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2015年2月27日 (金)

悲しい金曜日

いったい何があったのか? 分らないことが多すぎる。慎重に記憶を辿り、たとえわずかな手がかりでもと思いを巡らせたところで、結局推測の域を出ることはない。

だから後藤浩輝騎手の突然の訃報について、原因だとか、周囲への影響とか、なぜこのタイミングなのかとか、そういったことを考えるのはいっさいやめておこう。そんなことをしても自分が辛くなるだけである。

2012年には小島貞博調教師と青木芳之騎手が、翌13年には元騎手で当時は厩務員をされていた平目孝志氏が自殺した。地方競馬を含めればもっとたくさんの競馬関係者が自ら命を絶っている。それだけ因果な商売ということか。他の競技で選手・監督の自殺という話をこれほど聞くことはない。競馬サークルは特殊な世界。それは分かっているつもりでも、この数字は目に余る。

しかもこうした傾向は何も日本に限った話ではない。中でも有名なのは英国における伝説的騎手、フレッド・アーチャーの悲劇であろう。

1857年に生まれたアーチャーは、弱冠12歳で初勝利を挙げると、早くも17歳で2000ギニーを勝ち、クラシックレース初制覇。ダービーを制したのは20歳の時である。通算8084戦2748勝。3割4分という驚異的な勝率を誇り、「馬と話せる男」の異名を取った。

クラシックレース通算21勝、チャンピオンジョッキーに輝くこと13回。20代の騎手とは思えぬ成績を残したことを思えば、もし順調に騎手を続けていれば、不滅の大記録を樹立していたに違いない。しかし悲劇は29歳の秋に突然訪れた。病気療養中だった彼は、病室で「やつらが来たか」と呟くと突然拳銃を取り出し、自分の頭を打ち抜いてしまったのである。

馬と心を通わすことを神から特別に許された人たちの行動は、私などには到底理解できるものではないのだろうか―――。

週末の出馬表から後藤騎手の名前が消えていることをJRAのサイトで確認していたら、中山記念の文字が目に飛び込んできた。2007年にローエングリンで後藤騎手が勝ったレースである。

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2年間も勝利から見放されて苦しんでいたローエングリンと久々のコンビを組み、見事な逃げ切り勝ち。しかも、それが師匠・伊藤正調教師の400勝という節目の勝利にもなった。その目はゴーグルに隠されてはいたけれど、引き揚げてきた彼が涙ぐんでいたことを私は知っている。あるいはこの時、後藤騎手はローエングリンと心を通わすことができたのかもしれない。

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あの中山記念から8年。今年はローエングリン産駒のロゴタイプが出走するではないか。ローエングリンで重賞を3勝した後藤騎手が、その種牡馬入りに果たした役割は決して小さくない。そう思うと、やっぱり「なぜ」と思ってしまう。思ったところでどうしようもないのだけど……。

 

***** 2015/02/27 *****

 

 

 

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