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2014年4月16日 (水)

皐月賞の二百円

皐月賞は回を重ねて今年が74回目。

Narita  

過去10年だけを見ても、馬単の平均配当は27,869円。比較的順当な結果に収まる日本ダービーと比べると波乱のイメージが強い。ディープインパクトで3冠を達成した武豊騎手は、「皐月賞がいちばん危ないと思っていた。負けるとしたらあそこだった」とした上で、「でもディープの3冠の中でいちばん強かったレースも皐月賞」と振り返っている。いずれにせよ、人気馬に取っては鬼門のレースであることに違いはない。

Deep  

皐月賞の波乱の歴史は、第1回目からすでに始まっている。

皐月賞の前身とされる「横浜農林省賞典四歳呼馬競走」の第1回は、1939年に根岸競馬場、良馬場の1850mで行われた。その記念すべき第1回で、今の常識では考えられないことが起きている。勝ったロックパーク号の単勝式が1枚しか売れていなかったのだ。

当時の馬券は高値の華。とても庶民が気軽に買える代物ではなかった。なにせ1枚が20円である。ちなみに大卒の初任給が40円前後だったというから、今なら10万円前後に相当するだろうか。発売単位が10万円の馬券で遊ぶ気になれますか? 私は到底無理ですね。

日中戦争が始まり、やがて太平洋戦争の火蓋が切って落とされようとしている時代。競馬は「軍馬育成」の名目で開催されていた。政府は徒に射幸心を煽る馬券を庶民から遠ざけるため、敢えて発売単位を非常識な額にまで引き揚げたのである。

しかし、それでも金持ちもたくさんいたから馬券は売れたし、庶民は庶民で少額を出し合って馬券を共同で購入する「乗り馬券」を楽しんでいた。もし現在のようにオッズが発表されていれば、いくらなんでも「単勝票数=1票」なんて事態にはならなかったであろう。

単勝の総売上は103,920円(5,196票)だった。しかし、記録に残る単勝配当は「200円」。つまりたったの10倍。これでは計算が合わない。

戦時下ということで、控除率がべらぼうに高かったのか?

いや違う。配当は「最高でも10倍まで」という打ち切り制度があったから。配当打ち切りが適用されたレースでは、残った金額をハズレ馬券に還元して配当するというルールもあり、これを「特払い」と呼んだ。今では的中者ゼロの場合に支払われる70円の払戻金を指す言葉は、配当打ち切りルールの名残でもある。

さらに当時は大穴馬券を指して「二百円」と呼ぶこともあったとされる。ニュアンス的には「万馬券」に相当する言葉だと思っていい。ほとんどのレースが小頭数。しかも出走メンバーの実力差もかけ離れていおり、波乱が極めて珍しかった当時の10倍の配当は、まさに現代の万馬券級のインパクトがあった。

No  

配当打ち切り制度下の皐月賞で二百円を出したのは、ロックパークただ一頭。ちなみに、このレースは8頭立てだったが、記録では彼は「7番人気」となっている。実は、もう一頭「単勝1票」の馬がいたためで、8頭立て7番人気でもロックパークはれっきとした最低人気馬。皐月賞の歴史の中で、最低人気での優勝というのも彼を置いて他にはいない。2002年に単勝万馬券を演出したノーリーズンですら、18頭立ての15番人気だった。果たして、今年の皐月賞はどんな結末が待っているのだろうか。

 

 

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