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2014年11月10日 (月)

ふたりの直木賞作家

ここのところ本を読んでばかりいる。別に読書週間だったからではない。家で過ごす時間が増えたのは良いが、特段することもないので、新書、古本、文庫本の類を問わず片っ端から頁を繰っているのである。なんとなく閉じ籠もりの症状に似てなくもない。とはいえ、私は若い時分にあまり本を読まなかった―――読んだという自覚がない―――ので、これでやっと帳尻が合う程度ではないだろうか。

「鷺と雪」で第141回直木賞を受賞した作家の北村薫氏は、私の高校の先輩であり、また恩師でもある。熱烈な阪神ファンでもあった先生とは、毎日のように野球談議で盛り上がったものだが、ある日の会話で「山口瞳先生の作風は名人芸。野球の話も多いから読んでみたらいい」と言われ、それならと手に取ったのが当時ちょうど新刊の「草競馬流浪記」であった。

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既に私は熱心な競馬ファンであったが、いま思えばこの一冊が私の競馬ファンとしての方向性を規定した感は否めない。すなわち地方競馬贔屓と旅打ち嗜好である。今も「山口瞳はあの競馬場をどう書いてたっけ?」という具合にパラパラと頁をめくることがしばしば。そういう意味でも、この本はやはりバイブルであろう。

それを30年ぶりにあらためて通読してみた。

関越道も、東北や上越の各新幹線も、ようやく一部開通したという当時の流浪旅である。開催日や最寄駅をネットで簡単に調べることもできない。むろん馬券は単複枠連のみ。場内にはノミ屋やコーチ屋がたむろしており、八百長に対する緊張感も漂っていた。だが、いちばんの問題は競馬の社会的認知度が今とは比較にならぬほど低かったことにある。そんな時代に「直木賞作家による全国公営競馬28場制覇」などという企画が立ち上がったこと自体が、そもそも奇跡に思えてならない。

この途方もない企画の発案者は作品の中にも登場する「スバル君」。当時の交通公社が発行していた雑誌「旅」の編集者として、山口氏の取材旅行にも同行していた彼だったが、8場目の連載を終えた時点で上層部から突然に担当替えを命じられた。左遷である。そのまま山口氏の「旅」への連載も打ち切られた。

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すなわち、競馬自体がそういう扱いを受けていた時代だったのである。その後、新潮社に河岸を変えて企画は続行。ついに28場制覇は達成された。そんな苦労を乗り越えてようやく世に出た一冊だと知ったのはつい最近のこと。思いを新たにしながら読んだ感想は「面白い」のひと言に尽きる。名古屋競馬場の騎手が着用していた「枠服」なんてのも、以前は興味もなかったのに、今では「ああ、そうだそうだ」とつい膝を叩いてしまった。発刊から30年後にこれだけ読み応えを感じる紀行文というものを、私はほかに知らない。

ちなみに、この「膝を叩く」というアクションは、高校教諭時代の北村薫先生の得意技だった。これが出ると教室はドッと沸く。直木賞作家となられた今の居住まいからは想像できないかもしれない。だが、北村先生はもともと演劇部。身体のキレと発声の素晴らしさは、圧倒されるものがあった。

 

***** 2014/11/10 *****

 

 

 

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