« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »

2014年8月31日 (日)

人事

内閣改造と自民党執行部人事はいよいよ大詰め。TPP交渉やカジノ解禁問題のみならず、ギャンブル税構想を口にする政治家もいる昨今とあっては、普段は世間の人事などに興味がない私でも、その動向が気にならないでもない。まあ、ギャンブルをあてにするようになったら政治家もおしまいですね。「競馬のあがりなどに期待しやせぬ」と言い切ったのは、かの田中角栄である。

ギャンブルとしての競馬がファンの心を捉えてやまないのは、人智の及ぶ処と及ばざる処の割合が絶妙だからであろう。人智の及ぶ処はいわゆる「技量」や「知識」であり、及ばざる処は神の領域、すなわち「運」である。

「運」がすべてを支配するギャンブルの代表格は宝くじだが、競馬ほど病的かつ慢性的かつ執着的なファンは少ない。逆に「技量」がすべてを決める将棋やチェスで、賭ける行為は原則として行われない。熱心なファンが多い麻雀や競馬は、勝てば自分の選択が正しかった信じ、負ければツキがなかったと諦めがつく点が優れている。まさに「技量」と「運」のバランスの妙である。

この両者のバランスは、実は我々の人生にも通じ合っている。人間が生きていくには「技量」や「知識」が欠かせないが、それでもしばしば「運」という名の天使に翻弄される。いかに高度な分析や確率論上の担保を伴っていたとしても、それで予知不能なリスクをすべて避けられるわけでもない。

競馬も同様。戦績、時計、展開、血統をどれだけ分析したところで、想定外の出遅れや他馬による妨害に見舞われることだってある。だからといって、運を天に任してばかりで笑って帰れるほど競馬は甘い遊びではない。「人事を尽くして天命を待つ」ことこそ、競馬に臨む正しい姿勢といえよう。

とはいえ、ここで言う「人事」と、冒頭の政治家の「人事」とはまるで意味合いが違う。私は後者の人事にまるで関心がない。「誰々さんが部長になった」とか「お隣のご主人が転勤になった」とか言われても「ふーん」とか「へぇ」と曖昧な返事を繰り返すだけ。関心がないのではなく、関心を持たないことにしてきたのではないかとさえ思う。他人のことに関心を払えるほど暇でもない。人事の話が大好きな人には、「もっと自分のことを考えなさいよ」と言いたくなる。

だが、人事に関心がないと組織の中では損をする。これは間違いなかろう。「人事」を訓読みにして「ひとごと」と捉えていた私に、あろうことか人事が襲いかかった。明日付で仕事場が変わる。これまでのように、好きな時に競馬場に通うようなマネはできない。

そんなわけで、明日からこのブログはしばらくお休みさせていただくことにします。休載期間は9月いっぱい。その間は、日めくりで牧場の四季を題材とした写真を掲載いたします。TBSの番組「ナイナイのお見合い大作戦!」内の企画「ウチの村で働きませんか?」にて紹介された、北海道沙流郡日高町・広富牧場の美しい牧場風景をお楽しみください。

0831 

それでは再開まで失礼いたします。

 

 

| | コメント (1)

2014年8月30日 (土)

数学と写真

二子玉川の『とうあん』に大学の同窓生8人が集まった。札幌在住の一人が仕事で東京に来ていたので、ふんじゃまあ、せっかくだから集まろうか、となった次第。豆腐がウリの店だが、今日のところは岩牡蠣が美味い。

Kaki 

私以外のメンバーの勤務先は、全日空、富士通、NEC、日本IBM、損保ジャパン、朝日新聞社、日経新聞社と錚々たる名が並ぶ。電機メーカーが多いのは、我々の専攻が数学だったからにほかならない。30人ほどいた同級生の大半は、電機、銀行、保険といった業界を選んだ。だが、珍しいのはそのうちの1割に相当する3人もが写真の世界へとその身を投じたことである。あとから担当教授に聞いたところでは「こんな年は記憶にない」とのこと。おそらくよほど変わり者が揃ったクラスだったのだろう。

この歳になると「課長」とか「次長」とか、みな何かしらの肩書を持つようになるので、そうではない身にはどことなく肩身が狭い。それにしても、肩書を得ると外見まで肩書相応に見えるのは、いったいどういうワケか。「タヤスツヨシ」とか「キングカメハメハ」の名を最初に聞いたときは、「こんな名前じゃ、出世せんだろう」と思った。それなのに、その馬が勝利を重ねるごとにその違和感は徐々に薄れ、ついに「ダービー馬」の肩書を得ると、素晴らしい馬名に聞こえるようになったことと原理は同じかもしれない。

私の前に座る次長には度々仕事の電話がかかってきているし、隣の課長は「部下が仕事にハマってるみたいだから」と言い残して店を出ていった。この歳になってせっせと競馬場に通い、黙々とウマの写真を撮っている自分の立場を思うと、多少複雑な気持ちになってくる。

「写真を撮るのに数学が役に立ったことはあるのか?」

不意にそんな質問を投げかけられた。

287 

カメラマンとは、単に見た目が美しい写真を撮ることができる人間を指すわけではないと考えている。誰もが同じように見えているはずの光景に、違った理論を付加することができる。そんな能力を持つ人間こそ、真のカメラマンと言えるのではないか。

「美」と「理論」に結びつきがあるとは一般には信じられていまい。むしろ対極にあるものと思われているフシだってある。だが、とことん突き詰めていけば、「美」と「理論」はしばしば一致する。良い理論は美しいのである。

ここまで話せば質問の相手も納得する。理論の美しさ。それをもっとも徹底的に追及する学問が数学であることを、数学を学んだ者に説明する必要はない。だが、実際問題として、競馬場の現場で「ああ、数学が役に立っているなあ」と実感するのは、フォーメーションやマルチの買い目数が一瞬で計算できた時くらいだろうか。私個人は数学を写真に生かせているとは言い難い。成績悪かったからなぁ…。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月29日 (金)

アフター5スター賞

ちょいと遅くなってしまったが、おとといのアフター5スター賞の話。

ゴーディーの逃げ脚は直線に向いても衰えるところがない。これは逃げ切り濃厚か。しかし、サトノタイガーも外からしぶとく脚を伸ばしてくる。ジリジリと差を詰めて鼻面を合せたところがゴール。さあ、どっちだ!?

After5 

大方のカメラマンは「内が優勢」とゴーディーを狙ったが、写真判定は僅かの差でサトノタイガーに軍配を上げた。たとえハナ差の勝負でもカメラマンの目はたいてい正しい。そんなプロの目さえも覆すほどの敗戦だから、ゴーディーの的場文男騎手の悔しがりようはなまなかではなかった。レースのリプレイに見入って、なかなか検量室から出てこない。「ハナはハナでも相当ちっちゃなハナ」。その一言に悔しさが凝縮している。

さて、勝ったサトノタイガーは言わずとしれた浦和・小久保智厩舎の所属馬。先週のスパーキングサマーカップに続き、小久保師は重賞2連勝を果たした。この日の大井は最終レースも小久保厩舎のワンツー決着で、今年85勝目。3年連続の100勝超えは、もはや時間の問題だ。

小久保調教師は2005年の開業。それ以前は、岡部盛雄厩舎、浜村恵厩舎、村田貴広厩舎と渡り歩き、それぞれの調教師から馬の仕上げを叩き込まれてきた。さらにケンタッキーに渡って調教技術を学び、ニューマーケットにも足を運んでいる。その一方で、国内地方競馬の調教師にも目を向け、名古屋の角田輝也厩舎に転がり込んだこともあった。この貪欲さが現在の勝利数に結実しているのであろう。

「JRAのGⅠを勝ち、ゆくゆくは海外のレースにも挑戦したい」という小久保師の言葉は、道営でハッピースプリントなどを手掛けた田中淳司調教師のそれに似る。奇しくも二人は同級生。世界を見据える若きトレーナーは、地方競馬をメジャーにするために欠かせぬ存在だ。

ところで、アフター5スター賞のゴール入線直後の写真をあらためて見直したら、サトノタイガーの吉原騎手が、控えめながらカメラ目線をしていることに気が付いた。10センチにも満たない差とはいえ、本人はしっかり勝ちを確信していたのだろう。

Yoshihara 

 

 

| | コメント (0)

2014年8月28日 (木)

ナイキアクトレスの産駒たち

先週までの猛暑はどこへやら。20度そこそこの気温に細かい雨。大井競馬場には早くも秋の気配が漂っている。

Rain 

2レースを勝ったのはアジュディテイオー。アジュディケーティング産駒の牡馬は、大井で新馬を勝ったトリックトリートの半弟でもある。今日は走りやすい馬場も味方。昨年6月のデビュー以来13戦目にして訪れた初勝利は、なんと4馬身差の圧勝劇だった。

2r 

6レースは蛯名雄太厩舎2頭出しのうちの1頭、ナイキスパークルの完勝。

6r 

ナイキスパークルの母・ナイキアクトレスは大井2勝の成績でしかないが、母となって送り出した産駒6頭が南関東で通算31勝を挙げているからすごい。産駒の筆頭格は15勝を稼いだナイキアステップ。

Dsc05075 

ちなみにナイキアクトレスのお兄さんはあのナイキアディライト。東京ダービーなど重賞12勝の成績をひっさげて種牡馬にもなったが、その産駒の通算勝利数は中央地方合わせて21勝にとどまる。ちなみに今年の2歳世代となる2011年の種付け相手は1頭。しかも残念なことに不受胎だった。これでは妹に顔向けもできまい。

Naiki 

ナイキアディライト産駒の出走予定は当分なさそうだが、ナイキアクトレス産駒のナイキアフォードは、来週の船橋開催に出走を予定している。産駒通算32勝目となるのか、注目したい。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月27日 (水)

ねこや食堂@静内

静内市街から国道235号線を南下していると、自衛隊駐屯地の手前あたりの道路左側にこんな看板が見えてくる。

Nekoya1 

国道からは食堂の建物は見ることができないから、一見ではなかなか入りづらいかもしれない。いったいどんな料理を出す食堂なのか? しかし、どことなく『競馬食堂』にも通ずる響きもある。好奇心に引かれて国道沿いの駐車場に車を停め、奥にある建物を目指すと看板猫が出迎えてくれた。

Nekoya2 

引き戸をあけると、そこはまごうことなき住宅の玄関であった。靴を脱いで上がると、ダイニングキッチンに通される。椅子とテーブルがいくつか配されており、テーブルの上にはメニュー表。それを見て、初めてうどん店であることに気づく。

Nekoya3 

どれにしようかと悩んでいると、女性の店主が「こちらがオススメです」と壁を指した。

Nekoya4 

その一杯がこちら。北海道はアスパラとイカが美味しい時季だそうだが、なるほどそんな言葉を裏打ちする美味さ。瑞々しい歯応えのアスパラと、噛むほどに甘味を湛えるイカのマッチレースに、うどんの存在が霞みそうになるほど。そのうどんは自家製手打の平打ち。食べ進めるにつれ、ショートパスタのようになるのはご愛嬌か。昆布の効いたダシも出色だから、最後はレンゲにダシと一緒にすくって食べると良い。

Nekoya5 

千歳や早来には、本場さぬきに匹敵するような讃岐うどんを出す店が増えていて、うどん好きとしてはたいへん助かるのだけど、こういう一杯を出す店がこんなところに(失礼!)あるとは思わなかった。朝7時からという営業時間も、早朝から動くことの多い身にはありがたい。近いうちにまた訪れることになりそうだ。ちなみにご覧のとおり犬もいますので、犬好きの方も大丈夫です。

Dog 

 

 

| | コメント (2)

2014年8月26日 (火)

馬に効くのなら…

ある朝目覚めると、左肘に激痛が走った。

草野球の試合で投手を務めた翌朝に似た痛みを感じることがあるが、今回の痛みは利き腕の右腕ではないし、そもそも野球をした覚えもない。寝違えだろうかと1週間ほど我慢してみたが、痛みはむしろ増した感がある。やむなく医者へ。肘を伸ばしたり、曲げたり、押したり、引っ張ったりした挙句、医者は「関節炎ですね」と告げた。出された湿布をとりあえず貼ってみたが、改善する兆しはまったくない。

今日に至って左腕でペットボトルを持つのもままならなくなり、いよいよ事態は切迫。それでグルコサミンとコンドロイチンの両巨頭に頼る決断を下したのである。このようなサプリメントを自ら購入したのは初めて。意外に高いんですね。

Dsc_1483 

それにしても、よもや自分がこういうものを飲用することになるとは思わなかった。いいや、健康を過信していたのではない。数年前から突然ブームを起こしているグルコサミンとかコンドロイチン硫酸といった成分は、もともと競走馬用に使用されていたフィードサプリメントだったことを知っているからである。

競走馬にグルコサミンとコンドロイチン硫酸の混合成分を与えると、関節の潤滑がスムーズになり、関節炎や腱・靭帯などの疲労損傷の防止に効果がある。ためにずいぶん昔から飼い葉に混ぜる形で広く使われてきた。それがある日、「馬に効くんなら人間にも効くんじゃね?」的な発想が生まれ、昨今のブームに至ったのであろう。

「馬」と聞くと大自然の中で青草だけを噛んでいるイメージを持たれる方も多いと思うが、競走馬はアスリートでもあるから、実はサプリメントなしに彼らの食生活は語れない。例えば骨を強化するためにはカルシウム系のサプリは欠かすことができないし、その効果をアップさせるための「BFMP」という牛乳から抽出したサプリメントまで登場している。こうなるとBFMPの効果を上げるためのサプリが開発されるのも、もはや時間の問題という気がしてくる。

主にドーピング防止の観点から、競走馬に対する薬物の投与には様々な制約がある。だが、サプリメントはあくまでも「食品」であるから、ルール上の制約を気にする必要性は―――現時点では―――ない。とはいえ、目の前に置かれたグルコサミンの瓶をじいっと眺めれば、知らぬ間にこんなものを、しかも大量に食事に混ぜられる彼らには、多少なりとも同情の念を覚えずにはいられない。

が、ともかく今の問題はオノレの左肘である。サプリで改善しなければ、次はショックウェーブだろうか。嗚呼……。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月25日 (月)

ジーナフォンテンの子

大井の開催初日は、いきなりの大差勝ちで幕を開けた。

1r 

勝ったのはここが初出走の3歳牝馬のエイシンコクーン(牝3)。持ったまま2着以下を13馬身も千切り捨てる圧巻のレースぶりである。勝ち時計1分13秒4は、10Rいて座特別(C2)よりコンマ4秒も早い。

インディアナダービー(米GⅡ)を勝ったドントゲットマッドの半妹にして、米GⅠ2勝で2007年のJCダートにも出走したスチューデントカウンシルの従兄妹。もともとJRAの松元茂樹厩舎からデビューが決まっていて、昨年の秋には実際に入厩まで進んでいた一頭となれば、この強さも納得か。いずれにせよ、1Rに出走したツインパール以下11頭は、相手が悪かったと諦めるしかあるまい。

続く2レースの1番人気ランディフォンテンの母は、2003年エンプレス杯を筆頭に上山と南関東で重賞6勝のジーナフォンテン。

Randy 

06年に引退すると、07年から4年続けて同じ吉橋オーナーが所有するゴーカイを配合されたが、地方中央を通じて産駒は未勝利。ジーナフォンテンにしても、重賞ウイナーのプライドがあろう。とにかく早く1勝がほしい。

Empress 

だが、競馬がそんな生易しいゲームでないことは周知の通り。道中3番手から直線では満を持して外から並び続けたが、内で粘った人気薄のコピティアムを交わし切れずに2着に終わった。

2r 

敢えて敗因を探せば、コーナーでの内と外の位置取りの差か。それでも相手がコピティアムなら、向こうの脚が止まると踏んだのだろう。私でもそう思う。だが負けたとはいえ、ジーナフォンテン産駒の初勝利が目前であることに違いはない。次の船橋開催、ランディフォンテンのひとつ上のお兄さんベストフォンテンの走りに期待をかけよう。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月24日 (日)

公営競馬の父④

(昨日からの続き)

よみうりランドの手にかかる競馬場には、川崎のほかにもうひとつ、船橋がある。

船橋競馬場のビッグタイトルに日本テレビ盃があり、報知新聞の社杯が、大井や浦和ではなく、川崎(報知オールスターC)と船橋(報知グランプリC)で行われているのは、何も適当に決まった話ではない。ちなみに、昨日も書いたように川崎記念も創立当初は「読売杯」が授与されていた。

1950年1月の川崎競馬場竣工から3か月後に着工。日本初のスパイラルカーブに7基の新式発馬機、そして最新鋭のフォト・チャートが採用され、着工から半年足らずで船橋競馬場は完成した。これに合わせて、「川崎競馬倶楽部」は「関東競馬倶楽部」と改称されている。

しかも、船橋に関してはこれだけに終わらなかった。

「働かせてばかりでは馬が可哀想だ。温泉で休養させてやってはどうか」

そんな正力の発案で、世界でも初めての競走馬専用の温泉施設が、59年11月に船橋競馬場内にオープンしたのである。今でこそ馬の温泉はごく普通の施設となっているが、その嚆矢がはるか昔の船橋にあったというのは、なかなか興味深い。

パドックや装鞍所のある場内西側の奥に入湯場が造られ、それを取り巻くように診療室、入院厩舎、歩様検査場などが建設された。診療室には、馬用のレントゲン、心電計、筋電計、超音波療法装置といった設備が施されていたというから、半世紀以上も昔のことと思えばその充実ぶりに驚かされる。

当時は競馬の人気が急上昇。そのため開催日数が増え、競走馬の無理使いが横行していた。当然のことながら故障率は増加の一途を辿る。故障馬の治療効果を早めるとともに、健康馬に対しても温泉浴でリフレッシュさせ、人間同様に英気を養わせるべきだ、というのが正力の考えだった。

当時も調教師や馬主は故障馬に対する“湯治”を行ってはいたが、温泉地までの輸送が馬にとって大きな負担となる上、馬のための運動施設も人材もなく、船橋の温泉は厩舎関係者にとって待望の施設だった。関西の厩舎からも、利用したい旨の申し出があったという。

この功績が認められ、正力は59年の競馬記者クラブ賞(公営競馬部門)を受賞している。ちなみに同じ年の中央競馬部門の受賞者は「ミスター競馬」こと野平祐二氏だった。

関東のいちブロック紙に過ぎなかった読売新聞を全国紙へと発展させた正力の手法は、紙面の大衆化とプロ野球に代表される事業開拓にあった。それは読者と密着したもので、「大衆と共に、笑い、喜び、楽しむ」という正力独特の発想によるところが大きい。突貫工事の末にふたつの競馬場を造り出したその情熱は、大衆に娯楽を提供しようという願いをこめてのことであろう。そういう意味において、彼は「公営競馬の父」でもあった。

 

■1959年競馬記者クラブ賞(公営競馬部門) 正力松太郎氏受賞理由

船橋に競馬の保健と治療に新分野を開拓する意図のもとに船橋競走馬温泉場、船橋競走馬温泉研究所を設立、科学的検診、治療に必要なあらゆる器具を備え、その道の権威を招いてその衝に当たらせるなど日本の競馬会に貢献するもの大なるものがあった。同氏は昭和二十五年一月川崎競馬場を設立して当時競輪攻勢で気息えんえんの状態にあった公営競馬にカンフル注射の役目を果たし、また公営競馬の大衆化を強力にPRするなど今日の基礎をつくった。

(この項終わり)

 

 

| | コメント (3)

2014年8月23日 (土)

公営競馬の父③

(昨日からの続き)

発起人代表・田辺宗英と神奈川県知事・内山岩太郎との間に「仮契約書」が交わされたのは、1949年6月15日のこと。これに先立って、川崎市議会は48年11月に競馬場指定地を決定し、神奈川県議会も49年3月に県営競馬場の建設地と決定していた。

県との仮契約を済ませてからの競馬場建設は急ピッチで進んだ。翌50年1月25日からの第1回県営競馬が予定されていたため、それまでに竣工させる必要がある。正味40数日の工期で、1周1200mのトラックと、観覧席、投票所、パドック、売店などの関連建物を作り上げなければならない。文字通りの突貫工事となった。

結果、竣工当日が開催初日という離れ業を演じて、オープンにこぎつけたのである。

初日には焼け野原に長蛇の列が続いた。川崎市に活気がよみがえり、市民たちの表情も明るかった。

8人の巨頭が、再び川崎に集まったのは、最初の視察の日から1年余を経た50年1月25日。すなわち、競馬開催の初日である。

市街地の多くには、まだ戦争の残骸が散らばっているというのに、かつての東芝の工場跡地だけは、まるで別世界であった。焼け野原の真ん中に立ち、「ここに競馬場をつくろう」と誓ったあの日から、それぞれが奔走した成果が、今ここに実ったのである。

第1レースを知らせるファンファーレが場内に流れると、正力らは感慨深げに見入った。スターティングゲートなどない当時のこと。発走ロープが跳ね上がると、ばらつきながらも各馬がスタートを切った。

第1回県営競馬6日間の入場者は5万1千人。売り上げ総額は8200万円。当時の全国地方競馬の新記録となった。

この年の8月13日には「読売新聞社杯・川崎記念」が行われたが、同じ日に全国地方競馬初の3歳馬による重賞「全日本3歳優駿」も行われた。その賞金は中山の朝日杯3歳Sを超えていたというから、当時の盛況ぶりが見てとれる。この2つのレースがJpnⅠの格付けを得ているのは、先人たちの努力と信念の賜物だと心得るべきであろう。

(明日付に続く)

 

 

| | コメント (0)

2014年8月22日 (金)

公営競馬の父②

(昨日からの続き)

終戦後、焼け野原と化した川崎・東芝工場跡地に集まった8人の名士が、この場に競馬場を造ることを決めたはいいが、問題はその資金をどう集めるかにあった。

当時は資金調達法の時代である。必要度に応じて、甲、乙、丙の種別に分かれ、銀行ではその序列に従って融資していたのだが、優先順位は学校や病院の建設がトップ。当然のこととはいえ、競馬場は遊戯場関係扱いとなっており、融資部門では丙にすら入っていなかった。

そこで、18名もの政財界有力者を発起人とし、「これからの競馬は、再び社交機関としての競馬本然の指名に復帰すべきだ」と当時としては大胆に謳いあげ、遊戯場ではない社交場としての競馬の必要性を訴える作戦に出た。

この18名の中には、東急グループの総帥・五島慶太(当時は公職追放中のため「内外証券取締役」の肩書)や、京浜急行電鉄社長の井田正一。さらにトヨタ自動車工業の社長として采配をふるっていた豊田喜一郎の名前が見える。いち競馬場の建設と事業体のバックアップのために、政界や財界、実業界の一流人が協力した例はほかにない。

ちなみに、このとき競馬場施設所有会社として創立された「川崎競馬倶楽部」こそ、現在の「よみうりランド」の前身である。今では日本を代表する総合レジャー企業も、そのルーツは競馬場にあった。

■目論見書における事業概要の説明全文

日本の競馬の沿革を顧みるに簡単に言えば我が国の競馬は、文久二年に横浜在留の欧米人が欧米流の斜行機関として開始したのに創るのであります。
それから段々に軍事目的に利用せらるる様になり、昭和十一年に日本競馬会が設立せらるるに至っては最早社交機関としての性質は失わしめられ軍馬の為の国策機関と化して終戦に至りました。従って日本が軍備を捨てた今日日本の競馬は根本的に建直し国家財政及地方財政に寄与すると共に再び社交機関としての競馬本然の指名に復帰しなければならないのであります。

■発起人と主な肩書

田辺宗英
後楽園スタヂアム社長

井田正一
京浜急行電鉄社長

坂薫
八千代証券社長

豊田喜一郎
トヨタ自動車工業社長

富永能雄
函館船渠会長

遠山元一
日興証券社長

永野護
弁護士

永田雅一
大映社長

松根宗一
後楽園スタヂアム取締役

近藤貫一郎
土木建築近藤組組長

小林中
生命保険協会理事会会長

五島慶太
内外証券社長

木村球四郎
木徳証券社長

三宮吾郎
ヂーゼル自動車工業社長

弓削靖
播磨産業監査役

三橋幸三
山叶証券社長

箕浦多一
日産重工業社長

正力松太郎
日本野球連盟会長

(明日付に続く)

 

 

| | コメント (0)

2014年8月21日 (木)

公営競馬の父①

今宵も開催中の川崎競馬場は1950年にオープン。かつては府中、中山を凌ぐ人気を誇り、米軍に接収された根岸競馬場に代わり中央競馬に編入される動きさえあった。そんな競馬場が誕生した影には、ある意外な人物の決断があったとされる。

終戦後の1948年11月2日。川崎駅前に8人の紳士が降り立った。

後楽園スタヂアム社長・田辺宗英、函館船渠会長・富永能雄、生保協会会長・小林中、日本自動車工業会会長・弓削靖、第二次岸内閣で運輸大臣となる永野護、のちによみうりランド社長となる高橋雄二。そして、正力松太郎その人である。

読売新聞社の社主として経営手腕を発揮しただけでなく、テレビ放送の礎を築き、さらにプロ野球の「正力松太郎賞」にもその名を残す正力松太郎は、「テレビ界の父」あるいは「日本プロ野球の父」などとも呼ばれる。しかし彼が競馬場建設に情熱を燃やしていたことを知る人は、それほど多くはあるまい。

彼ら8人の目的は、東芝軍需工場の跡地活用のための現地視察である。川崎市は戦時中に首都圏でもっともひどい被害を受けた。というのも、市のほとんどが工場地帯で、しかも東京と横浜の中間にあるため格好の爆撃目標となり、駅周辺から海側にかけては瓦礫だけが残る廃墟と化していた。

一行は海まで見渡せる広大な焼け野原に立って、しばらくは言葉も出なかったという。瓦礫にまじり雑草がところどころに茂っているだけで、あとは何もない。

「野球場はどうでしょうか?」

高橋雄二が口火を切った。高橋は川崎貯蓄銀行などに勤務して、8人の中では川崎市をもっともよく知る人物である。

野球―――。その言葉をきいて、後楽園スタヂアムの田辺社長が、

「ここは交通の便がよくない。人は集まらん」と首を横に振った。

高橋はさらに言う。

「では、競馬場はどうでしょうか。県では戸塚にある競馬場を移したいという考えがあるようですが……」

そう話し始めると、それまで黙って周囲を見渡していた正力松太郎が「競馬場なら人は集まる。野球は趣味で見るが、競馬は欲もからむから少々遠いところでもやってくる。競馬場にしよう」と言い切った。

他の同行者たちも賛成し、8人全員が発起人となって、競馬場建設事業を始めることがその場で決まったのである。

青空の広がる焼け野原で、しかも立ったままの巨頭たちによる、歴史的な合意だった。

(明日付に続く)

※本文内、敬称略

 

 

| | コメント (0)

2014年8月20日 (水)

【訃報】タイキブリザード

1997年の安田記念を制したタイキブリザードの死亡が伝えられた。ナリタブライアンと同期の23歳。外国産馬のためクラシックには出走できなかったが、競馬評論家の故・大川慶次郎氏は「ナリタブライアンを破る可能性があったのはタイキブリザードだけ」と、当時からその素質を高く評価していた。そのナリタブライアンと同じ胃破裂でこの世を去ったというのも、何かの因縁だろうか。

Tb 

大川氏と同様にこの馬に惚れ込んでいたのが、同馬を管理した藤沢和雄調教師。ブリーダーズカップ・クラシックに2年続けて挑戦したのも、米GⅠ6勝の名馬シアトリカルの半弟という血統背景のみならず、そもそもこの馬の素質がワールドクラスであると確信していたからに違いない。しかしその結果は13着しんがり負けと、勝ち馬から27馬身も離された6着と、いずれもほろ苦いものだった。

しかし、その苦い経験は1年後のドーヴィルで実を結ぶ。僚馬タイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞を制覇。このとき、調教師も、騎手も、厩舎スタッフも、みな「タイキブリザードの経験が糧になった」と口をそろえた。タイキシャトルの歴史的快挙は、タイキブリザードが道を開いたと言っても過言ではない。

タイキブリザードに関して特筆すべき事項が、もうひとつある。それは外国産馬は総じて早熟だと思われていた時代に、3年連続で安田記念に出走して3、2、1着と年齢とともに着順を上げたことだ。同一GⅠに3年連続出走し、3度目の正直で勝利を手にしたのは「奥手」の代名詞でもあるグリーングラスだけである。関係者はもちろん、多くのファンも、彼の走りを見て「外国産馬」に対する見方を変えざるを得なかった。そういう意味で彼の存在は期を画する。

Taiki3_2 

だが、それが種牡馬としては足枷になった感も否めない。2歳の早い時期から使い出したいという期待に応えることができなかったことが、早々と種牡馬に見切りをつけられる一因になったとされる。

思えば、彼もデビューは4歳(旧表記)まで待たなければならなかった。初重賞制覇はさらに遅く6歳春の産経大阪杯。しかし、国内21戦のうち、掲示板を外したのは引退レースとなった97年有馬記念のみ(9着)という安定した成績こそが、彼の素質の高さを裏書きするものであろう。冥福を祈る。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月19日 (火)

サンマンは目黒に限る

幼少の一時期を目黒で過ごした。サンマと競馬場で有名な、あの目黒である。と言っても目黒ではサンマは獲れないし、今では競馬場もない。落語とレース名のみにその名を残すだけなのに、今も人々に大きな印象を与えているのはたいしたもの。ローゼンカバリーが目黒記念を勝ったのは、もう15年も前のことになりましたか。

Meguro 

サンマの不漁が伝えられている。サンマ水揚げ量日本一の根室市でも、1日の水揚げがわずか10キロという日が珍しくないらしい。地元の鮮魚店で1匹1000円で売られていると聞いてひっくり返った。これではもはや庶民の魚とは呼べまい。

サンマが「秋の味覚」と呼ばれるのは、何よりも安くて美味いからである。なのに、今年は安くない。しかも、築地の関係者に聞けば「美味くもない」という。これは最悪である。たとえ高くても、美味ければ納得する人もいるだろうが、「良いのがまったく揚がらない」とお手上げの様子。多少高くても仕入れるはずの鮨店でも、代わりにアジを仕入れるところが多いようだ。

不漁の原因は海水温の高さ。サンマの漁場は海面水温が13~15度が適しているとされるが、今年の日本近海はそれを1度ほど上回っており、漁に出てもサンマが見つからないのだという。これを地球温暖化の影響だと言い切るまでは難しいが、このままではサンマは「秋の味覚」ではなく「冬の味覚」になるかもしれない。

むかしメジロサンマンという馬がいた。オールドファンならテイトオーの勝ったダービーで落馬、競走中止した馬として記憶されている方もいらっしゃるかもしれない。

実は、この馬が現役生活の最後に勝ち取った唯一の重賞タイトルが目黒記念なのである。これをして、当時の競馬ファンが「サンマンは目黒に限る」などという駄洒落を吐いたかどうかは分からぬが、目黒記念のタイトルを得たことで種牡馬になれたのだとしたら、これは小さからぬ出来事だった。産駒のメジロイーグルを経てメジロパーマーへと続く父系種牡馬の祖となったばかりでなく、メジロライアンの母の父としてもその名を残すこととなったからである。

Mejiro 

 

 

| | コメント (0)

2014年8月18日 (月)

真夏のマイル王

真夏のマイル王決定戦を制したのはダンスインザダーク産駒のクラレント。奇しくも母の引退レースとなったこの関屋記念を勝って、重賞5勝目を挙げた。写真は今年の安田記念のパドック。

Kurare 

ダンスインザダークは自らが菊花賞を勝っただけでなく、種牡馬としてもザッツザプレンティ、デルタブルース、スリーロールスと3頭もの菊花賞馬を送ったから、その産駒は総じてステイヤーと思われがちだが、意外やそうでもない。ツルマルボーイ、ダークシャドウ、マルカフェニックスなど、マイル前後の距離を得意とする産駒が実は多いのである。

その一頭に含まれるであろうクラレントは、来年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスSに遠征するワンアンドオンリーの帯同馬として、一緒に渡英することになっている。重賞5勝の帯同馬とはなんとも贅沢な話だ。ワンアンドオンリーも心強かろう。

クラレントとワンアンドオンリーを管理する橋口調教師が、欧州のGⅠ挑戦を最初に意識させてくれたのが、1996年の菊花賞を勝ったダンスインザダークだった。無事なら翌年のキングジョージや凱旋門賞に向かっていたに違いない。だが、屈腱炎による突然の現役引退で、その夢は一瞬にして潰えた。

97年のロンシャン競馬場に橋口調教師の姿があったのを覚えている。パントレセレブルがピルサドスキー以下を5馬身千切ったあのレース。客の一人として観戦に訪れていた橋口師は、当時を振り返って「あの時は現実にうちひしがれていた」と言う。もし無事だったら、あのパドックの中に自分がいて、ダンスインザダークがパントレセレブルと好勝負を演じていたかもしれない。その心中は察するに余りある。

Pantore 

しかし今回、ダンスインザダークとハーツクライという自らが手掛けた馬の産駒での海外遠征が、現実味を帯びてきた。ある意味、調教師冥利に尽きることであろう。

注目を集めるのはダービー馬ワンアンドオンリーに違いないが、クラレントにも「帯同馬」としての役割以上の結果を期待したい。狙うのは7月末にグッドウッド競馬場で行われるサセックスS(GⅠ)。彼ならば「日英・真夏のマイル王」制覇の偉業も、決して夢ではないような気がする。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月17日 (日)

ウインズ新橋

サラリーマンの聖地としてTVの街頭インタビューや号外配布などの舞台となる新橋駅西口。SLでお馴染みのこの広場が、かつての新橋場外馬券売り場の跡地であることを知る人は、それほど多くないのではあるまいか。

この地に場外馬券売り場が開設されたのは1950年のこと。しかし64年になると、駅周辺の市街地整理事業に伴い、立ち退きを迫られることになる。

そこで競馬会は新橋4丁目の土地を買収し、新たな場外馬券売り場とする計画を立てた。だが、折あしくそこは港区桜田小学校の筋向かい。当然のごとく地元住民が猛反発し、それに一部の都議が呼応するなどして、国会まで巻き込んだ一大論争となった。

結果的にJRAは新橋4丁目への移転を断念する。そして、適当な移転先が見つかるまで、とりあえず西新橋1丁目にあった日本中央競馬会本部ビルの1、2階部分を場外馬券売り場として使用することに決めた。それが現在のウインズ新橋。「ウインズ新橋」の看板を掲げながら、新橋駅よりむしろ虎ノ門駅に近いのは、実はここが“仮店舗”であるせいだ。

それから半世紀、ウインズ新橋は年内での営業終了が既に発表されている。98年の春の天皇賞でシルクジャスティスとメジロブライトの馬連に5500万円買った人物や、03年の宝塚記念でヒシミラクルの単勝に1200万円余りを投じた“ミラクルおじさん”も、馬券を購入したのはこの新橋であった。「とりあえず」の移転先でありながら様々な伝説の舞台となった新橋場外が消える。そう思えば、多少の感慨もあるという方も少なくはあるまい。

実質「ウインズ虎ノ門」であるから、飲み食いするにも新橋の繁華街ではなく、虎ノ門界隈になることがある。私の中での筆頭格は、やはりスパゲティーの『ハングリー・タイガー』を於いてほかにない。ウインズから徒歩5分のこの店のイチオシはハム、ベーコン、玉子がほどよく麺に絡む「ダニエル」というスパゲティー。いや、これ、「カルボナーラ」じゃないの?と思いつつ食べると、なぜか微妙に違う。何が違うかを説明するのは難しい。しかもなぜか癖になる。今日はわざわざ足を運んだが、ウインズがあるうちに、馬券とセットで訪れておきたい。

Tiger 

ところで、当時の中央競馬会が購入した新橋4丁目の土地はどうなったのか?

そこには現在、JRA新橋分館というビルが建っている。道路に面した1階部分はJRAの情報発信スペース「Gate J.」。ひょっとしたら、ここがウインズになっていたのかと思いながら訪れるてみるのも悪くない。ちなみに、桜田小学校の方は91年に廃校となり、港区生涯学習センターと桜田公園として、かつての面影をわずかばかり残している。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月16日 (土)

JRA10番目の競馬場

現在の新潟競馬場は、1965年の夏に現在の新潟市中央区の関屋から移転する形で完成。40年目の節目を迎えた。だが、移転直後の1965年7月のこけら落とし開催は、実は中央競馬として22年ぶりの「新潟競馬」だったことはあまり知られていない。

Niigata 

1896年、馬の改良を目的にした品評会が北蒲原郡新発田町の「越後馬匹改良会」で開かれた。この会で催された競馬が、記録に残る新潟競馬の嚆矢である。5年後の1901年には、新潟市で連合物産共進会が催され、この時も市内の関屋で競馬が開催されている。その後、公認競馬会の設立が企画され、1907年2月に新潟市に「越後競馬会」が発足、関屋に1周1600mのコースが造られ、翌1908年9月6日から4日間競馬が行われた。これが公式競馬としての新潟競馬の始まりだ。

1943年9月に戦争のため競馬が中止されると、関屋競馬場は陸軍軍医学校として接収される。終戦後は施設、コースともに荒れ果てて、使用不能となった。

その後、関屋競馬場では地方公営競馬が開催されたりしたこともあったが、中央競馬は行われていない。しかし1963年、信濃川関屋分水工事に伴う居住者の移転先が関屋競馬場内に指定されたことを受け、中央競馬10番目の競馬場として現在の新潟競馬場が誕生したのである。

22年ぶりに復活した中央・新潟競馬の開催初日に行われたのは、その名も「新潟競馬再開記念」。オープンの芝1800m戦を制したのは牝馬のテルクインだった。1964年の七夕賞の優勝馬。ダートグレード戦線で活躍したウエディングフジコや、南関東で17勝を挙げているツクバチャームの4代母としてもその名を残している。

現新潟競馬場に移転した当初は、市街地から遠い上、カエルの鳴き声ばかりうるさいと、評判は悪かったようだ。だが、向こう正面越しに五頭連峰を配した景観は目を休ませてくれるし、直線の長い広々としたコースは、好タイム続出のスリリングな競馬が楽しめる。何よりシンボリルドルフが、そしてオルフェーヴルが巣立った地だと思えば感慨も深い。中央10場の中でも1、2を争う素晴らしい競馬場であろう。明日は関屋記念だ。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月15日 (金)

フレッシュスター特別

大井競馬場は重賞かと見まごうばかりの大盛況。

Ooi 

いや、昨今では重賞であっても4コーナーまでビッシリ入ることはあまりない。それなのに券売機も、トイレも、『銀だこ』も、どこも列をなしている。入場者数1万3852人は、今年の東京ダービー当日とほぼ同じ。やれやれ、お盆の金曜日をナメちゃいけませんね。

さて、準メインのフレッシュスター特別は2歳一組によるスプリント戦だが、この時期の2歳戦は一筋縄ではいかない。

単勝1.4倍という圧倒的な1番人気に推されたのはスウェプトオーヴァーボード産駒のスノーエンブレム。新馬戦が6馬身差の圧勝だから人気になるのは頷けるが、若駒の2戦目ほど怖いものはない。初めての大観衆。初めての多頭数。そしてなにより初めてのナイター競馬である。ゴール板の影や照明に驚いてジャンプしてしまうくらいだから、初ナイターの影響はなまなかではない。

Jump 

さらに加えて、初めての花火。

Hanabi 

レース発走直線に六郷の花火大会の音がドカンドカンと聞こえてきてしまった。私がドキッとしたくらいだから、2歳馬には辛かろう。誘導馬ですら、驚いて走り出そうとしたくらいだ。

案の定、結果は波乱であった。勝ったのは4番人気のセイエイシャルム。2着ドリームファイアは7番人気。共に浦和からの遠征馬で、しかも両馬とも未勝利馬である。競馬場につめかけた一見さんには、ちょいと難しい番組になってしまったのではあるまいか。

Pink 

セイエイシャルムはデビュー以来4戦続けて同じ浦和のラッキープリンスに敗れてきた。つまりセイエイシャルムが、ここまで未勝利の身分に甘んじていたのは、ラッキープリンスのせいだといっても過言ではない。2着ドリームファイアにしても、これまで敗れてきた相手はすべてラッキープリンス。となれば、ラッキープリンスという馬はいったいどれほど強いのか。ラッキープリンスが出走を予定している鎌倉記念は必見であろう。いずれにせよ、今年の2歳戦線では浦和の馬から目が離せない。

セイエイシャルムを管理する長谷川忍調教師は、今月開業したばかりの新鋭トレーナー。わずか6レース目で初勝利を掴むとは素晴らしい。しかも特別戦。素晴らしいスタートを切った。おめでとうございます。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月14日 (木)

重賞未勝利馬の海外GⅠ挑戦

1番人気に推された札幌日経オープンを5馬身差で逃げ切ったバンデ(牡4)の、豪州遠征にGOサインが出た。管理する矢作調教師自らが、スポーツ紙のコラムで明らかにしている。目標はもちろん同国競馬最大の祭典メルボルンカップだ。

メルボルン近郊のフレミントン競馬場で開かれるメルボルンCは、単なるGⅠレースの枠に留まらない。「真の国民の日」「最高の日」「究極の日」「国全体が一つになる日」……等々。こんな題字が新聞紙上を賑わすこのレースは、世界で最も熱烈なギャンブラーとも言われる豪州人を毎年熱狂させている。

なにせ、この日はメルボルンを含むビクトリア州では休日。それ以外の州でも大半の国民は勤務を一時放棄してレース中継に見入るし、多くの小学校では、教室に出走表を掲げて、生徒同士で勝ち馬の検討を行うという。とにかく、仕事よりも、勉強よりもメルボルンカップなのである。ここまでくれば立派な文化であろう。

2005年のデルタブルース以来9年ぶりの日本馬による快挙を目指すバンデは、英ダービー馬・オーソライズド産駒の外国産馬。半兄は香港ヴァーズを連覇したドクターディノという良血だ。矢作師が2000mでも短いとオーナーに進言した上で購入を決めただけあって、ここまでに挙げた5勝はすべて2400m以上でのもの。しかしながら重賞は未勝利。重賞未勝利の古馬が帯同馬としてではなく、主役を張る海外GⅠ挑戦となると、過去にあまり例がないのではないか。

かつての海外遠征は国内でGⅠを勝った馬の目標だった。だが、国内GⅠを勝ってない馬が海外遠征してはいけないなどという決まりはない。現に36年ぶりに日本馬による海外重賞制覇を果たしたフジヤマケンザンからしてそうだった。矢作師も「そこに適正の条件でリスクに見合うだけの賞金のレースがあれば行くべき」というオーナーの意向を紹介している。 海外GⅠへのチャレンジは、国内で傑出したチャンピオンだけに与えられた権利ではない。

Hongkong 

ちなみに、デルタブルースのメルボルンカップ遠征に際しては、輸送費、登録料、スタッフ滞在費など諸々含めて約1760万円の費用がかかったとされる。それでも「適鞍があるから使う」というシンプルな判断で遠征を決断した陣営にエールを送ろう。初重賞勝利が海外のGⅠ、それもメルボルンカップなどということになれば、日本競馬史上に残る壮挙。その栄誉は約2億8800万円の賞金をも上回るリターンであるに違いない。

前哨戦には10月18日のコーフィールドC(GⅠ)か10月22日のジーロングC(GⅢ)が候補として挙げられている。日本の感覚では前哨戦と本番の間隔が短いと感じるかもしれないが、豪州ではごく普通のこと。2009年のメルボルンカップを勝ったショッキングは、その3日前に行われたレクサスS(GⅢ)で重賞初制覇を果たしてから中2日での快挙だった。日本ならこの間隔での出走は認められない。これも文化のひとつであろう。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月13日 (水)

馬喰

東京駅から総武快速線の千葉方面に向かうと、2駅目に馬喰町という駅に停まる。

「馬喰」とはいわずと知れた馬の仲介業者のこと。日光街道沿いにあるこの地には東北からの良馬が集まりやすいということも手伝って、江戸の昔より定期的に馬市が開かれ、多くの馬喰で賑わっていたとされる。現代ならセレクトセール開催時の苫小牧とか、サマーセール期間中の静内といったところか。ちなみに、北海道弁で「交換する」という意味の「バクる」という言葉は、この「馬喰」に由来するのだそうだ。

現代の馬喰町に馬市は立たないが、馬ではなくうどんを求めて足を運んだ。讃岐の味そのものと評判の『ちょうさ』さんが暖簾を掲げているのである。

タイミングが合わなければ、打ち立て、茹で立てに巡り合うことができないことは仕方ないのに、それでもなお小麦の芳香は豊かで、ほんのり甘めのいりこダシと相まって喉越しも抜群だから凄い。讃岐の底力を感じる一軒だ。

Chosa 

店名の「ちょうさ」は聞き慣れぬ言葉だが、観音寺市のお祭りに登場する太鼓台とのことらしい。祭りでは、金糸の刺しゅうに彩られた何台もの「ちょうさ」が街中を練り歩くのだという。香川人にしか分からない言葉だけに、店名を見て暖簾をくぐる香川出身のお客もいるとのこと。まさに東京にある香川ですね。

ちなみに「ばくろう」という地名は「博労」「白楽」も含めて、日本中に見ることができる。それだけ馬市があちこちで開かれていたことを示すものだが、本来の語源は中国の古典に登場する相馬の達人「伯楽」(はくらく)にある。

逸話では「伯楽が通過した後には、良い馬が一頭もいなくなってしまった」とされ、転じて「良馬を見分ける名人」という意味で使われるようになった。昨今では成績の良い調教師を「名伯楽」などと呼んでもてはやすこともあるが、語源からすれば「名馬喰」と呼ぶのと同じことに他ならない。

さらに最近では野球とかサッカーの監督・コーチをして「名伯楽」などと呼ぶこともあるが、ここまでくると、もはや語源も意味もあったもんではない。おそらくは調教師に対する「名伯楽」という言葉を「名トレーナー」という意味に勘違いしての誤用であろうと想像するが、野球やサッカーで使うならせめて無名選手を発掘したスカウトに使われるべき言葉であろう。本来の意味は「素質を見出す達人」という点にあるのだから。

 

 

| | コメント (1)

2014年8月12日 (火)

クリスタルナイトカップ

真夏の準重賞・クリスタルナイトカップは、大井のマイルに11頭の牝馬を集めてまもなくスタートを迎える。

1番人気は浦和所属のマイネエレーナだが、JRA時代を通じてこれまでに挙げた6勝は、すべて新潟と浦和という典型的なサウスポー。右回りでは3着が一度あるだけで、3走前の大井戦も見せ場もなく6着に敗れた。とはいえ、スパーキングレディCで地方馬最先着の3着は、牝馬同士なら明らかに格上の存在。4つの右回りコーナーが鍵を握りそうだ。セーヌスポートへと連なる母系は、マズルブラストも顔を出す社台ファームの古い血統でもある。

Maine 

社台ファームゆかりの血統という点では2番人気ハッピーウェーブも同じ。こちらは中央未勝利ながら地方移籍後に12勝を重ね、ようやく準重賞の舞台に辿り着いた。

Happy 

前々走でデビュー戦以来3年ぶりとなる2勝目を挙げたシラヤマヒメが3番人気。昨年のこのレースはデイジーギャルの4着だった。

Hime 

牝馬オープンの準重賞とはいえ、上位人気3頭の格付けははそれぞれA2、B3、B1。一筋縄では収まりそうもない一戦を制したのは4番人気のマルカンパンサーだった。

Marukan 

アドマイヤマックス産駒の牝5歳馬。前走は1番人気を裏切る形で4着に敗れたが、この時はゲートのタイミングが合わず、終始揉まれ通しで競馬にならなかったのだから仕方ない。鞍上の的場文男騎手も「前走は失敗騎乗だった」と自らのミスを認めた上で、今回はスタートに集中していた。快心の騎乗で、的場騎手はこのクリスタルナイトカップ通算5勝目。来月には満58歳を迎える“大井の神様”は、まだまだ健在だ。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月11日 (月)

ふたつのコラボ

大井はお盆開催の初日。わざわざ明るいうちにやってきたのは、この2頭のコラボを見るため……、

Anpanman 

Anpan 

ではないですよ(笑)

でも連れは2頭の馬券を買ってました。

Baken 

その2頭のワンツーで決まればニュースなんでしょうが……、

4r 

勝ったのは4番人気のラブポーション。東原騎手の右ムチに応えて、ゴール前アタマ差し切った。3連単320万の大波乱に場内がどよめく。

ラブポーションのお母さんはギガジャンボ。そのひとつ上のお兄さんロードフレアは知人がひと口出資していた一頭だから縁がなくもない。だが、それに気づいたのはレースが確定してから。まあ、気づいたところで2着、3着は買えないが。

そんなことをブツブツ考えていたら、連れが「うわ! 大きい!」と叫んだ。

なんだなんだ? クリーンでも出てきたか!?

―――と、慌てて向こう正面に目をやれば、かえし馬をするダイジャヤマの先に巨大な丸い物体が浮かんでいるではないか。

Moon2 

月? 手前は飛行機?

Moon 

なるほど、今朝3時のスーパームーンは見逃したが、それから13時間程度しか経ってない今でも、じゅうぶん月はデカいんですね。

目当ての馬が負けちゃったんで、この大きな月と飛行機のコラボが今日の大井のハイライトになってしまった。まあ、ハイライトがあっただけヨシとしよう。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月10日 (日)

豊前うどんと秋華賞

今日は諸事情これありで非開催の東京競馬場に来ております。台風11号の影響で、蒸し暑いですね。

Dsc_1424 

パークウインズ開催でも『むぎんぼう』が営業中なのは助かる。かきあげ天うどんの「ひやひや」をズズーッと啜って、沸騰しかけた脳みそがようやく正気を取り戻した。冷たいダシに浸したゴボウ天というのも、また格別に美味い。これで馬券が当たれば言うことはない。

Dsc_1427 

うどんにゴボウ天という組み合わせといえば豊前うどん。小川町の『武膳』は、正真正銘の豊前うどんが食べられる東京では稀少な一軒だ。透明感のある麺は、モチモチと柔らかく喉のすべりも良い独特の食感。そしてこのゴボウ天のでかいこと。決して控え目な分量ではないのに、食感のコントラストを楽しんでいるうちに、あっと言う間に食べ終えてしまう。

Gobo1 

「豊前」という北九州地域の旧名を冠しているとはいえ、「豊前うどん」はその地域の伝統食でもなければ、町おこし的B級グルメでもない。むろん、1999年の秋華賞馬ブゼンキャンドルとも、なんら関係はない。

北九州空港から小倉競馬場に向かう途中に店を構えるうどんの名店『津田屋官兵衛』で修業した弟子たちが、「豊前裏打会」なる会を結成。うどんの本場である讃岐を「表」に見立て、「たとえ“裏”の立場であっても、新しく個性あるうどんを発信していこう」という信念のもと、「豊前うどん」を名乗り、熱い魂を練り込んだうどんを提供しているのだという。

彼らの活動のかいがあってか、最近では東京でも「豊前」の名を聞く機会が増えたような気がする。つい先日も、立ち食いスタイルの豊前うどん専門店『UDON BUZEN Standing』が新橋にオープンした。やや細打ちの麺は喉越しの良さが強調され、九州産の特性醤油を使ったダシは、ほのかな甘みとあっさりとした後味の良さが特徴。あえて難点を書けば、ゴボウ天の大きさに比べて麺の分量が少ないことだが、うどんをハシゴして食べる方にはちょうど良い。

Gobo2 

ところで、ブゼンキャンドルで思い出したことがある。

Tothev 

1999年の秋華賞で、私が本命に推したのは1番人気トゥザヴィクトリー。まさかの13着だった。そして今日の小倉8Rに出走したトゥザレジェンドはトゥザヴィクトリーの娘である。15年前の負けを少しでも返してもらおうと目論んだが4着に敗れた。私が単勝を買うといつもこうなる。関係者に悪い事をしたかもしれない。

Dsc_1433 

3か月ぶりの実戦で、プラス14キロはいかにも重かったか。オークス以来4か月ぶりというローズSで、プラス12キロの身体を持て余して4着に負けたお母さんのレースぶりを、ふと思い出した。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月 9日 (土)

夏と言えば旅打ち

暑くなるとカレーが恋しくなるのは世間一般の傾向だろうけど、暑くなると旅打ちに出たくなるのは競馬ファン特有の傾向かもしれない。

私とて例外ではなく、旭川、盛岡、水沢、上山、園田、高知、佐賀、荒尾といった地方競馬場を思い浮かべれば、その景色は決まって夏の光景である。実際には真冬の水沢なんかにも行ったことはあるのだが、仕事で渋々行くのと、「行きたい!」と思い立って自発的に行くのとでは、きっと脳に与える刺激が違うのであろう。

Keiba 

旅というのは限定された非日常体験である。

限定されていなければ最終的にそれは日常化してしまうわけで、帰るべきところがないまま彷徨い続けるのは、「旅」というよりむしろ「放浪」であろう。見知らぬ土地で見知らぬ人に囲まれることによって、アイデンティティーを喪失した旅人は単なる一個体の人間と化す。それを体験する行為が「旅」に他ならない。

よく「自分探しの旅」などというフレーズを耳にするが、旅の目的が非日常、すなわち自己脱却にある以上、「自分探し」と「旅」は背反する行為である。自己とは日常に埋没しているものであり、非日常の世界に自己を探しに行ったところで何も見つからないか、あるいは何か間違ったものを見つけて帰るのがオチである。

Keiba2 

ところで私は、究極の自己脱却はギャンブルだと考えている。

自分が汗水流して稼いだ金を、馬やトランプやゲーム機に食わせるという行為は、冷静に考えて尋常ではない。すなわち非日常である。よく競馬場では「遊びで」とか「応援で」などと言いつつ、むざむざ1000円を捨てるシーンを見かけるが、これなども非日常だからできる行為。日常に戻れば1000円を捨てることは(少なくとも私は)できない。1000円というのは家族4人がその日食べるものに困らない額であるし、バイトで1000円稼ぐのだって大変なことだ。

人は非日常を求めて旅に出る。その旅先にギャンブル施設があれば、足を運ぶのはごく自然な流れなのだろう。そこは自己喪失を具現させてくれる非日常の極みとも言える世界だからだ。

だから「お台場カジノ構想」には、私は些かネガティブな思いを抱いている。外国人観光客相手ならともかく、日本人にとってお台場はあまりに日常に過ぎると思うのである。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月 8日 (金)

夏と言えばカレーラーメン

今日もカレーの話。

先日、苫小牧のとあるホテルに泊まったら、エレベーターの中にこんな広告が貼ってあった。

Toma 

なるほど、苫小牧はカレーラーメンの街なんですね。でも待てよ。たしか新潟の三条もカレーラーメンの「元祖」を名乗っていたような気がするし、室蘭も官民挙げて「カレーラーメンの街」をアピールしていたはず。門別競馬場では「室蘭カレーラーメン賞」も行われ、歴代の勝ち馬には、のちに帝王賞を勝つゴルトブリッツの名も刻まれている。

Golt 

とはいえ、食べる側にとっては元祖がどの街であろうと関係ない。だいたいが、カレーとラーメンという国民の人気を二分するメニューのコラボなら、たいていの人が思いつく。カレーうどんという成功例もあるではないか。問題は元祖がどこかではなく、うまい店がどこなのか。それが身近であれば言うことはない。

身近ではないが、苫小牧の『味の大王』総本店には何度かお世話になったことがある。新千歳空港に降り立ち、レンタカーをピックアップして国道36号線を一路日高に向かう途中の左側にでっかい看板を出している、あのお店。

そこには親子2代、半世紀にも及ぶ研究の末に開花した一杯がある。カレーラーメンは今の主人のお父さんが1965年に考案。しかし、当時は珍メニューの粋を出ないゲテモノとして相手にされなかった。しかし、その後も試行錯誤を繰り返し、ようやく現在の味に到達。今では新千歳空港の土産物店にも並ぶ人気の一杯だ。

Daioh 

京橋の人気ラーメン店『ど・みそ』は、中山競馬場にも出店している競馬ファンならお馴染みの一軒。競馬場には無いメニューとして、カレーラーメンを提供している。

Domiso 

その味噌スープはあまりに濃厚であるため、カレーの風味が負けてしまうのではないかと心配する向きもあろうが、ところがさにあらず。麺に絡んだスープからは感じられるのは、これでもか!と言わんばかりの強固なカレー。だからと言って味噌が控えているわけでもなく、こちらはこちらでぐいぐいと主張していくる。カレーと味噌が互いに引っ張るハイペースに遅れを取るまいと、額を流れる汗をものともせず一気にスープまで飲み干した。容赦なく噴き出る汗が止まらない。なのにカレーは暑い時期に食べたくなる。不思議だ。

 

 

| | コメント (2)

2014年8月 7日 (木)

夏と言えばカレースパ

今週の南関東は重賞レースが行われない。JRAもローカル真っ盛りで、暇ネタが多くなってしまうことをお許しいただきたい。

そんなわけでカレースパゲティーの話。

ロメスパの聖地・大手町『リトル小岩井』では、先月まで「夏野菜のココナッツミルクカレー」を期間限定で出していた。カレーは正直辛くはない。若干とろみのついたソースは、そば屋のカレーうどんを彷彿とさせる。

Koiwai 

カレーとしての美味さでは、丸の内『インディアンカレー』の「インディアンスパゲティー」が上回る。ひとくち目はほんのりとした甘さが広がり、ひと呼吸遅れて喉の方から刺激がせり上がってくるあの独特のカレーを、ライスではなくパスタに絡めて食べるのもまた格別だ。だが、敢えて希望をかかせていただれば、麺を『リトル小岩井』のようにもっと太くしてほしい。

Indian 

カレーの美味さと極太パスタの両方を兼ね備えた一軒と言えば、大井町の洋食店『ハピネス』をおいてほかにあるまい。朝イチで茹でた麺を一度冷蔵庫で寝かしてから使うことで、カレーがパスタにしっかりと馴染んでいるのである。アツアツの鉄板にこの盛りの美しさも込みで、パーフェクトであろう。

Hapiness 

そしたら、高田馬場にも強烈な鉄板カレースパの店があると聞いて、炎天下をものともせずやってきた。その名も『たんちょう』。そしてこれが注文のカツカレースパゲティー。

Dsc_1402 

かつて銀座にあった『海ごはん』というお店の「カツカレーうどん」を紹介した時、「カツカレーをご飯でなくうどんで食べたいという欲求があるのは当然」と書いたが、これはそのスパゲティー版。とにかくトンカツにはカレーが合うのである。

Dsc_1405 

スパゲティーにカツをトッピングしてアツアツの鉄板に盛って出すスタイルは、釧路のB級グルメ「スパカツ」そのもの。そして、この店名。釧路に関連するお店だろうなと思ったあなたは大正解。釧路空港にも同じ名前のお店がありますよね。そのお店が晴れて東京進出を果たしたわけだ。この店を起点にスパカツが東京で流行ると嬉しい。その暁には、ぜひ2号店を立会川に出店してほしい。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月 6日 (水)

ミスターの口笛

サラブレッドは本来、自由な動物なんです。自由に気持ちよく走らせるには、馬と会話ができなくてはダメ。馬は力で御すもんじゃないんですよ―――。

今日8月6日は野平祐二の命日である。生前、師が何度も何度も繰り返しおっしゃったフレーズが急に頭に蘇った。

馬との会話は、手綱や鐙を通じて行われたのかもしれないし、人の言葉を通じて行われたのかもしれないが、定説では「口笛」とされている。スタート前、緊張の極に達した馬をそっと口笛でなだめる姿は、現役ジョッキー時代の語り草だった。先頭を切ってゴールを駆け抜け、人知れず馬上でマーチを吹き鳴らしたこともあると聞く。

ちょうど今くらいの季節の高崎競馬場の装鞍所で、その口笛を聞く機会があった。

Takasaki 

それまでチャカチャカと落ち着きのなかった馬が、祐ちゃんの口笛を聞いた途端、うっとりと聞き入るような姿勢になったのである。それは魔法としか思えず、思わず目を見張った。

が、当の本人は、何でもないという風に口笛を吹き続けながら真夏の曇り空を見上げている。その視線の先には「ミスター競馬 野平祐二来る!」書かれたアドバルーンが舞い上がっていた。

「武豊はミスターと呼ばれるにはまだ足りないものがあるのかな?」

祐ちゃんが不意にそうおっしゃった。

「それともミスターなんて呼ばれたくないと思ってるのかしら?」と続ける。

私には答えようがなかった。どう考えても、私には答えられる話ではないのである。

今となっては祐ちゃんもこの世にはいない。高崎競馬場もない。アドバルーンだって最近ではほとんど目にしなくなった。

Takasaki2 

あれから「ミスター」という呼称についていろいろと考えを巡らせているが、まだよくわからない。わからないまま、今年も「ミスター競馬」の命日がやってきてしまった。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月 5日 (火)

夜の船橋

先週、船橋競馬場が来年からナイター開催を実施すると発表した。

地方競馬のナイター開催は、1986年の大井を嚆矢に、旭川(既に廃止)、川崎、帯広、門別、高知、そして園田の順に施行されており、船橋での開催が実現すれば8番目の施行となる。だが、実際には川崎と同時期に船橋のナイター化が検討されていた。

計画断念の理由については、隣接する谷津干潟に生息する野鳥への影響が云々されているが、実際には莫大な費用問題によるもの。なにせ川崎のナイター化費用だけで60億円である。川崎と船橋の両競馬場を所有する㈱よみうりランドにすれば、両方をいっぺんにナイター化すれば120億円の出費。そう簡単に出せる金額ではなかろう。

Kawasaki 

ナイター化に必要な設備は照明塔だけではない。バス輸送の強化や、駐車場の整備。門別の場合は防寒対策も必要だ。それでも、近年は門別が12億円、園田が9億円だったように、照明の明るさを抑えるなどして、割安なナイター化を実現しているところも多い。発表された船橋のナイター化費用も9億円。これなら出せない額でもない。そんなところへ船橋オートの廃止が報じられた。船橋オートも、よみうりランドの所有物である。今回の件は、競馬とオートをセットにしたトータルプロジェクトと見るべきであろう。いや、もとをただせば、昨秋のメガソーラー設置から話はすでに始まっていた。

Megasoler 

競馬のナイター化の目的はただひとつ、売り上げ増に尽きる。I-PATとの併売が始まって、全国的には地方競馬の売り上げは回復基調だが、平日の昼間しか開催のない競馬場の苦戦傾向は変わっていない。門別や高知で売り上げV字回復を実現した「ナイター&I-PAT」の組み合わせに期待を寄せることは理解できる。

だが、船橋競馬場のリリースにあった「昼間開催との比較で35%の入場者増を見込んでいる」という見通しは、果たしてどうだろうか?

夜の南船橋界隈は「ららぽーと」関係者でさえ気を揉むほどの閑散ぶりだ。大井や川崎のようにオフィス街近接というイメージも薄い。仕事終わりに行く客もそりゃあいるだろうが、むしろ昼間だから行くことができたという客の足が遠のく恐れがある。さらにナイター化と同時に実施される新橋場外の閉鎖も大きい。場外閉鎖の影響がナイター効果を食ってしまわないか。心配は尽きない。

ネガティブな思いばかり募るのは、私の個人的な事情にある。なにせ船橋は遠い。最終レースが20時50分だとして、そこから普通に帰宅しても22時半。「軽く食事でも」、となれば零時近くになりかねない。しかも、園田と同じ程度の費用でナイター化を実現するとなれば、照明の明るさも園田程度と考えるべきであろう。大井に比べれば半分程度の明るさである。昼間開催なら、夕陽が優勝馬を正面から照らし出す美しいゴール前も、ナイター化によって暗闇での撮影を強いられることになるのかもしれない。

Fastfriend 

来年のGW開催までは今まで通りの昼間開催で、ナイターはその次の開催からとのこと。しかも、全日ナイター開催ではなく、園田のように特定日のみがナイターとなるのでは?という噂も耳にする。“I-PAT派”にはどうでも良い話かもしれないが、私を含めた“現地派”には重大案件。早め早めの情報開示を関係者にはお願いしたい。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月 4日 (月)

【訃報】ヴェルデグリーン

重賞2勝の強豪・ヴェルデグリーンの急死が伝えられた。先日、エルムSを勝ったローマンレジェンドや中京記念を勝ったサダムパテックと同期の6歳。さあこれから、という時の訃報に、適当な言葉が見つからない。

Verde2 

しかしもっとも悲しい思いをしているのは、同馬を管理する相沢調教師に違いあるまい。ヴェルデグリーンの祖母は、相沢師が管理して1999年のオークスを制したウメノファイバー。引退後、スペシャルウィークとの間に生まれたレディーダービーも相沢厩舎に所属したが、未勝利に終わった。しかし、無理をさせることなく早めに繁殖に上げたのが功を奏したのであろう。レディーダービーは5歳の春に初仔のマイレディー(父アグネスデジタル)を出産。その翌年に産まれたジャングルポケットの牡馬が、ヴェルデグリーンである。

2011年12月の中山・新馬戦。普段は温和な相沢師が、レース発走直前に「執念だよ」とぽつり呟いた。ウメノファイバーのオークスから12年。この牝系にかける調教師の思いは並大抵ではない。その思いに、ヴェルデグリーンも3コーナーからのまくりという新馬らしからぬレースぶりで応えた。

Verde1 

「走るね。こういう競馬(まくり)で勝てるんだから先々も楽しみ。すべてにおいて水準以上」

馬を降りて検量に向かう松岡騎手の言葉を思い出す。いま思えば、なんと示唆に富んでいることか。事実、重賞初勝利となった昨年のオールカマーも、今年のAJCCも、その決め手は3コーナーを過ぎたあたりからのまくり一閃。特に中山コースでの強さは際立っていた。

そういう意味では、もし順調に使われて、もし皐月賞にも出走を果たし、そしてもし、この年の皐月賞が例年通り中山で行われていたらどうなっていただろうか? 彼の訃報に触れ、ついそんなことも考えてみたりする。

この年の3月11日に発生した東日本大震災により、出走が確定していた週末の中山開催は中止。急遽、翌週の若葉Sに向かったが、日本中が混乱する中の輸送が堪えたのか馬体重は18キロの減。13着の惨敗を喫して、彼の3歳春は終わった。

祖母に似て気性が荒く、厩舎スタッフはずいぶん手を焼いたという。その一方で、寂しがり屋の面もあり、競馬場で鳴くこともあった。手がかかった分だけ喜びは大きく、そして悲しみも深い。謹んで冥福を祈る。

Verde3 

それにしても昨日の小倉でのノーブリーの激走には驚かされた。ウメノファイバーの子だから、ヴェルデグリーンの叔父である。12番人気ながら、道中後方から徐々に差を詰め、最後はあわやの4着。その“まくり”っぷりにはヴェルデグリーンを彷彿とさせるものがあった。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月 3日 (日)

夏の牝馬はどこへ

夏の牝馬はいったいどこに行ってしまったのだろう―――?

尋常ならざる灼熱の太陽に焼かれながら、ふとそう思った。

2006年に始まったサマースプリントシリーズは、11年までの6年間ですべて牝馬がチャンピオンに輝いてきた。11年までの6年間で行われたシリーズのべ30戦の成績は、牝馬24勝に対し、牡馬はわずかに6勝。「夏の牝馬」の活躍を見事なまでに具現してきたのである。

風向きが突然変わったのは12年。この年、シリーズ6戦のうち牝馬が勝ったのは、エピセアロームのセントウルSのみにとどまった。翌13年も牝馬の1勝5敗。そして今日のアイビスサマーダッシュでも牝馬は勝つことができなかった。今年はシリーズ3戦を終えた時点で牝馬の1勝2敗。06年から11年までの6年間で8割を誇った牝馬の勝率は、この2年あまりで大暴落してしまったのである。

なぜ牝馬が夏に強いのか。よく言われるのが「子どもを産むから」というもの。馬に限らず男より女の方が環境の変化に対する順応力は高い。ほかにも「馬体の大きい方が、熱を放出しにくいから」という説がある。一般的に牝馬の方が牡馬より小さい。太っている方が夏バテしやすいから、体の小さな牝馬が有利になるというもの。私自身夏バテが激しいから、これにはなんとなく説得力を感じる。

しかし、かつては氷柱に扇風機が普通だった厩舎の暑さ対策も、最近はすっかり様変わりした。今じゃ全館冷房完備の厩舎は珍しくもなんともない。さらにミスト発生装置なども組み合わせることにより、暑さ対策は格段に進歩している。遠征先の馬房にも、こんなポータブルクーラーを持ち込むことができるから、昔のように露骨な夏負け症状を呈している馬を見ることも少なくなった。

Coler 

牡馬の成績が上がったのは、設備の充実により過酷な暑さから開放されたため―――とする仮説は、しかしまだ不十分であろう。それなら、牝馬と牡馬が互角の成績でなければならない。

となれば「冷房病」ではあるまいか。人間でも冷房病は圧倒的に女性に多い。我が家でもエアコンの設定温度で言い争いになることがしばしば。3人の女に言い負かされて我慢を強いられるのは、言うまでもなく家庭内でただ一人の男の私である。だが、「設定温度低すぎ!」と言えない牝馬は、冷房に体調を崩して得意の夏が逆に苦手になってしまっているのかもしれない。それくらいでなければ、この成績の逆転現象は説明できまい。

それにしても、エルニーニョを理由に「今年は冷夏になる」と言い切っていた予想屋……、ではなく予報士はいったいこの暑さをどう思っているのだろうか? 「夏の牝馬」よりも、「冷夏」の行方が気になるほどの、激しい猛暑が続いている。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月 2日 (土)

命を救うかき氷

JRAがローカル開催まっただ中のこの時期、札幌や新潟に行く金もI-PATの残高も無い身としては、WINS後楽園に出向く機会が増える。どれくらい金がないか。それは、半蔵門線の神保町から三田線に乗り換えて水道橋までひと駅分の電車賃を惜しんで、この炎天下を歩くほど。月末に迫ったサマーセールの結果如何では、自宅から水道橋まで歩くことになるかもしれない。

今日も後楽園で馬券を購入し、白山通りを神保町へと歩いていた。だが、その途中で突然のめまいに襲われたのである。さては熱中症か。薄れゆく意識の中であたりを見渡すと、涼しげな水色の壁が目に入った。

Nago 

這うように入店したのは『なごかふぇ』というお店。どうやら沖縄料理店らしい。だが、人気は沖縄のかき氷「ぜんざい」のようだ。

Zenzai 

沖縄の「ぜんざい」は黒糖で煮た金時豆とその煮汁のかき氷。氷の山を崩さぬよう、そろりとスプーンで削り、口へ運ぶ。冷たさと甘さを楽しむうち汗がすーっと引き、舌の感覚がなくなってくる。この清涼感は他の冷菓や飲み物では味わえない。金時豆の優しい甘みのおかげで、いっきにHPが回復した。

かき氷を庶民が口にするようになったのは明治時代とされる。見馴れた「氷」の旗の登場もその頃のようだ。とはいえ、冬から貯蔵しておいた氷を夏に食べる「夏氷」の歴史は古い。日本書紀には、古代の冷凍庫「氷室」の記述も残る。

清少納言は枕草子の中で「あてなるもの」(気品高いもの)として、「削り氷にあまずら入れて、新しき金鋺に入れたる」と紹介した。削った氷を金属の器に盛り、「あまずら」、すなわち葛の汁をシロップ代わりにかけて食べる。これこそ、みぞれ味のかき氷の原型だ。イチゴやブルーハワイなど、香りや色のあるものに比べて地味に思われるみぞれだが、実はこれこそが由緒正しき正統派といえる。

先月、桜新町にオープンしたかき氷専門店『雪うさぎ』は、日光の有名店『日光松月氷室』の氷を使っているという。さっそく訪れて注文したのは「マンゴー味」。まったく由緒もへったくれもありませんな(笑)

Mango 

1杯の高さは20センチにも及ぶが、日光天然氷を使ったかき氷はふわふわとまるで綿雪。その冷たさは優しく、しかも頭が「キーン」とならないところが嬉しい。ちなみにこのお店、夜は『DAIHACHI』という名前の「牡蠣」専門店となる。

 

 

| | コメント (0)

2014年8月 1日 (金)

再スタート

「自分の馬のことをあまり書きませんね」と言われた。なるほど。言われてみればそうかもしれない。私のかかわる現役馬について書いたのは、昨年の8月8日付「細い細い糸の先に」が最後。もう1年も前の話だ。

別に隠していたわけでもない。単純に書くことがなかっただけ。書くことがないということは、良いことも悪いこともないということだ。悪いことは無いに越したこともないが、何も無いのでは、そもそも馬を持っているかいがない。だが、ここへきて馬たちにようやく動きが出てきたのである。

昨日、ポップレーベルが船橋・川島正行厩舎に入厩した。ブリーダーズゴールドジュニアカップを制してから、ちょうど1年目の再スタートである。東京ダービーに間に合わなかったことを悔しくないと言えば嘘になるが、私が目指す先はあくまでも“カンパニーの代表産駒”の称号。名伯楽の手腕に期待したい。

Pop 

昨年8月4日の未勝利戦9着を最後にJRAに見切りをつけ、地方に移籍していたオシャレバンチョウも、ようやく笠松で3勝目を挙げてJRA復帰を果たした。こちらも1年ぶりの再スタート。めでたい。めでたいが、3勝するのに15戦も要した事実に目をつむることはできぬ。それを承知でオシャレバンチョウを引き受けてくれた森田調教師には、感謝せねばなるまい。

Oshare 

オシャレバンチョウは、その母親ボンキュッボンに縁があって出資した1頭だが、先週は縁のある騎手が大きな勝利を手にした。

Misaki 

3年前に騎手を引退しながら、この春再デビューを果たした柴田未崎騎手。春先はあちこちで話題になったが、なかなか勝ちに恵まれない。そりゃそうだ。一度は辞めた身である。減量特典があるわけでもない。最初はいちいちレースをチェックしていた私も、いつの間にかほっぽらかしになっていた。そしたら、先週日曜の大井場外でモニタに未崎の顔が映っているではないか。瞬時に事態を理解して、思わず「やった!」と叫んでしまった。現場で見てなくて申し訳ない。

Misaki2 

彼にしてみれば、この1勝が事実上の再スタートであろう。しかも今週から彼は栗東に拠点を移した。なんと、その拠点のひとつが森田厩舎だという。もし彼がオシャレバンチョウに乗ってくれるようなことがあれば、それだけで1年間を待ったかいがあろうと言うもの。三者三様の再スタートにエールを送りたい。

 

 

| | コメント (0)

« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »