いが及んだ。

 

***** 2016/01/28 *****

 

 

 

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2016年1月27日 (水)

ヤバイよ、ヤバイよ

最近、若干貧血気味でふらふらしている。

念のために確認しておくが「金欠」の書き間違いではない。ひんけつ。金欠は今に始まったことではない。ついでに書くと、動悸、めまい、肩こり、腰痛、頻尿、に加えて慢性的な倦怠感にも苛まれているが、それはここではひとまず置く。

ともあれ女性に比べて男性の貧血はヤバイらしい。何がヤバイのか。ガンなど重大疾病のサインかもしれないのだという。そりゃあヤバイ。それで慌てて検査をしてもらったのだが、どうやら私の場合は睡眠不足が原因のようだ。だったら眠ればよい。でもそうはいかぬ事情がある。たとえば今日は川崎市民が世界に誇るGⅠ・川崎記念の当日。寝てる場合ではない。となれば、せめて食べ物で鉄分補給しようか。それで正門をくぐって左の建物で営業する『大楠庵』で鴨せいろを食べようと久しぶりに階段を昇ってみると……、

Oaks 

あれ? 暖簾が出ていない?

いや、そもそも看板も消えてるし、ショーケースも空っぽではないか。これはいったいどうしたことか? それで慌てて階下に降りると、こんな看板が掛かっていた。

Kanban 

なんと5年も前に『大楠庵』は閉店したいたという。それを聞いて、貧血で倒れそうになった。競馬場で気を失うのは日常茶飯事だが、馬券以外で倒れそうになったのは初めてだ。

ともあれ、食べられないとなれば、無性に食べたくなるのが人の性(さが)というもの。それで帰り道に千寿ネギと合鴨肉を買って、家族そろって鴨鍋をつつくことにした。“カモネギ”は勝負師にとって忌避すべきだろうが、鴨鍋の誘惑には勝てない。

Kamonegi 

猟期が冬に限られるマガモと違い、アイガモの肉は一年を通じて流通している。それでも、脂が乗って旨味を増すのはやはり冬。鴨の旨味が染み出たスープを吸った白菜や豆腐のなんと旨いことか。「ヤバイ!」。いまどきの子供たちは、「うまい」をそう言うらしい。シメはもちろん日本そば。このダシを絡ませれば、いくらでも食えそうな気がする。これで貧血も多少は改善されるに違いない。

Nabe 

それにしても、場内の店舗が閉店したことに5年以上も気が付かなかったことにショックを受けた。貧血もヤバイが、こっちの方がもっとヤバイ気もする。

競馬場に行ってもいつも同じエリアで過ごし、用が済んだらサッサと帰る。その繰り返しが5年間も続いていた。果たしてこれで「競馬場に行った」と言えるのか。

川崎に限ったことではない。貧血が改善した暁には、競馬場での行動を少し変えてみようか。入場門、パドックを見る位置、トイレ、お昼のお店、そして馬券を買う窓口。それらをすべて変えてみる。ひょっとしたら、それで馬券が劇的に当たるようになるかもしれない。そうなって「おお~、こりゃヤバイ!」と叫んでみたいところだが……。

 

***** 2016/01/27 *****

 

 

 

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2016年1月26日 (火)

鉛筆

鉛筆を買うという娘に付き合って、久しぶりに文具店の鉛筆売り場を覗いてみた。

私の知る限り鉛筆の濃さは17種類ある。H~9H、B~6B、そしてHBとF。私は小学校以来長らくFを愛用していた。だが、小学6年生の娘は2Bを買うという。なんでも学校から2Bを使うよう指導されてるらしい。鉛筆の濃さくらい個人の好みで決めさせればよいと思うが、それにしても2Bは濃過ぎの感がある。私の子供の頃はHBが主流で、2Bは「書写」の授業だけで使う特殊な一本だった。

暇に任せて文具店のオヤジに聞いてみると、たしかに30年前はHBが売り上げの半分以上を占めたが、今は2Bが半分くらいで、ついでBが4分の1を占めるという。濃くて柔らかい芯が好まれるのは、何も学校の指導のせいだけではなく「子供の筆圧そのものが下がっているからではないか?」とのこと。ちなみにFはほとんど売れないそうだ。ちょっと哀しい。

愛用の鉛筆はなかなか手放せないものだ。難関試験の修羅場を一緒に潜り抜けた一本だと思えばなおさら。選択問題で悩んだら直ちに愛用の鉛筆を転がした。すると自然に的中率の高い一本が手元に残る。だがしかし、共通一次試験でその勝負鉛筆を転がしたら、ほとんどが不正解で愕然とした。大一番での弱さは私の馬券運にも通ずる。そう思えばなお愛おしい。それでもなんとか志望校に合格できたのは不幸中の幸いであろう。今も鉛筆立てにはその記念すべき一本がちゃんと立ててある。

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ところで同じ鉛筆でも赤鉛筆はなぜか丸い。なぜだろう。赤鉛筆が六角形だと競馬場のオヤジどもがそれを転がして買い目を決め、負けた腹いせに「トンボ」とか「三菱」といった鉛筆企業に押し掛ける恐れがあるからだろうか―――?

そんなはずがあるわけない。そも鉛筆が六角形なのは、転がらないためと、持ちやすくするための二つの理由による。鉛筆を握った場合、親指、人差し指、中指の3点で押さえるので、面の数は3もしくは6がもっとも持ちやすい。

だが、赤鉛筆を含めた色鉛筆となると事情は異なる。「書く」というより「塗る」ために使われがちな道具だから、軸を丸くしてグリップの自由度を高めた方が便利。なおかつ色付きの芯は一般の黒芯に比べて柔らかいので、六角形よりも強固な円形の軸で包んで芯を守ってやる必要があった。競馬ファンの用途は考慮されてないのである。当たり前だけど。

私が小学生の頃は、筆箱に一本だけ赤鉛筆が入っていたものだが、最近の学校では赤鉛筆も使わないそうだ。競馬場でも赤鉛筆も見かけなくなって久しい。今ではサインペンやボールペンを使う人がほとんど。「赤鉛筆を耳に挟んだ……」なんていうステレオタイプな競馬オヤジの表現も、もはや死語になりつつある。

 

***** 2016/01/26 *****

 

 

 

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2016年1月25日 (月)

ドバイミレニアムの血

今朝のスポーツ紙の競馬面は「武豊30年連続重賞勝利」を大きく報じている。昨日行われたAJCCは2番人気のディサイファが完勝。エプソムカップ、中日新聞杯、札幌記念に続く4つ目の重賞タイトルを手にしたが、「30年連続」という数字のインパクトには敵わなかったようだ。

しかし、この記録について武豊騎手本人と周辺との間に温度差を感じずにはいられない。勝利ジョッキーインタビューで、「30年連続重賞勝利についてひと言」と振られた武騎手は、一瞬「それを言うの?」という顔をした―――というか、口ごもりながらそう言ったように私には聞こえた。

重賞通算305勝、昨年一年間だけでも重賞を10勝もしている騎手に「今年重賞勝てた感想を」と聞くようなもの。その記録のために現役を続けているわけでもない。長年やっていれば、自ずと数字はついてくる。武豊騎手のコメントが全てであろう。

そんなことよりもインタビュアーには「2200mの距離」について聞いてほしかった。ディサイファの過去8勝は1800~2000mに集中している。昨年のAJCCで5着に敗れた時、騎手(武豊ではない)は距離を敗因に挙げた。それが一転この強さ。7歳になってひと皮剥けたのか。仮にそうだとすれば、ついに良血開花かもしれない。念願のGⅠに手が届く可能性も出てくる。

ディサイファの母の父はドバイミレニアム。もともとは「ヤザール」と名づけられた同馬だったが、彼が持つ特別な資質を見抜いたオーナーのモハメド殿下によって「ドバイミレニアム」と変更された。もちろんミレニアムイヤーのドバイワールドカップ制覇の期待を込めての命名。その期待に応えるかのようにドバイミレニアムは勝ち続け、ついに2000年のドバイワールドカップを6馬身差で圧勝してみせた。モハメド殿下の眼に狂いはなかったのである。

だが、翌年、種牡馬入りしたばかりのドバイミレニアムを病魔が襲う。「急性グラスシックネス」。この日本には存在さえしない奇病に侵され、繁殖シーズン途中に5歳という若さで同馬はこの世を去ってしまった。その結果、残された同馬の産駒は、わずか56頭でしかない。

そんな数少ないドバイミレニアムの産駒の一頭がミズナ。そう、ディサイファのお母さん。その母トレビュレーションは、やはりモハメド殿下の所有馬として米GⅠ・クイーンエリザベスⅡチャレンジカップを勝った名牝だが、日本のファンにはグラスワンダーの母・アメリフローラの全妹と言った方が親しみが湧くだろうか。ちなみに1996年のキーンランド・セプテンバーセールで、のちのグラスワンダーを巡って最後まで競った相手こそ、モハメド殿下率いる「ゴドルフィン」である。

ミズナの血統表にはモハメド殿下の信念がぎっしり詰まっている。そこに我が国最高の種牡馬・ディープインパクトを配して生まれてきたのがディサイファ。これほどの血統ならば、いずれ種牡馬となり、あのすばらしいドバイミレニアムの血を後世に残す役目を担わなければならない。それを考えたとき、AJCCで4つ目の重賞を手にしたことは、決して小さからぬ出来事だった。

Decipher 

だが、それでもまだ足りない。たとえ305勝は無理だとしても、もっともっと勝つ必要がある。できることならGⅠタイトルも欲しい。そのためには2200mでも1600mでも持てる能力を発揮できなくてはだめだ。なにせ春シーズンに芝1800~2000mの古馬GⅠは―――少なくとも国内では―――行われない。わずか56頭の産駒しか残せなかった世紀の名馬の、その思いを乗せて、ディサイファは走り続ける。

 

***** 2016/01/25 *****

 

 

 

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2016年1月24日 (日)

人の目

「そういえば、こないだ珍しいところでお見かけしましたよ」

近所の鮨屋でゆるゆると飲んでいたら常連客にそう言われた。

一瞬怯んだのち、「どっ、どっ、ドコですか?」と恐る恐る聞いてみれば、ラゾーナ川崎の「島村楽器」だという。なーんだ。でも、私に楽器店は確かに馴染まない。

「そりゃあ、競馬場に行ったついでに立ち寄っただけですよ」

安堵して答える私。家人からお使いを頼まれて、リコーダーのお掃除キットを買いに行ってました。間違いありません。でも、こういうのってドキッとしますよね。自分にやましいところがなくても、「昨日アソコにいたでしょう」と言われるのはやはり落ち着かない。

ちょっと昔。競馬を全く知らぬ上、私が競馬場に出入りしていることさえも知らぬ知人が、会社の同僚に連れられて初めて東京競馬場を訪れた際に偶然にも私の姿を見つけたらしい。まあ、実際にはさしたる偶然でもなくて、むしろ「必然」なのだけど。

ともあれ、驚いた知人は手にしたカメラで私の姿を撮りまくって、メールで私に送ってきた。こういうのはぜひともヤメて欲しいですね。人込みの中からレンズが自分に向けられているというのはやはり怖いし、送られた自分の写真を見て「また太ったなあ」としみじみヘコんでしまうことにもなる。なので、こういう時は声をかけてください。もちろんレース中は困るけど。

Tokyo 

ただ実際には逆のパターンが多い。すなわち、私が顔見知りを発見してしまうというシチュエーションである。で、どういうわけか、その相手は異性と一緒にいるのである。

こういう場合でも私はちゃんと声を掛けることにしている。だが、声を掛けるに至るまでしばらく二人の行動を観察する場合もある(悪趣味だな)。ともあれ、たいていの知人は私が競馬場に居ることを百も承知で来ているわけだから、私が偶然通りかかって挨拶を交わすことも想定しているはずである。そうでなければ、よほど抜けている。

Nakayama 

そんな私でも声を掛けられなかったことが、過去に一度だけあった。私の知人が連れている相手も私の知人だったというケースですね。これはエグい。しばらく様子を見たのだが(くどいようだが悪趣味)、どうやらお二人きりでいらしている様子。まあ、どういう事情があって競馬場に来ていたかも分からないわけだが、少なくとも競馬場のドラマは決してコース上だけで起きているわけではない。そういうことです。

 

***** 2016/01/24 *****

 

 

 

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2016年1月23日 (土)

日ハムと競馬の意外な関係

スポーツ新聞を読んでいると、プロ野球・日本ハムファイターズと競馬との関係が意外に濃いことが分かる。

例えば、昨日付の紙面には、日ハムの新人選手がJRA競馬学校の生徒と交流したという記事が掲載されていた。競馬学校と日本ハムの鎌ケ谷練習場が近いことから企画されたイベントで、今年で9年目になる。記念すべき初回には、当時日ハムのルーキーだった中田翔選手と競馬学校の生徒だった三浦皇成騎手という大物ふたりの対面が実現した。

栗山監督が社台スタリオンステーションを訪れたのは今月12日のこと。ディープインパクトに大谷翔平投手の姿を重ね合わせて、「雰囲気があるし、自分の役割を分かっている感じ」とコメントしている。ちなみにオルフェーヴルは中田翔選手に通ずるとのこと。なるほど、異議なし(笑)

そんな大谷翔平投手は、昨年11月に浦河を訪れて乗馬に挑戦している。本人が浦河町の応援大使を務める縁もあって訪問が実現。紙面ではシンザン像の前で記念写真に応じていた。昨シーズンの大谷投手は、最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多完封と4冠を獲得したものの、奪三振だけは2位にとどまり「5冠」を逃している。5冠馬のパワーにあやかりたい。

だが、彼らは比較にならないほど競馬に熱心な人が日ハムにいることをご存じだろうか。そう、今シーズンから日ハムに復帰した吉井投手コーチ。なんとれっきとしたJRA馬主である。今日の中山6Rに愛馬フォーシームを出走させた。2冠馬メイショウサムソンの半弟と聞けば、決して遊び半分ではないことが分かる。結果12着に敗れたものの、着順ほど離されてない。巻き返しの余地はじゅうぶんだ。

吉井コーチの馬好きは現役時代から知られていた。NYメッツの入団会見で「競馬の天皇賞で大外枠を引いた馬のような気持ち」とコメントすれば、NYタイムズ紙はメジャー初登板翌日に「メッツの吉井がデビュー戦でゲートをスマートに離れた」と報じている。他にも競馬になぞらえたコメントは数知れず。1999年の有馬記念ではプレゼンターも務めた。前述したJRA競馬学校との交流会に飛び入り参加して、騎乗訓練用の木馬を買うと宣言して、コーチなのに選手以上に注目を集めてしまったこともある。

かようにスポーツ紙は日ハムと競馬との関わりを教えてくれるのだが、昨日付のスポーツ報知にフォーシームに関する気になる記事を見つけてしまった。「(吉井オーナーの)現役時代の決め球から名付けられ」たとある。

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フォーシームとはいわば「直球」。直球のように最後の直線をまっすぐに伸びて欲しいと願っての命名である。ちょっとした野球ファンなら、現役当時の吉井投手の決め球がフォーシームではなくツーシーム(シュート)であったことを知っている。野球が得意分野であるはずのスポーツ報知ならば、なおのことであろう。JRAのサイトに書いてあることを何も考えずに載せるからこうなる。最近のスポーツ報知は、やはりどこかおかしい気がしてならない。

 

***** 2016/01/23 *****

 

 

 

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2016年1月22日 (金)

【訃報】キングマンボ

大種牡馬キングマンボの訃報が伝えられた。26歳。老衰だという。2010年に1頭に種付けを試みたのを最後に種牡馬生活からは退いていたとは聞いていたが、その死が世界のホースマンに与えたインパクトは小さくあるまい。私もそのはしくれ。若い頃は世界中で種牡馬を見て回っていたのに、なぜかキングマンボを直接見る機会に恵まれなかった。

いや正確に言えばチャンスはあった。1999年のこと。それをソデにしたのは他ならぬこの自分である。この年、初めての個展を開いた。子供も産まれた。国内の競馬場での仕事がもらえるようになった。要するに忙しかったのである。だがしかし、それで世紀の一頭を見るチャンスを失ったと思えば、後悔の念が無いはずはない。あたりまえだが馬の寿命は人間よりも短いのである。

キングマンボと聞いて思い出すのが1998年のジャパンカップ。当時は3歳マイルチャンピオンに過ぎなかったエルコンドルパサーが、エアグルーヴとスペシャルウィークに対峙した。エルコンドルパサーはキングマンボの初年度産駒。種牡馬キングマンボについて真剣に考えを巡らせたのは、おそらくあの時が初めてであろう。

現役時代のキングマンボは、仏2000ギニー、セントジェームズパレスS、ムーラン・ド・ロンシャン賞のマイルGⅠ3勝。その母ミエスクもブリーダーズCマイル連覇で知られる歴史に残るマイラーである。エルコンドルパサーのスピードと爆発力は、この2頭の名マイラーの特色であろう。だから2400mは長い。愚かな私はそう考えた。1800mの毎日王冠で自身初の敗戦を喫していたことも、愚民の浅はかな考えを後押しする。

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だが、結果はエルコンドルパサーが2馬身半差の完勝だから我ながら情けない。前年の年度代表馬も、同期のダービー馬も、まったくと言っていいほど歯が立たなかった。

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その後、我が国におけるもう一頭のキングマンボの雄たるキングカメハメハが登場し、さらに彼らの産駒たちが菊花賞を勝ち、牝馬3冠を成し遂げ、香港スプリントを連覇し、ダートグレードを総ナメにする活躍をするに至って、さすがの愚民も思い知らされたのである。キングマンボ系の血は芝もダートも、短距離も長距離も、みんなこなしてしまう。しかも単なる万能型ではない。相手の牝馬の一番いいところを引き出し、さらにそれを数段スケールアップさせて子に伝える―――。これが正解ではあるまいか。

キングマンボの冥福を祈ると共に、その母ミエスクの素晴らしさをあらためて痛感する。それでミエスクの資料を読み返していたら、驚くことに気付いた。

名牝ミエスクが27年の生涯を閉じたのは2011年1月20日のこと。そしてその子キングマンボが亡くなったのも、なんと1月20日ではないか。母子揃って歴史的名馬。2頭が果たした世界の競馬界への貢献度は計り知れない。それだけでも稀有なことなのに、その2頭の命日がまったく同じなんてことがあるのだろうか。最後の最後まで奇跡的な存在だった。

 

***** 2016/01/22 *****

 

 

 

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2016年1月21日 (木)

スペシャリスト

昨日の船橋記念は3番人気のイセノラヴィソンが3番手から直線で抜け出し、アルゴリズムの追撃を半馬身退けて重賞初制覇を飾った。

Tsubasa 

左回りのダート1000mで行われる重賞は全国的に見ても数が少ない。南関東でも習志野きらっとスプリントと、この船橋記念だけ。そういう意味では特殊領域。だからしばしばスペシャリストの舞台となる。事実、ナイキマドリードは船橋記念と習志野きらっとスプリントを合せて5勝。笠松の女傑・ラブミーチャンも習志野きらっとスプリント3連覇の偉業を打ち立てた。エスジーライカーも両レースで1勝2着2回の良績を残している。

だから今回ルックスザットキルが人気を集めたのは当然の成り行き。3歳で挑戦した昨夏の習志野きらっとスプリントでは、初の古馬対戦にも関わらずサトノタイガー以下を完封してみせた。彼こそが新たなスペシャリストに違いない。実は私もそう信じていたひとり。それがシンガリ負けだからいたく驚いた。引き揚げてきた馬の顔を見てすぐに鼻出血だと分かったが、彼の馬券を勝っていた人はたまらないだろう。競馬に絶対はない。鼻出血や故障は時と場所を選ばないが、当然ながら人気にも無関係に襲いかかる。

出走頭数10頭のうち、純粋なオープン馬たる「A1級」は3頭のみ。あとはA2とB1の条件馬だった。だからレースのレベルが問われたのも仕方ない。ちなみに勝ったイセノラヴィソンを含め、掲示板に載った5頭のうち3頭がB1。あとはA1とA2が一頭ずつ。勝ち時計も1000mの船橋記念としては過去もっとも遅い。寒さに震えながらわざわざ足を運んでくれたファンに申し訳ない気もする。

こうなるとイセノラヴィソンには新たなスペシャリストとしてブレイクしてもらいたいところだが、明け6歳の牝馬に無理を強いるわけにはいかない。

ルックスザットキルのしんがり負けには驚いたが、早熟が代名詞のファスリエフ産駒が6歳にして初めて重賞を勝ったこと自体も驚きだ。もちろん関係者の熱意と努力の賜物である。だが、裏を返せば南関東のスプリント路線が手薄ということなのだろう。条件馬が重賞の掲示板を占めたことがその証。愛馬ポップレーベルが突如として1200m路線に転向したのも、ひょっとしたらそんな事情も後押ししているのかもしれない。果たして彼はスペシャリストになれるだろうか。

 

***** 2016/01/21 *****

 

 

 

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2016年1月20日 (水)

ダービー馬のAJCC

今週の中山メインAJCCは伝統と格式を誇る古馬重賞ではあるが、今年の出走予定メンバーを見る限りちょいと寂しい。GⅠホースの不在は3年ぶり。GⅡ勝ちに加えダービーでも2着したサトノラーゼンあたりが格上的存在か。

AJCCに出走したダービー2着馬と言えば、最近では2007年のインティライミと、その翌年のアドマイヤメインが記憶に新しい。だが、どちらも結果を残せなかった。AJCCを勝ったダービー2着馬と言えば1986年のスダホーク。今回サトノラーゼンが勝てば30年ぶりの出来事となる。

ダービー2着馬ではなく、ダービー馬スペシャルウィークががAJCCを勝ったのは1999年のこと。手綱を持ったまま3馬身差の圧勝だった。

Ajcc 

ダービー馬が翌年のAJCCに出てくること自体珍しい。スペシャルウィークにしても、もともとは暮れの有馬記念に出走するプランだったのが、主戦の武豊がエアグルーヴに騎乗するということで回避が決まった。本来なら冬休みの時期である。

さらに、AJCCではなく同日の日経新春杯に出走するプランもあった。正月開催の中山は馬場が悪い。馬場状態を考えれば京都とは雲泥の差だ。だが、発表された日経新春杯のハンデは59キロ。別定のAJCCなら58キロ。馬場を取るか、負担重量を取るか。最終的に選ばれたのはAJCC。同じGⅡでありながら手薄なメンバーも決め手となった。ちなみにこの年の日経新春杯を勝ったのはメジロブライトである。

結果、スペシャルウィークはこの勝利を足掛かりに春の天皇賞まで一気に駆け上がった。たとえAJCCを勝てなくても、2009年のマイネルキッツや昨年のゴールドシップなど、AJCCをスタートに据えて春の頂点に立った馬は少なくない。さて今年の出走馬の中にそんな一頭がいるだろうかとスポーツ紙を開いたら―――、

「ドゥラメンテの帰厩時期が予定より早まった」

そんな記事を目にして、「よもやAJCC参戦か?」と勝手に色めいたのは誰あろうこの私である。一週間前に帰厩したところで出られるワケがない。帰厩の前倒しは、天候悪化を見越しての措置。復帰戦は中山記念が有力だという。春はまだ遠い。

 

***** 2016/01/20 *****

 

 

 

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2016年1月19日 (火)

落馬

先週金曜の大井5Rで7頭が落馬する事故が起きてしまった。

C3の一般戦は内回りの1600mに16頭が出走。3コーナーに差し掛かったところで、アエノブリザードが右第一指骨粉砕骨折を発症して転倒すると、直後を走っていた6頭が巻き込まれるように次々と転倒・落馬した。7人の騎手たちは全員意識があったが、アエノブリザードに騎乗していた瀧川寿希也騎手は腰骨の骨折と頭の外傷で8針縫う重傷。蹄鉄が頭に刺さったという。その光景を想像するだに怖い。

「大井競馬場では、昨年11月23日、同7月6日にもそれぞれ5頭が落馬する事故があった。主催者側には、内回りのフルゲート頭数の再検討など、安全面の配慮が求められそうだ。(スポーツ報知)」

多頭数に及ぶような落馬事故が発生すると、このような記事が載ることがある。昔は「利益至上主義がもたらした事故」などとして、馬の故障が原因であっても、その責任を主催者と馬主に向け、一大キャンペーンを張る新聞もあった。金曜の事故で仮に死者が出るような事態になっていたら、「フルゲート頭数の再検討」程度の記事では済まなかったかもしれない。

それにしてもこの記事には気になる点がある。なぜフルゲート頭数の再検討を「内回り」だけに求めるのか?

大井のフルゲート頭数はレースの格によって異なる。重賞、準重賞、特別は16頭で、それ以外は14頭。ただし開催執務委員長が指定したレースであれば、一般戦でも16頭まで出走できる。コースが内回りであるか外回りであるかは関係ない。

たしかに今回の事故は内回りで起きたが、昨年の2件の落馬事故はいずれも外回りで起きている。そもそも「内回り」と聞くと、いかにも狭くて窮屈な印象を受けるかもしれないが、大井コースの幅員やコーナーの形態は内回りも外回りも同じ。記事を読んで危惧するのは、「狭くて小さい地方競馬で16頭の競馬は危険」という印象を与えかねないことである。実は大井のコースは中山のダートコースより広い。中山で16頭の競馬ができれば、大井でも同じことができるはずだ。

Ooi 

中央地方を問わず、日本人騎手の技量の高さとフェアプレーぶりは国際的にも定評がある。だから騎手の未熟さやラフプレーによる事故はさほど多くない。それでも馬の故障は時間と場所を選ばずやってくる。レースの安全度を「落馬の危険性」という側面から見れば、多くの方は「平地レースより障害レースよりの方が危険」と捉えるだろう。しかし、いったん事故が起きてしまうと、平地は障害より密集した展開が多いことから大きな連鎖反応を起こしやすい。

多頭数を巻き込む落馬事故は、馬の実力が拮抗し、騎手の技量が高まってレースに密集度が増したことの裏返し。フルゲート頭数を減らせば事故の規模を低減させるのに一定の効果はあろうが、それを特定のコースだけに向けても意味がない。仮にやるとしても全部であろう。ともあれ、大井の一般戦におけるフルゲート頭数拡大の開催執務委員長指定は減るかもしれない。

 

***** 2016/01/19 *****

 

 

 

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2016年1月18日 (月)

アランセーター

今年は暖冬だとか、好天に恵まれて中山の芝が例年よりずっと良いなんて話を書いた途端、週明けの東京を雪が襲った。

大した降雪量があったわけではない。それでも東京の交通網は大混乱。朝のニュースを見ていたらウチの近所の駅が映った。ホームから溢れた絶望的な人数の乗客が駅を幾重にも取り巻いている。雪は既にやんでいるのに、どういうわけか電車は来ない。仕事や学校に出かけなければならない人には申し訳ないが、今日は外に出ないと決めた。

ところが、飼い犬は散歩に連れて行けとせがむのである。

「ちょっと! まさかこの程度の雪であたしの唯一の楽しみを奪うつもりじゃないでしょうね」

―――そんな目でじっと見られると無視もできない。困ったなぁ。

Aran 

仕方なく、押し入れの奥からいちばん厚手のセーターを引っ張り出して散歩に出ることにした。以前アイルランドを訪れた際に購入した「アランセーター」である。

彼の地を訪れたのはさほど寒くない10月初旬であったし、そも私が旅先で衣服を買うことなど滅多にない。荷物は少しでも減らしたい人間なのに、よくもこんなかさばるセーターを持って帰ってきたものだと、我ながら感心してしまう。

おそらくよほど気に入ったのであろう。トウショウの勝負服を彷彿とさせるダイヤモンド格子柄の意匠は素晴らしいし、使われている羊毛は防水に優れているし、何より完全手編みである。着てみるとその暖かさは予想を遥かに超え、思わず「暑い…」と呟くほど。それゆえ並みの寒さでは出番はない。暖冬が叫ばれるこの冬に袖を通すことになろうとは思わなかった。

アランセーターの発祥は、アイルランドの西端に浮かぶアラン諸島にある。三つの小さな島からなるこの諸島は、石と岩でできた不毛の地。島民は海に出て生計を立てるほかなかった。冬場でも漁に出る男たちのために、防寒防水に秀でた羊毛で編まれたセーターが「アランセーター」である。

「羊毛が脱脂されていないのは防水のため。分厚く編み込まれた模様は保温のため」

店の主人は丁寧に説明してくれた。デコボコの激しいデザインは、ケルト文化の抽象文様を思わせる。アイルランド人は皆、紀元前に栄えたケルト人の末裔。店の主人とて例外ではあるまい。

店を出る時に「チャイニーズか?」と聞かれたので「ノー、ジャパニーズだ」と応えたら、握手を求められた。

アイルランド人の親日ぶりには目を見張るものがある。馬の輸出先として大事なお客様だと思っているのか、あるいは宿敵大英帝国相手に戦争した国というイメージがあるのか知らんが、そこまで喜んでくれるなら、入店時にジャパニーズを名乗れば良かったと後悔した。そうしたら、もう少しマケてくれたかもしれない。

 

***** 2016/01/18 *****

 

 

 

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2016年1月17日 (日)

カタルーニャ

東京競馬場の連絡通路を歩いた昨日から一転、今日は中山競馬場の地下通路を歩いている。

Nackey 

とある知人から受け取らなければならぬものがある。しかも今日までに受け取らなければならない。そしたら、その知人は今日は中山に行く用事があるという。出資している3歳馬がデビューを迎えるらしい。なら競馬場で会おう。そういうことになった。

カタルーニャは父メイショウサムソン、母レイナカスターニャ(母の父キングカメハメハ)という血統の牡馬。母系にインティライミ、サンバレンティン、オーバーザウォールといった重賞ウイナーが名を連ねながら、1200万円(1口30万円)というお手頃価格での募集となったのは、父がメイショウサムソンであることに加えて、遅生まれだったせいもあるかもしれない。実際、1歳の12月から乗り始めていた割には入厩が遅かったし、入厩からデビューまでにも思いのほか時間を要した。それでも3歳1月のデビューなら悪くはあるまい。舞台は父メイショウサムソンが皐月賞をを制した中山芝2000m。名手フランシス・ベリーの腕も見込めば、いきなり勝ってしまっても不思議ではない。

Kataru 

しかし競馬はそんなに簡単ではなかった。まあ当然ですね。勝ったのはハーツクライ牝馬のバレエダンサー。逃げ切りである。そういえば直前の5レースも逃げ切り決着だった。昨日も書いただが、この冬の中山の芝コンディションはすこぶるよろしい。カタルーニャは上位入着馬の中で唯一34秒台の上がりを見せたが、1馬身+クビ差の3着。今の中山の芝では、直線だけで追い込むのは至難の業だ。

6r 

それはともかく馬券が当たってしまった。

Baken1 

なぜか? 種を明かせば、カタルーニャ以外の単勝をすべて勝っていたのである。15枚もあると壮観のひと言。福島の名物・円盤餃子を彷彿とさせる。

Baken2 

私の馬券下手は知る人ぞ知る。これは、いわゆる「殺し馬券」。だが、それをやるならターゲットを絞るべきだった。これでは当たっても元は取れない。だから当たる。それでは意味をなさない。なんだかんだで殺されたのは実は私自身だったりする。

Kataru2 

成長途上でありながら3着に食い込んだカタルーニャの競走馬としての展望は開けた。だが、成長途上であるがゆえに大事に使っていく必要もある。ジョッキーに言わせれば「まだ緩い」ということで、次走までは間隔を空ける必要があるようだ。そうなると、もはや皐月賞は厳しい。個人的には父メイショウサムソンが取りこぼした菊花賞を目標に据えてほしいのだが……。

 

***** 2016/01/17 *****

 

 

 

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2016年1月16日 (土)

養生

2016年のJRA打ち初めも、やはり東京競馬場パークウインズと相成った。場外とはいえお客さんの出足は早い。今日開幕の中京を含めた3場開催がスタート。場外の客にとっては腕撫すところもあろう。

Park 

東京競馬場の本馬場ははご覧の通り馬場全面をシートで覆って養生の真っ最中。来たるべき1回開催に備えている。

Tokyo 

それにしても意外なほどの暖かさである。日なたのベンチに座るや、羽織っていたコートを思わず脱いだ。正月の中山開催3週目と言えば寒さも底のイメージがある。この陽気は春の中山開催ではないか。

しかも、ターフビジョン越しに見る中山の芝の美しさも春開催を思わせる。草丈の伸びない厳冬期の連続開催の終盤。馬場は悪化して当然だ。ために以前は「芝のレースではダート馬を狙え」という格言さえあった。カリブソングやグルメフロンティアといったダートチャンピオンたちが、この季節に限って中山の芝で輝いたのは、それだけ馬場が荒れていたからにほかならない。それが今日の中山メインを勝ったカハラビスティーの勝ち時計は、1200mを1分7秒7。やはり春開催の時計である。

ここに至って、私もようやく今年の暖冬を実感した。

インフルエンザの流行が後れている。デパートでは冬物がさっぱり売れない。スキー場は悲鳴を上げている―――。そんなニュースを見聞きしても「ふーん」としか思わないのに、ターフビジョン越しの芝の青さに「ああ、今年は暖冬なんだなぁ」と実感するのだから、我ながら情けない。でも、「実感」とは本来そういうものでもある。

この時期に中山の芝コースを彩るのは「イタリアン・ライグラス」という種類。寒い時期でも成長する品種とされるが、それでも12月になると、あまりの寒さに成長が止まってしまうこともあるという。だが、この冬は有馬記念の直前まで芝刈りを行っていた。それだけ暖かいということだろう。むろんその方が馬場状態は良好に保たれる。

Yojo 

目の前の養生シートに隠された東京競馬場の芝状態も気になるところ。このままの陽気が続けば、きっと良い馬場で東京開幕を迎えることができるに違いない。

2月の東京と言うと、フェブラリーSや根岸Sなど、どうしてもダート競馬のイメージがつきまとうが、昨年はドゥラメンテがこの開催で2度使われたことは、まだ我々の記憶に新しいところ。今年は2歳女王メジャーエンブレムがクイーンカップに出走を予定している。クラシックを見据える大器が真冬の競馬場に姿を現してくれるのも、すばらしい舞台が用意されていればこそ。養生シートが取り外され、緑一面のターフが姿を現す日が待ち遠しい。

 

***** 2016/01/16 *****

 

 

 

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2016年1月15日 (金)

POP

2歳夏のブリーダーズゴールドジュニアカップを勝ち、地方ながらデビュー4戦目に重賞タイトルを手にしたポップレーベルだが、それを最後に勝利から見放され続けること15戦。3歳、4歳を未勝利のまま過ごし、ついに5歳の正月を迎えた。

Pop1 

ここ2走はいずれもB3クラスで2着。前走などは「勝った!」と思わせながら、ブービー人気の馬に出し抜けを食らってしまった。明けて5歳となってC1に降級。ならば勝てるだろう。だが、話はそんな簡単ではない。なんと今日はデビュー戦以来の1200m戦である。単勝1.4倍に推されながら3着に敗れたデビュー戦の記憶は今も鮮明に残る。しかも今回は大外16番枠。引っ掛かり癖が抜けぬこの馬にとっては鬼門の枠だが、1200mなら掛かるくらいちょうど良いのだろうか。不安と期待がせめぎ合う。

しかし、やはりスタートダッシュでついていけない。ゲートは五分に出たのに、みるみる後方3番手。3角から外を回って進出を開始した時は「おおっ!」と声も出たが、1200mでは前も簡単には止まってくれない。

結果は3着。嗚呼……。

Pop2 

ポップレーベルの「ポップ(POP)」は、母ポップチャート、その母ポップス、さらにその母ポップシンガー、さらにさらにその母アイシーポップと連なる一族の証。この母系を代表する名馬がジャパンカップやメルボルンカップを2着したポップロックである。すなわちここで言う「ポップ」とは「ポピュラー」の略。「大衆的な」という形容詞にほかならない。

Zekken 

ポップレーベルは敗れてしまったが、今宵は近所のレストラン『ポップコーン』を予約してある。別に祝勝会を予定していたわけではない。馴染みの店への新年の挨拶代わり。でも、どうせなら勝利のシャンパンを開けたかった。

Popcorn 

同じ「POP」でも「ポップコーン」の場合は「弾ける」という意味になる。

Ichigo 

「直線でハジけませんでしたね」

私の問いにジョッキーは「外を回らされた分ですかね」と言葉少なに答えた。1200mが原因ではないということか。実際、次走も1200mを使うことになりそう。距離が理由でないのならば、次こそポップな末脚を見せて欲しい。

 

***** 2016/01/15 *****

 

 

 

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2016年1月14日 (木)

芦毛の新女王

昨日大井競馬場で行われたTCK女王盃は直線早めに先頭に立ったホワイトフーガが、そのまま押し切って重賞連勝を果たした。

Tck 

あまりに早く先頭に立ったものだから、馬主さんや調教師はヒヤヒヤしたに違いない。実際、一瞬は2番手に迫ったパワースポットの脚色が優るシーンもあった。とはいえ昨年のJBCレディスクラシックでサンビスタを破った能力の持ち主である。ここで負けるわけにはいかない。そういう意味では、早めに先頭に立って各馬の目標となりながら、結果それを退けたレースぶりはGⅠ馬に相応しいものだった。

TCK女王盃と言えば、レマーズガール、ユキチャン、ブラボーデイジー、アクティビューティといった芦毛馬たちの活躍が印象深い。その系譜に新たな芦毛の女王が誕生した。彼女の芦毛は父クロフネ譲り。母の父はフジキセキ。その血統表を見ていてある一頭を思い浮かべた。そう、東京大賞典を勝ったサウンドトゥルーですね。

同じ高木登厩舎所属で主戦はどちらも大野拓弥騎手。大井競馬場でブレイクしたのも同じ。父がクロフネとフレンチデピュティで異なるが、クロフネはフレンチの産駒なのだから、ほとんど似たようなもの。あとはサウンドトゥルーが芦毛だったらなぁ……、と思わないでもない。

この時期の大井は4コーナー付近に太陽が沈むので、メインの時間帯は西日がたいへん眩しい。口取り撮影は通常ホームストレッチをバックに行うのだが、それではフレームに夕日がものに入り込んで完全逆光になってしまう。それで仕方なく逆向きに撮影するのだが、これはこれで別の問題が発生する。背景がうるさい。夕日を正面に受ける被写体の方々は、ただひたすら眩しい顔をなさる。なが~く伸びた影が写り込まないように、カメラマンはずずずぃ~っと下がらなければならない。

Dsc_3165 

とはいえ、そんな西日を浴びて芦毛をオレンジ色に輝かせたホワイトフーガはたいそう美しかった。次走はフェブラリーSとのこと。なにせチャンピオンズカップの直前に、あのサンビスタを5馬身千切った馬である。牝馬によるJRAダートGⅠ連覇はなるか。注目したい。

 

***** 2016/01/14 *****

 

 

 

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2016年1月13日 (水)

変わらぬ私、変われぬ私

年明け7日に知人と恵比寿で水炊きをつついた。なんと会うのは15年ぶり。互いの第一声は「変わらないねぇ」である。それで少しホッとした。年齢を気にする柄ではないが、この日のために多少なりともダイエットを意識してきたので、「変わらない」と言われるのは正直嬉しい。

Bijin 

それにしても最近は久しぶりの人と会う機会が増えた気がする。フジヤマケンザンつながりの友人と10年ぶりに飲んだのが11月。先月は中学の同級生が独立したというので、20年ぶりに顔を会わせた。暮れから正月にかけても、ここ数年間足が遠のいていた店に顔を出しまくっている。特に何かを意識しているわけではない。だが、無意識のうちに懐かしさを埋める衝動に駆られている可能性はある。

2001年7月のある夜、不意に自宅の電話が鳴った。

「死ぬかと思いましたよ」

開口一番、受話器の向こうから聞こえてきた声の主は、野平祐二調教師その人である。体調を崩して病院に担ぎ込まれた。でももう大丈夫。明日にも退院する。まだ死ぬわけにはいかない。私にはまだやることがたくさん残されている。狼狽える私の耳に、祐ちゃんは滔々としゃべり続けた。

師の訃報が届いたのはその2週間後のこと。あとで聞いたら、退院後に突然日高の牧場を訪れて周囲を驚かせていたという。「律儀な祐ちゃんのことだから、別れの挨拶を済ませておいたんだろう」。牧場の人はそう口を揃えた。それならあの電話もそのひとつだったのか。最近の私の行動はあの時の祐ちゃんの行動を思わせる。ひょっとしたら私も近々死ぬのかもしれない。

そんな心配をしていた今日になって、自宅に遅めの年賀状が届いた。差出人は知り合いのJRA騎手。丁寧な毛筆で「いつも変わらぬ応援をありがとうございます」としたためてある。

私が彼に「変わらぬ応援」を続けているのにはワケがある。あの日、野平祐二は「まだやることが残されている」と私に話した。具体的には、騎乗機会に恵まれない若手騎手の境遇を憂いだのである。そして数人の名前を挙げて「彼らをなんとかしなければ」と続けた。年賀状の相手はその一人。祐ちゃんが名前を挙げた騎手の中で、今も現役を続けているのは、ついに彼ひとりになってしまった。

それなら私が馬主となって彼らに騎乗機会をつくってあげよう。

そう考えた私はとりあえず地方馬主になった。祐ちゃんの死んだ年だから15年前のことである。その後、生産にも手を広げたりもしたが、そこより先にはなかなか進めない。JRA馬主資格の壁のなんと高いことか。このままでは、私が死ぬまでに年賀状の彼に乗ってもらうことは難しそうだ。

恵比寿の夜に話を戻す。「変わらないねぇ」で始まった15年ぶりの再会だが、話を進めるうちに相手の中身は変わっていることに気付き始める。15年前は単なるライターだった相手は、今では誰もが知る雑誌の編集長となっていた。乗馬クラブのスタッフだった方は、今やあちこちから乞われて牧場を渡り歩く馬のスペシャリストであり、大井で一緒に写真を撮っていたカメラマンは、クラシックカメラを扱う会社の社長となり、皿洗いに明け暮れていた小僧は、今やミシュラン掲載店のオーナーシェフである。この15年間で変わらないのは、実は私ひとりだけだった。

そう思うと「変わらない」と言われて喜んでいた自分が恥ずかしい。正確には「変わらない」のではなく「変われない」ではないか。騎乗機会に恵まれない若手に馬を用意するどころではない。「変わらぬ応援」を変えられない自分がここにいる。むしろ最近は競馬から遠ざかり始めた感も。それなら「変わらない」私を進歩が無いと嘆くのではなく、せめて退行を食い止めていると思うことにするか。そうでもしなければ、この2016年に向き合えない気がする。

 

***** 2016/01/13 *****

 

 

 

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2016年1月12日 (火)

命名

年が明けて馬たちは1歳ずつ年を取った。各クラブでは明け2歳馬の馬名募集もスタートしている。「オルフェーヴル」とか「ドゥラメンテ」といった名前を考えた人は、いったいどういう気分になるのだろうか。ダービーの歴史に自分の考えた名前が刻まれるなんて、ちょっと想像がつかない。

実を言うと、私の所有馬以外で私が名付け親になった馬は何頭かいる。いるのだが、それが活躍したためしがない。JRAでは未勝利。地方でもひとつかふたつしか勝ってないのではないか。数年前までは毎年のように名前を考えて欲しいと頼まれていたのに、近年では依頼がパッタリと途絶えてしまったのも、馬たちの成績を見れば当然という気がする。

命名のセンスが良い人というのは、心に響くようなフレーズがあると、必ずメモを取って残しておく。「おっ! ソレいただき!」というようなフレーズがあっても、メモしておかなければいつの間にか忘れてしまいますよね。それで私も忘れぬようにとメモに書き留めるのだが、そのメモ用紙を忘れてしまうのだから話になならい。

競走馬の命名にはルールがあってカタカナ9文字以内。「以内」というからには「ア」のようなカタカナ1文字もアリかというと決してそうではなく、現在では「馬名として相応しくない」という理由から登録段階でハネられる。かつて「ヤ」という名前のアラブ馬が当時の中央競馬会で出走したという記録が残されているものの活躍した形跡はなく、それ以降は登録さえされていないはずだ。

その一方で、1968年にはそれまで馬名に認められなかった拗音と促音が認められるという出来事も起きている。有馬記念を勝った名牝スターロッチが「スターロツチ」と表記されていることに違和感を覚えるファンは少なくあるまい。実際「ヴ」という文字の使用が認められたのもつい最近のことで、世が世ならエアグルーヴやネオユニヴァースも、「エアグルーブ」「ネオユニバース」だったかもしれない。

Neo 

馬名というのは、競走馬を便宜的に規定するための記号ではない。だからこそ冠名の濫用が批判の矢面に立ったり、安易な―――あるいはふざけた―――命名に対し、ファンは嫌悪感を抱くのであろう。たかだか馬の名前と軽んじてはならない。サラブレッドという高貴な生き物に対する人間の礼節が問われる問題である。

 

***** 2016/01/12 *****

 

 

 

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2016年1月11日 (月)

成人

今日はミルコ・デムーロの誕生日でもあり、祝日「成人の日」でもある。祝日法には「成人の日」の日にちは定められていても「成人」の定義は明記されていない。だが、1896年に制定された現行民法では「20歳をもって成年とする」と規定。一般的には20歳以上を「大人」とみなす意識が定着している。

20歳未満の飲酒は未成年者飲酒禁止法で、また喫煙は未成年者喫煙禁止法でそれぞれ禁止されているし、20歳になれば、国民年金の加入義務も生じる。そして、競馬法により20歳未満は馬券を購入することも禁じられている。

一方、昨年改正された公職選挙法により選挙権は18歳から与えられる。児童福祉法などは18歳未満を保護の対象としているし、道交法は自動車普通免許の取得年齢を18歳以上と定めている。そして、パチンコ店の入店は風営法により18歳から認められている。

パチンコは18歳でOKなのに競馬はNG―――。

そんな不可解な現状は、法によってバラバラな「大人」の定義によってもたらされたものだ。

2010年に施行された国民投票法は、その付則の中で民法の成人年齢を18歳に下げるよう求めている。だが、東日本大震災とそれに続く政権交代の混乱もあり、「18歳成人」実現の目処は立っていない。

法改正が実現すれば、「成人」となる年齢は現在の20歳から18歳に引き下げられる。だが、未成年者飲酒禁止法と未成年者喫煙禁止法はともに禁止の対象を「20歳未満」と条文に明記しているので、成人年齢が変わったからといって、自動的に酒やタバコが許される年齢が下がるわけではない。

これに対し、競馬法第28条は「未成年者は、勝馬投票券を購入し、又は譲り受けてはならない」としているだけだから、成人年齢が18歳に下がれば、それに合わせて18歳でも馬券を買えるようになる。

そんなことが気になるのは、最近になって馬券売り場に明らかな子供が目立つようになったからだ。彼らは自分でマークシートを塗り、自分の財布から金を取り出して児童券売機、もとい自動券売機から馬券を受け取っている。近くの警備員もそれを咎める様子はない。

Dsc_2882 

杓子定規な取り締まりは「競馬は悪」というイメージを助長させるだけだと思うのだが、かといって子供が溢れる馬券売り場など興醒めも甚だしい。馬券を買わずに競馬に参加する有効な方法ってないのだろうか? 成人の日になると、決まってそんなことを考える。ともあれ今日でミルコ・デムーロ騎手は37歳になった。お誕生日おめでとうございます。

 

***** 2016/01/11 *****

 

 

 

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2016年1月10日 (日)

無印

昨日のボルックスSを12番人気で勝ったサンマルデュークは、前走の師走Sも15番人気で制していた。2戦続けての波乱演出。馬と騎手は胸を張って良いが、メディアとファンは猛省すべきであろう。手元にある「スポーツ報知」を見る限りボルックスSのサンマルデュークは全くの無印。前走をフロック視するのは分かるが、それでも△ひとつ無いというのは恥ずかしい。

Dsc_3160 

サンマルデュークはもともと気ムラなタイプである。2桁着順から巻き返して連対を果たすこと5回。一昨年の花園Sでは単勝311倍の最低人気で勝利し、WIN5にキャリーオーバーをもたらした。しかも、穴馬にありがちなペースに恵まれての逃げではない。勝つときは強靭な末脚が爆発した場合に限られる。そういう点においてはカブトシローに似ていなくもない。

「希代の癖馬」と呼ばれたカブトシローは1967年の天皇賞(秋)と有馬記念を連勝した名馬。人気を集めては凡走し、人気薄になると快走したことから「カブトシローは新聞を読めるらしい」とも囁かれた。

実際に新聞を読んでいたはずもなく、気難しい気性が災いして大敗か圧勝という成績を繰り返していただけ。気分を損ねると競馬をやめてしまうが、気分良く走った時は手が付けられない強さだった。ゴールドシップを極端にしたタイプだと思ってもらえばいい。なにせ、天皇賞は20連敗後の勝利。しかも前走はしんがり負けだった。8番人気も無理はない。大半の予想紙でカブトシローは無印の存在だった。そんな新聞をたまたま目にしたカブトシローが、あまりの低評価ぶりに一念発起したとしても不思議はないように思えてくる。

「無印」と言えば、気になることがひとつ。昨年春くらいから「報知の印がおかしい」という話を耳にするようになった。それで気になってチェックしているのだが、妙なところに印が偏って結果全滅というケースはたしかに増えた感がある。最近で言えばチャンピオンズCのサンビスタや有馬記念のゴールドアクターは無印(東京版の馬柱掲載分)だった。

そこはあくまで「予想」である。当たらないことは仕方ない。競馬である以上、勝ち負けは紙一重。同じメンバーであっても、10回競馬をすれば10通りの結果が出る。だから複数の予想者がいくつもの印を駆使して勝ち負けになりそうな馬を炙り出すのである。それが完全無印では言い訳もできまい。サンマルデュークが次走にどこを選ぶのかにさほどの興味はないが、その紙面にどんな印が打たれるかについては、大いに興味をそそられる。

Dsc_3161 

―――なんて心配をしていたら、今日のシンザン記念のロジクライも全くの無印ではないか。なんという体たらくか。ノーザンファーム生産のハーツクライ産駒に過去5年でシンザン記念3勝の浜中騎手という組み合わせ。千両賞掲示板組の巻き返しはシンザン記念ではよくあること。8人の予想陣がいれば、◎は無理でも誰かひとり△のひとつも付けられなかったものか。競馬界に少なからぬ貢献をしてきた由緒ある題字だけに、なおさら憂いが止まらないのである。

 

***** 2016/01/10 *****

 

 

 

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2016年1月 9日 (土)

新年の決意

松の内を過ぎれば自宅に届く年賀状もぼちぼち打ち止め。あらためてイチから読み直していたら、とある調教師からの「今年は英会話のマスターが目標です」という一文に目が留まった。

なるほど、いつの日か管理馬をキングジョージやブリーダーズカップに遠征させる時に備えて準備を始めるということか―――。

最初はそう解釈した。だが、あらためて読み返せば、もっともっと切迫した問題であるような気がしてくる。

Moore 

先月JRA行われた重賞10鞍のうち、実に7つのレースを外国人騎手が優勝しているのである。平場のレースまで含めても、彼らの勝率は軽く1割を超える。中でも11月から短期免許で来日していたムーア騎手の勝率は驚愕の.246。今日からヴェロン騎手が加わって、外国人の騎手は7人となった。外国人ジョッキー抜きに厩舎経営は成り立たない。もはや、そんな時代になりつつある。

Demuro 

通年免許を持つデムーロやルメールは日本語がソコソコ話せるし、短期免許の外国人騎手にはJRAの経費で通訳が付くので、騎乗依頼程度の事務連絡なら困ることはない。だがトラブルを避けたがる通訳は、大事な言葉を飲み込んでしまうこともある。だからそこから一歩踏み出して、微妙なニュアンスを直接伝えることの重要性について今更説明の必要はあるまい。馬を操るというのが緻密な行為である以上、そのコミュニケーションも当然ながら緻密でなければならないのである。

Lemaire 

ペリエ、デムーロ、ルメール、等々。日本で成功した外国人騎手は、普段は通訳を介することなく日本語で周囲に語りかけていた。騎手であれ調教師であれ、意思の疎通を図ろうとする姿勢こそが、成功のカギを握っているような気がしてならない。そう思えば冒頭の調教師の決意もなるほど理解できる。理解できるんだけど、「よし、それならオレも英会話を!」と感化されることもないんだよなぁ……。困ったもんだ(笑)

 

***** 2016/01/09 *****

 

 

 

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2016年1月 8日 (金)

思惑通りにいかなくて

東京ダービー馬ラッキープリンスに、重賞5連勝中のソルテ。昨年、南関東で活躍した2頭を輩出したことで、近年にわかに注目を集めるニューイヤーカップだが、今年も将来性豊かな3歳馬11頭が顔を揃えた。

人気の中心はアンサンブルライフ。平和賞勝ちに加え、JRA馬相手に逃げて3着に粘った全日本2歳優駿を見る限り、確かにここでは格上に違いあるまい。だが、管理する小久保智調教師は「速い馬が揃ったのでいつもと違った競馬を試してみたい」とも。控える競馬で直線届かず―――なんていうシーンも頭の隅に置いておきたい。

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逆にハナを切りそうなのが最内枠を引いたモリデンルンバ。坂本昇調教師も「いつも通りスピードを生かす競馬を」と逃げる気満々だ。前走のリバーサイドジュニアカップは7馬身差の逃げ切りだったが、直線で手綱を絞っていなければもっと着差は開いたはず。ただし、ラクテやタービランスといったスピード馬も早めに仕掛けてくるだろうから、直線で失速というシーンも想定しておこう。

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そんでいざゲートが開いたら、あろうことかモリデンルンバは出負け。中団の内で揉まれながら進む一方で、ポンとゲートを出たアンサンブルライフはその勢いのままハナに立ってしまった。ホント競馬は難しい。難しいが、これならアンサンブルライフの逃げ切りは決まったようなものか。

ところが、直線に向くなりタービランスがこれを交わして先頭に立ったではないか。道営4勝の実績はダテではない。アンサンブルライフとの差は広がるばかり。これは勝負あったか!と思わせたその瞬間、外から見覚えのある勝負服が矢のように飛んできた。

Yano 

飛んできたのは逃げられなかったモリデンルンバ。見事アタマだけ差し切っていた。調教師も「いやあ、この馬は差し馬だねぇ」と笑顔が絶えない。結果、アンサンブルライフは「いつもと違った競馬」ができぬまま敗れ、モリデンルンバは「いつも通りの競馬」ができなかったことが功を奏した。事前の思惑とはまるで異なる展開。つくづく競馬は難しい。難しいが、おかげで南関クラシック路線の楽しさは増した。

 

***** 2016/01/08 *****

 

 

 

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2016年1月 7日 (木)

年の初めのノーザンファーム

「年越しそば」に対抗して近年注目を集める「年明けうどん」をご存じですか?

もともとは香川県の「さぬきうどん振興協議会」が、うどん文化の普及を狙い提唱したメニュー。世間の認知度は今ひとつのようだけど、「細く長く」のそばよりも「太く長く」のうどんの方が良いじゃないかということで、うどん好きや欲張りな方を中心にひそかに浸透していると聞く。

となれば欲張りなうどん好きである私が食べないわけにいかない。しかし、年明けうどんにはいろいろな縛りがあって簡単に食べることができないので、とりあえず2016年初うどんといこう。さて、どこで食べようか。折しも今日はニューイヤーカップが行われる浦和へ足を運ぶ予定。そこで一軒のうどん屋に思い当たった。埼玉高速鉄道・新井宿駅前に最近開店したうどん店。その名も『ノーザンファーム』。

Northern_2 

昨年、社台ファームに50億円近い大差を付け、4年連続となるリーディングブリーダーの座に輝いた日本を代表する牧場がこんなところでうどん屋を営んでいたとは!

Korokke 

なーんて、あのノーザンファームなワケないですよね。むろん別物。でも、うどんは美味しい。十勝ポークも美味しい。羊蹄山コロッケも美味しい。さすが「ノーザン」を名乗るだけのことはある。

Udon 

2016年の初うどんを無事食べ終えて浦和競馬場へ。すると10Rに浦和では珍しいハービンジャーの産駒を見つけた。

エフティベスはノーザンファーム生産の4歳牝馬。桜花賞とオークスで共に2着したエフティマイアの娘だから良血と言っていい。むろんこちらの「ノーザンファーム」は、皆さんご存知のあのノーザンファーム。おとといのJRA開幕日には、中山・京都に大挙42頭の生産馬を送り込み、たった1日で5勝を荒稼ぎした。5年連続リーディングに向け絶好のスタートを切ったその勢いに、ここはひとつ乗っかってみようか。

Baken 

しかし残念ながら結果は7着。ノーザンの生産馬だからって、なんでもかんでも勝つわけではない。ちなみに勝ったのは1番人気のトーセンセラヴィ。ダートグレード6勝のトーセンジョウオーの娘。良血という点ではこちらも負けていなかった。

Tosen_2 

 

***** 2016/01/07 *****

 

 

 

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2016年1月 6日 (水)

肉フェス in 東京競馬場

昨年末の有馬記念当日のこと、東京競馬場(パークウインズ)をぶらぶら歩いていたら、こんな案内板が目に留まった。

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案内板に従って馬場内に行ってみると、なんと「肉フェス」を開催中ではないか。駒沢公園やお台場では見かけるが、競馬場での開催となると聞いたことがない。

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ともあれ、さっそく食券を購入し……、

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並んだ先は……、

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そう、春秋の肉フェス本戦で4連覇中の『門崎熟成肉・格之進』さん。昨今の熟成肉ブームの火付け役となったお店でもある。

熟成とは食品を貯蔵している間にさまざまな変化が起こり、味や香りが良くなること。昔はチーズなどでしか聞くことがなかったが、昨今はむしろ食肉用語の感が強い。霜降りよりも赤身が好まれる昨今の健康志向も後押しして、熟成肉ブームは留まるところを知らない。

熟成が進んだ肉は酵素のたんぱく質の分解が進み、核酸系のうまみ成分であるイノシン酸がたくさん生成され旨味が増す。同時に肉の繊維も軟らかくなりから一石二鳥だ。だが、さらに時間が経過すると、イノシン酸自体の分解が進み、別の物質に変わってしまう。結果、旨味は山型のカーブを描いて低下してゆく。つまりはその見極めが大事ということになる。

実際に食べてみれば、なるほど旨い。外側の焼けた部分の香ばしさ。ココナッツにも似た赤身独特の香り。さらに適度な弾力と歯応え。大昔の馬券発売窓口の1番人気を思わせる、その圧倒的な人気ぶりもこれなら頷けよう。なにせ他の店舗は肉の枚数増量をアピールしているのに、客がひとりもいなかったりするのである。私は穴党を自負する人間だが、ここでは本命に走ってしまった。だが、そのことを悔いるつもりはない。

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課題を挙げるとすれば価格であろうか。この分量で1400円。他の肉フェスと同じ価格設定とはいえ、諸物価高騰の競馬場にあっても割高感は拭えない。2店ハシゴで2800円。100円ずつの馬連BOXで8頭も選べてしまう金額に、「肉フェス」を知らぬ競馬ファンは一様に驚きを隠そうとしなかった。寒空に20分の行列の果てにようやく皿を受け取って、「これじゃあ足んねぇよ!」の声も。「肉足りてる?」の宣伝文句は、競馬ファンにはイマイチ伝わらなかったようだ。でも、またやってください。

 

***** 2016/01/06 *****

 

 

 

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2016年1月 5日 (火)

【競馬を読む④】夏目漱石

我が国にも競馬を愛した小説家は少なくない。代表格は文藝春秋社や直木賞を創設した菊池寛。競馬ファンにとっては「無事是名馬」の金言で知られる。

吉川英治は「ケゴン」や「ノワケ」、吉屋信子は「クロカミ」や「イチモンジ」という馬を所有する馬主であった。作家のネーミングは概してセンスが良く、ターフに清々しさを響き渡らせてくれる。山口瞳は毎週欠かさず東京競馬場のA指定席の行列に並んでいたし、直木賞を受賞されたあとでも、競馬場のスタンドに浅田次郎の姿を見かけない週はない。

では果たして、菊池寛以前の文学界において、競馬はどのような位置付けにあったのだろうか?

夏目漱石の「三四郎」には、少しばかり競馬のエピソードが顔を覗かせている。佐々木与次郎が広田先生から預かっていた20円で馬券を買って、しかも全額スってしまったので、三四郎が20円を貸してやるのだが、その金もなかなか返してもらえないというのである。

実はこの当時、政府による馬券発売の黙許政策が実施されたばかりだった。おかげで全国各地で競馬が盛んに行われるようになるのだが、一方で与次郎のような不祥事事件があとを絶たず、わずか2年で馬券を伴う競馬は中止に追い込まれている。漱石は、自らの小説に世事を織り込むのが巧みだったと定評があるが、これなどはその典型と言えるだろう。

また、英国留学中の1901年の日記には、「今日はダービーが行われるので我が家の付近は大騒ぎだ」という趣旨の記述も見られる。漱石は英国のエプソム街道沿いに住んでいた。日本で言えば大國魂神社の裏手あたりに住んでいるようなもので、その狂騒ぶりは容易に想像できる。

漱石自身が競馬に興味を抱いていたかどうかは知るよしもないが、サラブレッドの3大始祖やエクリプスなどについて漱石が書いたと見られる英文原稿の存在は確認されている。ただし、その文体から見ておそらく英国内の出版物を転記したものであろうとも言われる。

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漱石は実は密かな競馬ファンであったのではないか?

私としてはそう願わずにはいられない。「一度でいいから本場のダービーを見てみたいものだ」と敢えてエプソム近郊の下宿を選び、競馬禁止令下の米国から渡ってきたヴォロディオフスキーがダービーを勝つ姿を目の当たりにし、しかもその単勝馬券を的中させ、エプソムの青空に喝采を叫んだ―――。

あの風貌からはとても想像もできないような漱石像がそこにはあったのではないか? でなければ、バケツに「馬穴」の当て字を好んで使ったその理由が分からぬ。漱石の当て字好きは有名だが、だからと言って「穴馬」を連想させる字をわざわざバケツに当てるだろうか。今も競馬場に集う現代の大作家たちの姿を見るに、そうであったところで、何ら不思議はないように思うのである。

 

***** 2016/01/05 *****

 

 

 

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2016年1月 4日 (月)

【競馬を読む③】コナン・ドイル

サマセット・モームも、チャールズ・ディッケンズも、どういうわけか競馬を書かなかった。競馬の宗家でもある英国において、競馬を扱う文学作品を残したり、競馬そのものに心酔した作家が少ないのはいったいに何故であろうか。コナンドイルの推理小説「シャーロック・ホームズ」シリーズでも、競馬が舞台となるのは二度しかない。

そのうちのひとつが1892年に発表された「シルバーブレイズ号事件」。

大レースの「エセックスカップ」に出走予定の大本命馬シルバーブレイズが、レースを1週間後に控えて行方不明となる。その捜索中、厩舎から1/4マイルほど離れた藪の中で同馬の調教師ジョン・ストレイカーの死体が発見された。そこで馬主であるロス大佐の依頼を受けたホームズの登場となるわけだ。

例によって、無能な警部の罵倒と嘲笑を尻目に、彼は天才的な推理を繰り広げて事件を解決する。その詳しい結末は本書を読んだことのない方のために控えるが、この推理の鍵となる競馬場のシーンにいささかの問題があり、多くの人々から非難の砲火を浴びてしまうのである。

特に、馬主が知らないままその所有馬が重賞レースに出走したり、馬の額にある白斑が塗りつぶされたままレースに出走するということは、出走登録や個体識別の制度が確立していたこの当時の英国競馬ではあり得ないことであった。

「大レースの本命と目される馬であるならばなお係員にそのような不手際が入り込む余地は無く、一介のファンですらその不自然さに気がつくはずだ」

そう声高に批判したのは特に競馬主催者たちであった。これにより、図らずもコナン・ドイルが実は競馬についてほとんど無知であることが、明らかとなってしまったのである。

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さすがに懲りたのか、これ以降ホームズが競馬絡みの事件に首を突っ込むことはなくなるのだが、シリーズの最後になって、とある牧場から依頼が舞い込んできた。ダービー出走予定馬ショスコムプリンスのオーナーであるロバート卿が発狂したらしい、というのである。

「ねえ、ワトソン君。きみは競馬が好きかい?」

ホームズはワトソンに尋ねる。

「好きかだって? 私は年金の半分を競馬に突っ込んでいるよ」

この一言にホームズはようやく重い腰を上げ、緻密な調査と鮮やかな推理の末、みごと事件を解決。同時に35年前の汚名返上をも果たしたのである。

 

***** 2016/01/04 *****

 

 

 

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2016年1月 3日 (日)

【競馬を読む②】アーネスト・ヘミングウェイ

有馬記念当日の阪神メイン・カウントダウンSに出走したネオユニヴァース産駒のヘミングウェイは7着に敗れた。しかし、半年ぶりの競馬だったことを思えば上々であろう。

一方、ノーベル賞作家ヘミングウェイは、パリのオートウィユ競馬場をこよなく愛したことで知られる。1920年代当時の彼は、作家を志して貧苦に耐えていた。にもかかわらず、彼はヒマさえあればオートウィユに脚を運び、僅かな手持ちの金さえも溶かしてしまう毎日を繰り返していたという。

ところが、あまりに熱心に競馬場に通い詰めたおかげで、いつしか競馬場の時計係を任されるほど関係者と親しくなり、ついにある調教師から「1世紀に1頭の名馬」という勝負馬の情報を教えてもらう。「借金してでも、盗んでもいいから、ありったけの現金をかき集めて、この馬のデビュー戦に全額賭けるんだ」。調教師はヘミングウェイにそう言った。

繰り返すが、当時のヘミングウェイは赤ん坊のミルク代も捻出できないほど生活に窮していたわけだが、それでも彼はあらゆる持ち物を現金に替え、行きつけの理髪店の主人から1000フランを借り、挙げ句の果ては見ず知らずの通行人に向かって「金を貸してくれ」と言い出してまで金を集め、その“世紀の名馬”に賭けた。結果は見事的中。「この儲けで8ヶ月生活できた」そうだが、その8ヶ月間が過ぎると再び元の困窮生活に戻ったことは言うまでもない。

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時代は変わって1940年代を迎えると、念願叶ってヘミングウェイは文学界のヒーローとなった。暗黒の時代はとうに過ぎ去り、彼のきっぱりしたクリスプな文体と力強いメッセージこそが、新時代の人々が求める文学だったのである。

それでも彼は競馬から離れることはなく、知り合いの新聞記者と一緒に競馬予想会社を立ち上げ、自らも馬券に大金をつぎ込む生活を相変わらず続けていた。そのさなかの1954年、ついにノーベル文学賞の栄誉に包まれることになる。

「競馬は人生の縮図である」

彼の残した言葉の重みが、最近になって身にしみるようになった。ノーベル賞作家の言葉だからではない。微妙な選択が大きく明暗を分ける競馬は、まさに人生そのものではないか。発券機の手前で気が変わって泣きをみるのは日常茶飯事。連単を買えば裏目で決まるし、流し馬券を買えば抜け目が飛んで来るものである。満点のない試験のくり返しの日々。だが、なぜかそれを進んで受け入れてしまうあたりが、競馬の不思議な魅力であろう。

 

***** 2016/01/03 *****

 

 

 

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2016年1月 2日 (土)

【競馬を読む①】ディック・フランシス

悲しいことだが、競馬において、死はめずらしくない―――。

ディック・フランシスの小説『再起』の書き出しの1行である。彼の小説は、最初の1行で既に“何か”が起きている。そして読者は、瞬く間に彼のミステリの世界に引きずり込まれてしまう。

毎年クリスマスに新作を発表し、一年後に邦訳版が早川書房から出版されていたことから、英国人は毎年のクリスマスプレゼントとして、また我々日本人は「寅さん」とか「釣りバカ日誌」のような年末年始恒例の娯楽として、彼の新作を毎年楽しみにしていた。

絶筆となった『矜持』の日本語版が出版されて5年。いまだ“フランシスロス”から立ち直れないファンは多かろう。実は私もその一人。なので仕方なくシリーズ1作目の『本命』から読み直しを始めた。今年は5作目の『飛越』の年。やはり正月はコタツにみかんとフランシスに限る。

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小説家の経歴はいろいろだが、アマチュアはともかく、プロのスポーツ選手だったという人はそうそういるものではない。

ディック・フランシスは障害ジョッキーとして、1953~54年のシーズンで英国リーディングの座を獲得したプロ中のプロのスポーツ選手である。

だが、彼の夢は小説家になることではなく、おそらくはグランド・ナショナルを優勝することであったはずだ。そんな彼の思いは、小説の端々から酌み取ることができる。

1956年のグランドナショナルに、彼は女王陛下の持ち馬デヴォンロックで出場した。最終障害を先頭で飛越。優勝は確実と思われたその瞬間、ゴール直前で馬がへたり込むように転倒して、競走を中止してしまったのである。馬が何かに躓いたわけではない。騎手がバランスを崩したわけでもない。それなのに、なぜか馬が腹這いになるように倒れ込んでしまったのだ。今も英国で語り継がれる『デヴォンロックの謎』である。

翌年、フランシスは現役を引退する。

その後、新聞の競馬担当記者を経て、1962年にミステリー小説『本命』で作家デビューを果たすと、昨年まで40作以上もの長編ミステリー小説を発表し、世界中のファンに愛されてきた。

彼の小説では原則的に毎回主人公が異なるのだが、『大穴』『利腕』『敵手』そして『再起』の四作品に登場した主人公「シッド・ハレー」は例外的存在と言える。ディック自身も愛着を持つキャラクターであったらしい。レース中の事故で片腕を失った男の再生と挑戦を描く物語は、まさしく彼の競馬小説の原点だった。あるいはシッド・ハレーこそが、実はディック・フランシス本人であったような……、そんな気さえしてくるのである。

 

***** 2016/01/02 *****

 

 

 

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2016年1月 1日 (金)

謹賀タンメン

「あけましておめでとうございます!」

「良いお年を!」と挨拶しまくった昨夜の大井から16時間。場所を川崎に移して、昨夜の相手に「あけましておめでとうございます!」と挨拶しながら歩くのは、南関東における年末年始の風物詩。2016年最初の競馬が間もなく始まる。

その前に腹ごしらえ。何年かの正月にこの川崎競馬場でタンタンメンを食べて、ちょっとがっかりした覚えがある。新年最初の軸馬とメニューの選択は失敗したくない。となれば、勢い無難な本命サイドに走ってしまうのが人の性(さが)であろう。

Miyoshi 

そんなわけで今年最初の食事は川崎名物のタンメン。川崎競馬の食事においては本命中の本命とも言うべき存在だが、実は現在の店舗で食べるのは初めてだったりする。

今はなき3号スタンドに店を構えた『くにともタンメン』の当時はよく食べた。現在、2号スタンドで営業する『みよし』は、かつての『くにともタンメン』のレシピをお弟子さんが守っているのだという。看板には「みよし タンメン 600(円)」とあるのみ。タンメン一品にかける意気込みがひしひしと伝わってくる。

鶏ガラと豚骨を6時間煮込み、化学調味料はいっさい使わないというこだわりのスープをまずひと口。ダシのうま味と野菜の甘みが冷え切った身体に浸み渡る。麺は細目の縮れ麺。できれば太麺でいただきたいところだが、時間の制約のある競馬場の店舗にそこまで求めるのは酷であろう。大き目に切られた野菜や豚肉たちも存在感を失っていない。途中から自家製の辣油を投入すると、辛さと香ばしさが増してまた別の味が楽しめる。このチョイスは正解だった。

Baken 

この感じだと馬券のチョイスも冴えわたるるかもしれない。それで、トキノライメイの1着固定の3連単で川崎1Rを買ってみた。2016年の運だめし。さあ、その結果は……。

1r 

なんと的中!

はっはっは。これは2016年は私の年かもしれませんね。こうなったら今年は馬券を買いまくって大儲けだ!……と思ったが、やっぱりヤメておこうか。もしこれで馬券をきっぱりやめれば、少なくとも2016年はトータルプラスで終えることができる。

―――なんて新年早々負け犬根性全開じゃないか! いかん、いかん。珍しく新年一発目の馬券が当たってしまい、どうしていいのか分からん。むしろハズレてくれた方が安心できるんだよね。情けない話だけど。

ともあれ今年もよろしくお願いいたします。

 

***** 2016/01/01 *****

 

 

 

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