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2015年12月15日 (火)

歴史と伝統の2歳重賞

今週末に行われる朝日杯フューチュリティステークスは、数えて第67回目。戦後に制定された重賞の中では3番目に古い。

第1回は1949年の暮れに行われた。今はなき中山芝1100m戦。レースは1番人気アヅマホマレが1分7秒3のタイムで優勝している。

ちなみにこのレースには翌年のダービーを勝つことになるクモノハナも出走していたが、あろうことかしんがり負けを喫してしまった。さすがに1100mという距離はダービーを占うには短かったのかもしれないが、翌年にはトキノミノルが同じ距離の朝日杯を圧勝し、無敗のまま日本ダービーを制している。

朝日杯が始まった翌50年には川崎競馬場が開設。さっそく、その年の8月に「第1回全日本三才優駿」が実施されている。したがってこちらは今年が第66回目。中央地方を問わず2歳重賞の歴史は案外深いのである。

こちらも今はなき川崎ダート1200m。勝ったのは、のちに中山の金杯などを勝つサチフサという馬で、8馬身差の圧勝であった。ちなみにこのレースからは、第8回の覇者ダイゴホマレが翌年の日本ダービーを制している。

World

全日本が中央地方全国指定交流競走に指定された97年には、アグネスワールドが朝日杯と全日本の両方のレースに出走し、全日本を1番人気で制した。この年の全日本は12月29日の実施ということで、朝日杯から十分な間隔(中21日)が取れたことが大きい。その後、全日本は日程が前倒しになる傾向にあり、逆に朝日杯の方は有馬記念の前週に日程変更されたことで、今では両レースへの参戦はほぼ不可能となっている。05年にフィールドカイザーが中9日で連戦したのが最後だ。

ところで、97年当時の南関東では、暮れになると2場で同時開催が行われるのが通例だった。川崎がアグネスワールドの勝利に沸いている頃、多摩川を挟んだ対岸の大井では暮れの名物レース「勝島オープン」が行われていたと記憶する。しかもどちらかと言えば、大井がメイン開催で川崎は裏開催的存在だった。それゆえ全日本が行われている川崎には、的場文男や内田博幸といった名手は不在。川崎の至宝・佐々木竹見さんですら大井で乗っていたのである。

97年の全日本3歳優駿当日の川崎競馬場の入場人員は1万9530人。売り上げは12億8889万7100円。一方、同じ日の大井のそれは2万3697人で16億2684万5100円である。あれから20年も経たぬのに、昨今では信じられない数字。明日の川崎には、果たしてどれくらいのお客様が来てくれるだろうか。

 

***** 2015/12/15 *****

 

 

 

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