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2015年11月15日 (日)

ドーピングと政治

ロシアのドーピング問題が連日報じられる中、ついに国際陸連の臨時理事会でロシアの資格停止処分が決定された。暫定的措置とはいえ、このままではロシアは来年のリオデジャネイロ五輪に参加できなくなる。これに対し、ロシア国内では「政治的な決定だ」と反発する動きが広がっているというが、そもそもドーピング問題とは政治問題にほかならない。過去にドーピング問題を報じた新聞・TVの扱い方を見ても、それは明らかだ。

スポーツ選手に対する薬物検査は1986年のグルノーブルの冬季五輪から実施されたが、1930年代の米国では既に競走馬に麻薬や覚せい剤を投与されるケースが問題となっていた。そういう意味では、こと薬物問題に関しては競馬の方が歴史が深い。そもそも「ドーピング」という言葉自体が、競走馬への薬物投与を指す言葉がスポーツ界に転用されて広まったもの。その語源はアフリカの原住民が祭りの景気づけに飲んだ酒「ドップ」に由来する。

Dirt 

それにしても、米国における競走馬への薬物投与への感覚は緩いと言わざるを得ない。なにせウマにバイアグラを投与するお国柄である。ラシックスを認める認めないの議論も、未だ出口は見えていない。

ラシックスは東海岸の競馬場ではかつて禁止されていた。だが、そのせいでラシックスを認める西海岸から有力馬が参戦してこない。これは困った。どうしよう。それで仕方なく認可に踏み切ったのが1996年。今では全米のほとんどの競馬場でラシックスの使用が認められている。対象が人間であろうが競走馬であろうが、薬物問題を左右するのは人間の思惑である。

断っておくが、私はドーピング推進論者ではないし、ロシアの肩を持つものでもない。誤解のなきよう願いつつ、読み進めていただければ幸いである。

そもそも、オリンピックで使用される陸上トラックはその素材にも構造にも時代の最先端技術が駆使されており、それが好記録を生む下地となる。競技者が履くシューズも同様であろう。水泳競技ならスピード社の「レーザーレーサー」を思い出してみるといい。スピードスケートのスケート靴、ノルディックスキーのスキー板やワックスもしかり。そこには莫大なコストと科学技術の粋が惜しみもなく投下され、ありとあらゆるものが徹底的に人工化されている。

だけど、人間の身体に対して人工的に手を加えることは許さない。自然のままで置いておけという。それがアンチドーピングの根本である。だが、果たして実際にそんなことが可能だろうか。

それを可能だと主張するのが、米国一流の「人間中心主義」であろう。人間は他の動植物とは違う特別な存在である。だから人間はダメ。でもウマに薬物を投与することは一向に構わない。そんなものは倫理でも論理でもない。

古くは東欧諸国が、近年ではロシアや中国がオリンピックで好成績を挙げた。それを助けたのがドーピングとされる。そういう意味でドーピング問題は倫理でも論理でもなく、やはり政治の問題であった。もともと自然とドーピングに明確な境界はない。境界がないところに線を引くのが政治である。ラシックスは去年までNGだったが、いろいろあって今年からOKとなりました。これが政治的でなくて何なのか。気の毒なのはそれに振り回されるウマである。人間なら多少なりとも自分の意志に基づいて薬物に手を染める。だが、ウマにそれを拒む手立てはない。

 

***** 2015/11/15 *****

 

 

 

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