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2014年7月23日 (水)

人生の欠落

物忘れのひどさについては、今更なにかを語る気にはなれない。

習志野きらっとスプリント当日の船橋で、出走関係者数人と世間話をした。だが、馬の名前が出てこない。それも、大昔の条件馬とかならまだしも、今年の春の天皇賞を勝った馬の名が、誰も思い出せないのである。

「ほら、天皇賞連覇の……」

「ああ、蛯名が乗った……」

「そうそう、ディラローシェの子で。あれ。なんつったっけ?」

こういうシチュエーションにおいて、どういうわけか母名だけはすんなり出てくるから面白い。ともあれ、天皇賞のレースぶりも、血統も分かっているのに、なぜか「フェノーメノ」という単語が出てこないのである。ちなみに、その世間話は3時間をゆうに超えたはずだが、会話中に名前が出てこない馬は4頭にも及んだ。ちなみにいずれも最近の重賞勝ち馬。むしろ20年前の馬は鮮明に覚えていたりするから、いよいよ説明がつかない。

帰宅してからパソコンを開き、別の用件でとある馬の写真を探した。

撮ったという記憶はない。だが、数年前に東京で行われたGⅠの当日に勝っているのだから撮っているだろう。読み通り、写真はあっさりファイル検索にヒットして、パソコンには数個のサムネイル画像が表示された。これでよし。とはいえ、その馬に関する記憶は全くない。

昔は撮ったレースを忘れることなどなかった。その記憶は今もありありと脳裏に刻まれている。だが、10年ほど前を境に、突然覚えられなくなった。これも歳のせいか。なにせ昨日の夕飯すら思い出せないのだから。

いや、すべてを歳のせいにするのはよくない。何かほかに思い当たることはないか。

そう、たとえば、私がいま操作しているこのパソコンである。昔は写真を撮れば、まずフィルムを現像して出来上がりをを検分。その上で、これはと思う数枚を印画紙に焼いていた。そこで再度仕上がりをチェック。それをアルバムに整理し、気が向いた時にパラパラと眺めていたのである。

むろん後になって必要なカットを探すときも、その写真を一枚一枚見直していた。冊子のアルバムに検索機能などない。その過程でレースにまつわる様々な状況を思い起こすことになる。1番人気馬が出遅れた。雨が降っていた。馬券が当たって、レース後にちょっと贅沢をした……等々。こうして記憶はさらに強固なものとなった。過去に撮影したレースを今も覚えているのは、こうした行為の反復によって為せる業であろう。

だが、いつしかカメラはデジタル化し、写真の保存先もアルバムからパソコンのハードディスクへと変化した。あとから写真を探すときは、パソコンの検索機能を使えば、目当ての画像だけがただちに表示される。こうして記憶を繰り返す機会は失われた。これではまるで他人が撮った写真と同じではないか。

私の使用機材がフィルムからデジタルへと移行したのは、ディープインパクトが3冠を取った頃。記憶の途絶が始まる年代と一致するのは、決して偶然ではあるまい。

人生が失われている―――。

突然そう思った。自分が一生懸命やったことの結果を覚えていない。それは私の人生の一部が欠落していることと同じである。私自身は覚えているつもりであっても、それでも忘れていることの方が圧倒的に多いのであろう。むろん加齢による影響、すなわち脳の老化による部分も大きいはずなのだが、パソコンという便利なツールを手にした代わりに、実はもっともっと大事なものを我々は失ったのではあるまいか。

Feno 

これからは、パソコンの中の写真も折を見て見返すことにしよう。フェノーメノの名前が思い出せなかったばかりに、ずいぶんたいそうなことにまで考えが及んでしまった。

 

 

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