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2015年1月10日 (土)

賀状の知らせ

正月も10日を過ぎれば、自宅に届く年賀状もボチボチ打ち止め。今年は枚数が例年より少ない気がする。そのぶん暮れに届いた喪中の欠礼状がやたらと多かった。そういう年もある。いや、自分の歳を顧みれば、これからはずっとこんな感じなのかも知れない。新年早々テンションが下がる。

年賀状で訃報を知ることもある。それも人間ばかりではない。苫小牧の知人から届いた賀状には「ユウトウセイ死去、残念の一言」とあった。昨年2月のことだという。知らなかった……。年賀はがきの束を手にしばし固まる。

1997年の京都記念を8歳にして勝ったユウトウセイ(父・マグニテュード)の競走生活は、両前脚トウ骨の骨膜との闘いでもあった。4歳3月にようやくのデビューを果たし2着と好走するも、間隔をじゅうぶんに空けないとレースを使うことができない。やきもきしながら手にした初勝利は未勝利戦も最終盤の10月福島である。その後も半年から1年の休養を挟むこと3度。京都記念を勝った時、「欠席が多いので優等生ではない」と笑っていた田中章博調教師の言葉は、冗談半分にしても本音も半分と捉えるべきであろう。8歳にして初めて掴んだ重賞のタイトルは、関係者の苦労の証でもある。

Yu1 

エアグルーヴが勝った天皇賞を最後に現役を退いたユウトウセイは、生まれ故郷の白老町の社台牧場に帰ると、細々と種付けをこなしつつ、のんびり余生を過ごしていた。生涯の種付け頭数は、のべ12頭。血統登録された産駒はわずか9頭に過ぎない。だが、そのうちの2頭がJRAで勝ち上がったばかりか、計7勝を挙げたのだから驚く。配合相手次第では……などと、つい考えてしまう。

だからといって、ユウトウセイが不遇だったと言うのではない。社台牧場の吉田善伍氏(故人)は、自宅の一部を改造してファンからの手紙や写真などを展示するメモリアルコーナーを作り、そこでユウトウセイを目当てにやってきたファンと言葉を交わしていた。話が尽きると馬を連れ出し、顔を撫でさせ、最後にはファンと馬のツーショットを撮ってあげる徹底ぶり。カメラを持参しないファンがいれば、自宅から愛用の一眼レフカメラを持ち出してきて撮影し、現像して、きちんとアルバムに入れて送ってあげていた。

Yu2 

多くの人に愛されたユウトウセイは幸せだったに違いない。老いてからは、パドック脇に見学者の姿を見つけると、自らゆっくりと近づいて愛想を振りまくこともあったという。「優等生」の名に恥じぬ晩年だった。

 

***** 2015/01/10 *****

 

 

 

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コメント

ああ、そんな話があったんですね。
人と馬、やはり、色んなつながりが…現役時も引退後も。
馬にとって、なにが一番幸せなのか。考えさせられるエントリーでした。

投稿: さっさん | 2015年1月11日 (日) 23時50分

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