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2014年4月11日 (金)

ニュージーランドトロフィー

1983年に重賞に格上げされたニュージーランドトロフィーは、明日が数えて32回目。

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今でこそNHKマイルCの前哨戦という位置付けだが、NHKマイルC創設前は、12ハロンは明らかに不向きのスプリンターと、12ハロンでもイケるはずなのにクラシックに出られない外国産馬やクラシック未登録馬が激突するという稀有な舞台だった。手綱を持ったまま後続を7馬身千切ったオグリキャップのレースぶりは、今となっては伝説のように語り継がれている。

「ミホノブルボンより強い」と言われた外国産馬ヒシマサルと、のちにマイルCSを勝つシンコウラブリイ、そして韋駄天サクラバクシンオーの「3強対決」でGⅠレース並みの盛り上がりを見せたのが、1992年のこのレース。9万6千人の大観衆が見守る中、シンコウラブリイが並み居る牡馬を蹴散らしたレースぶりは圧巻だった。重賞91勝を誇る藤沢和雄調教師の、これが初めての重賞制覇となる。

入場者数でいえば94年の方が凄い。なにせ10万8千人である。念のために記しておくが、この当時のニュージーランドトロフィーがGⅠだったわけでは決してない。わずか9頭立てのGⅡレースを見んがため、昨今ではGⅠ当日でも滅多に見ないほどの大観衆が東京競馬場を訪れた。彼らの視線の先にいたのは、外国産馬ゆえに桜花賞とオークスへの道が断たれたヒシアマゾン。同世代の外国産牡馬陣を破った彼女は、ここから女傑への道を駆け上がって行く。

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重賞に格上げされる前のニュージーランドトロフィーは、3歳上オープンの芝1800m戦としてダービー前日に行われていた。これを3歳限定のマイル重賞とした狙いは、明かなマイラーをダービーのゲートから除外することにある。当時のダービーはフルゲート28頭かそれに近い多頭数が常態化。「ダービーを勝つのは強い馬ではなく運の良い馬」などという格言は、主催者にとっては皮肉でしかない。ダービーの出走頭数削減は急務であった。

さらに、ダービー前にステイヤーとマイラーとを明確に区分けし、その後の路線を整備することは、翌年実施された秋の天皇賞を3200mから2000mに短縮するための布石でもあったに違いない。そのための手段として、ニュージーランドトロフィーの重賞昇格だけではなく、さらに皐月賞の1600mへの短縮案も真剣に議論されていたと聞く。

その後さまざまな曲折を経て、皐月賞の一週前に中山の1600mでニュージーランドトロフィーが行われ、5月の東京でNHKマイルCが行われるようになった。オグリキャップの強さに驚き、シンコウラブリイの速さに痺れ、ヒシアマゾンの末脚に震えた者にとっては、ちょっと物足りない感じも受ける昨今だけれども、明日のニュージーランドトロフィーに超新星の輝きを見つけることはできるだろうか。

 

 

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