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2014年2月18日 (火)

1000分の1秒の世界

15日深夜に行われたソチ五輪・スピードスケート男子1500m。最終組で滑ったフェルバイ選手のタイムは、1分45秒00。TV画面の速報表示には「1位」と着順表示された。

だが、3組前に滑走したブロドカ選手のタイムも実は1分45秒00。これは同着か?と色めいたのもつかの間、こういう場合は1000分の1秒単位のタイムで比較するらしい。しかるのち、ブロドカ選手は両手を突き挙げ、フェルバイ選手は顔を手で覆った。

その差はわずか1000分の3秒。距離にしてわずか4センチだという。それを知った家人は「同着にすればいいのに」と呟いた。残酷なほど明暗が分かれたこの瞬間を目撃した世界中の視聴者もそう思っただろうか。あるいは、ベルリン五輪の「友情のメダル」を思い出したかもしれない。

ミュンヘン五輪の水泳400m個人メドレーでも、わずか1000分の2秒差で1、2着が分かれた。計測機器の発達に伴い同着は生まれにくくなっている。それがルールだと言われればそれまでだが、人間同士の争いというよりは、時計の進歩の争いを見せつけられているように思えてならない。だから、ミュンヘンの後にルールが改正され、ロス五輪で水泳史上初の同着が出たときはいくぶんホッとした。

それが競馬であっても基本的には同じ思いを抱くものだが、当事者同士のみならず、ファンのお金が賭けられていると思えば、軽々しく「同着」の判定は下せまい。ソチ五輪でブロドカ選手とフェルバイ選手の明暗を分けた4センチと言えば、2008年の天皇賞秋でウオッカとダイワスカーレットの激戦が生んだ差と同じ。その天皇賞では私も「同着でも良いのでは?」と不服を抱いたが、判定写真を見れば納得せざるを得なかった。4センチというのは、こと競馬の着差として見ると存外大きい。

Vodoka  

計測機器の発達によって五輪の同着が減ったように、競馬では判定写真技術の発達に伴い同着は減る傾向にある。1996年のスプリンターズSのように、わずか1センチの差を炙り出すことも不可能ではない。だが、かつてはここまで厳密な判定は不可能だった。安易な「同着」判定には、当然のようにファンから不満の声も上がる。そこで戦前には、1着同着の場合、再レースで雌雄を決することもあった。相撲の「取り直し」に通ずるものがある。

Hana  

1935年11月23日、阪神最終レースを同着で分けたヨシモアとムーンライトは1時間後に再戦し、今度はヨシモアが1馬身半差の決着をつけた。だが、極度の疲労が祟ったのか、この一戦を最後に両馬とも引退に追い込まれている。人間は相撲の取り直しと同じだと思っても、馬にとってはやはり勝手が違ったようだ。五輪であれ競馬であれ、「1着同着」という結果にそこはかとない安堵感を覚えるのは、そんなエピソードを知るからでもあろう。

 

 

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