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2014年8月 9日 (土)

夏と言えば旅打ち

暑くなるとカレーが恋しくなるのは世間一般の傾向だろうけど、暑くなると旅打ちに出たくなるのは競馬ファン特有の傾向かもしれない。

私とて例外ではなく、旭川、盛岡、水沢、上山、園田、高知、佐賀、荒尾といった地方競馬場を思い浮かべれば、その景色は決まって夏の光景である。実際には真冬の水沢なんかにも行ったことはあるのだが、仕事で渋々行くのと、「行きたい!」と思い立って自発的に行くのとでは、きっと脳に与える刺激が違うのであろう。

Keiba 

旅というのは限定された非日常体験である。

限定されていなければ最終的にそれは日常化してしまうわけで、帰るべきところがないまま彷徨い続けるのは、「旅」というよりむしろ「放浪」であろう。見知らぬ土地で見知らぬ人に囲まれることによって、アイデンティティーを喪失した旅人は単なる一個体の人間と化す。それを体験する行為が「旅」に他ならない。

よく「自分探しの旅」などというフレーズを耳にするが、旅の目的が非日常、すなわち自己脱却にある以上、「自分探し」と「旅」は背反する行為である。自己とは日常に埋没しているものであり、非日常の世界に自己を探しに行ったところで何も見つからないか、あるいは何か間違ったものを見つけて帰るのがオチである。

Keiba2 

ところで私は、究極の自己脱却はギャンブルだと考えている。

自分が汗水流して稼いだ金を、馬やトランプやゲーム機に食わせるという行為は、冷静に考えて尋常ではない。すなわち非日常である。よく競馬場では「遊びで」とか「応援で」などと言いつつ、むざむざ1000円を捨てるシーンを見かけるが、これなども非日常だからできる行為。日常に戻れば1000円を捨てることは(少なくとも私は)できない。1000円というのは家族4人がその日食べるものに困らない額であるし、バイトで1000円稼ぐのだって大変なことだ。

人は非日常を求めて旅に出る。その旅先にギャンブル施設があれば、足を運ぶのはごく自然な流れなのだろう。そこは自己喪失を具現させてくれる非日常の極みとも言える世界だからだ。

だから「お台場カジノ構想」には、私は些かネガティブな思いを抱いている。外国人観光客相手ならともかく、日本人にとってお台場はあまりに日常に過ぎると思うのである。

 

 

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