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2014年4月 4日 (金)

【訃報】ライデンリーダー

桜花賞が来週に迫った水曜の朝に、ライデンリーダーの訃報が飛び込んできた。

1995年の桜花賞トライアルを圧勝し、本番でも1番人気に推された笠松所属の牝馬。この年の牝馬3冠レースは、桜花賞をワンダーパフュームが、オークスをダンスパートナー、エリザベス女王杯をサクラキャンドルがそれぞれ勝ったのに、「ライデンリーダーの一年」という印象をお持ちの方は少なくあるまい。実は私もその一人。この年はライデンリーダーを追いかけて、笠松や京都への遠征を繰り返した。

中央でGⅠのタイトルに手が届かなかったにもかかわらず、ここまで我々の脳裏に彼女の印象が強く焼きついているのは、結果的に彼女が果たした役割がとてつもなく大きかったからであろう。ライデンリーダーという存在がもしなかったら   。安藤勝己、小牧太、岩田康誠、内田博幸、戸崎圭太といった地方の名手たちが、今日のようにJRAで活躍する日は来なかったかもしれないし、たとえJRAに来ることができたとしても、もっと遅れていたに違いない。

「河川敷の小さな競馬場からやってきた、取引価格350万円(実際には300万円とも)の安血統馬が、中央のエリートたちを蹴散らす」

いつの世も競馬ファンはそういうストーリーを好む。桜花賞での単勝オッズは1.7倍と圧倒的。それゆえ、前が塞がって4着に敗れると、鞍上の安藤勝己騎手は容赦のない非難の嵐にさらされた。

Raiden  

だが、思い返せば、桜花賞でライデンリーダーに先着した3頭(ワンダーパフューム、ダンスパートナー、プライムステージ)は、いずれもトライアルには出走していなかった馬たち。実際「前が壁になった」と言いつつも、ライデンリーダーもそれなりに伸びていたように思う。仮にそれ以上の脚が残ってれば、壁の隙間を割ってでも伸びてきたはず。結局はトライアルがピークだったのだろう。それでも安藤勝己騎手は黙って批判に耐えていた。それが、中央移籍から引退までの10年間に桜花賞4勝という大記録につながったのかもしれない。

ライデンリーダーの父ワカオライデンは、JRA所属時に骨折で再起不能と診断されたが、これを笠松競馬に引き取って復活させ、種牡馬にまでさせたのが、ライデンリーダーの調教師でもある荒川友司師(故人)だった。またワカオライデンの曽祖母・クモワカが、「伝貧」と診断されながらすんでのところで殺処分を逃れたのは有名な逸話。ともあれ、ライデンリーダーの血には奇跡的な生命力が宿っていると、私は勝手に信じていた。そういう意味では22歳での死には、意外な思いも禁じ得ない。日本競馬史に大きな影響を与えた名牝の冥福を祈る。

 

 

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