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2014年7月29日 (火)

捨てられぬもの

JRAはローカル。南関東番組も夏枯れというこの時期に、まとめて読んでしまおうと、数冊の新刊を購入した。

ただし、我が家の書架はきわめて狭い。ために3冊買ったら3冊処分するのが鉄則である。だが、「これはもう一度読もうと思っていたんだよなぁ」とか「どうせ売ってもたいした金にならないし」などと言って、結局部屋の片隅に本の山ができる。それを妻が見つけて怒り出す。ひぐらしの鳴き声をBGMに優雅な読書……どころではない。

Yushun 

なかでも困るのが雑誌だ。読んだら捨てればよいのに、なかなか捨て切れない。なぜか。まったく不要かというと、あるとき突然必要になったりするのである。先日書いた「エリッシオ」と「ピルスドスキー」の件でもそうだった。依頼原稿で窮地を救ってもらったことも何度かある。一度そういう経験をすると、読み終えた雑誌が、とてつもなく愛おしいものに思えてくるのである。

だが、目当ての記事に辿り着くのは容易ではない。

雑誌にそれが書いてあったことは覚えている。だが、どの雑誌なのか。何という雑誌の何年何月号か。それがわからない。それで雑誌をぜんぶひっくり返す。しかし見つからない。しかも、全部取って置いてあると思った雑誌に、ところどころ抜けがあるではないか。しまった。たまたま捨てた号に目当ての記事含まれていたのかもしれない。だんだん疑心暗鬼になってくる。

それなら重要と思える記事を切り抜いてスクラップしておけ。そう言われる。

だが、そういうスクラップがあとから役に立ったためしがない。重要と思える記事は、だいたい頭に入っている。頭に入っていない記事が重要なのだ。それに気づいた時はもう遅い。スクラップブックは、単なるお気に入りの記事を保存するメモリアル・アルバムと化している。

そうすると今度は、それは整理の仕方が悪いのだと言われる。世の中には切り抜きを趣味にしている人もいて、その人の仕事は丁寧至極なのだが、それだけの時間と手間をかけるくらいなら、資料など使わずに原稿を書いてしまった方が早い。

「雑誌丸々取り置き型」のよいところは、その雑誌を読み直して新たな発見があること。写真はちょうど20年前の「優駿」。「短期免許第1号となったニュージーランドの女性騎手リサ・クロップの活躍で、日本の競馬に興味などないと思われていた外国のほかの騎手たちも、そのうち来日するかもしれない―――」とある。

Yushun2 

こういう記事に触れるたび、20年間という年月を実感するには、ちょうどいいテキストだと思うのである。

 

 

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競馬」カテゴリの記事

コメント

やっぱり競馬雑誌もデジタル化ですかね。

ギャロップも月曜配信されれば、デジタルに移行するのに...

投稿: tsuyoshi | 2014年7月30日 (水) 10時52分

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