折り合い
騎手と馬の呼吸がぴったり合った状態を競馬では「折り合う」と言い、逆に人馬の呼吸が合わない状態を「折り合いが悪い」とか「折り合わない」などと表現する。折り合いが悪いひとつの例は、馬はスピードを上げようとしているのに、騎手は懸命に手綱を引っ張っているような状態。これではとてもレースにはならない。
日本の競馬では、とかくこの「折り合い」が重要視されがちだ。たとえば昨年の皐月賞で2着に敗れたエピファネイアと、3着に敗れたコディーノの敗者の弁がそれを象徴している。
■エピファネイア:福永騎手
「あそこまで折り合いを欠くとは思っていなかった」
■エピファネイア:角居調教師
「ダービーに向けて折り合いを工夫しないといけない」
■コディーノ:横山典騎手
「かかったなー」
■コディーノ:藤沢和調教師
「ちょっと行きたがった」
まるで「勝ち負けを分けるのは折り合いが全て」と言わんばかり。数年前のJCで、とある外国人騎手が「日本人は折り合いのことしか頭にないようだが、レースでは他に考えるべきことがたくさんある」と話すのを耳にしたこともある。日本人騎手は、レースの大半の時間を折り合いのために費やしているというわけだ。ちょっと言い過ぎの感もあるが、彼らがそう感じているのは事実だろう。折り合いを気にするあまり自分の馬ばかり見ているようでは、ライバルの動きなど見ている余裕があるはずもない。
ところで、競馬の現場での「折り合い」という言葉の使われ方について、ひとつ気になることがある。本来「折り合い」とは「折れ合う」のであるから、当事者が互いに譲ることを意味する。だが、競馬で使われる「折り合う」には、ややもすると「馬を一方的に我慢させる」というニュアンスが含まれているような気がしてならない。折り合いを欠きそうになったとき、乗り手はどこまで譲っているのだろう。そも、譲っているのだろうか?
「まず人が折れなければなりません」
そう言ったのは生前の野平祐二氏だ。
そもそもすべての馬が自分を受け入れてくれるはずなどない。男女関係に置き換えてみればよく分かる。女性が何を考えているかを知るために、相手の要求を自ら進んで受け入れてみるのが大事。その上で、今度は相手の中に変えられそうな余地を探る。
「自分を変えられない人が、相手を変えられるわけないじゃないですか」。
訊けばなるほどと頷くしかないが、男女関係に喩えられてしまうと……人馬一体の境地は、つくづく遠い。
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