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2014年8月20日 (水)

【訃報】タイキブリザード

1997年の安田記念を制したタイキブリザードの死亡が伝えられた。ナリタブライアンと同期の23歳。外国産馬のためクラシックには出走できなかったが、競馬評論家の故・大川慶次郎氏は「ナリタブライアンを破る可能性があったのはタイキブリザードだけ」と、当時からその素質を高く評価していた。そのナリタブライアンと同じ胃破裂でこの世を去ったというのも、何かの因縁だろうか。

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大川氏と同様にこの馬に惚れ込んでいたのが、同馬を管理した藤沢和雄調教師。ブリーダーズカップ・クラシックに2年続けて挑戦したのも、米GⅠ6勝の名馬シアトリカルの半弟という血統背景のみならず、そもそもこの馬の素質がワールドクラスであると確信していたからに違いない。しかしその結果は13着しんがり負けと、勝ち馬から27馬身も離された6着と、いずれもほろ苦いものだった。

しかし、その苦い経験は1年後のドーヴィルで実を結ぶ。僚馬タイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞を制覇。このとき、調教師も、騎手も、厩舎スタッフも、みな「タイキブリザードの経験が糧になった」と口をそろえた。タイキシャトルの歴史的快挙は、タイキブリザードが道を開いたと言っても過言ではない。

タイキブリザードに関して特筆すべき事項が、もうひとつある。それは外国産馬は総じて早熟だと思われていた時代に、3年連続で安田記念に出走して3、2、1着と年齢とともに着順を上げたことだ。同一GⅠに3年連続出走し、3度目の正直で勝利を手にしたのは「奥手」の代名詞でもあるグリーングラスだけである。関係者はもちろん、多くのファンも、彼の走りを見て「外国産馬」に対する見方を変えざるを得なかった。そういう意味で彼の存在は期を画する。

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だが、それが種牡馬としては足枷になった感も否めない。2歳の早い時期から使い出したいという期待に応えることができなかったことが、早々と種牡馬に見切りをつけられる一因になったとされる。

思えば、彼もデビューは4歳(旧表記)まで待たなければならなかった。初重賞制覇はさらに遅く6歳春の産経大阪杯。しかし、国内21戦のうち、掲示板を外したのは引退レースとなった97年有馬記念のみ(9着)という安定した成績こそが、彼の素質の高さを裏書きするものであろう。冥福を祈る。

 

 

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