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2014年1月31日 (金)

【訃報】サクラチトセオー

ダイヤモンドビコーに続き、天皇賞馬サクラチトセオーの訃報が伝えられた。24歳。種牡馬を引退してからは、新和牧場で余生を過ごしていたが、いつものようにスタッフが馬房を訪れると既に息を引き取っていたという。

個人的に思い出されるのは、ゴール寸前でジェニュインを差し切った天皇賞ではなく、1マイル1分32秒1という日本レコードを樹立した京王杯オータムハンデでもない。それは1995年1月22日のAJC杯。1月の中山には珍しく、雨のそぼ降る薄暗い日だった。

1着サクラチトセオー。2着ホクトベガ、3着ステージチャンプ。普通ならごくありふれた冬場のGⅡ戦だが、この日の競馬場には、普段とは致命的に違う空気が漂っていた。なぜか? 本来なら同時開催されているはずの京都競馬が中止されていたのである。その5日前に発生した阪神大震災により、競馬開催のみならず、関西地区での馬券発売も中止。東日本大震災とまったく逆のことが、このとき起きていた。

だから関西にお住まいの方は、この年のAJC杯の印象をお持ちではないかもしれない。なにせIPATもなかった当時のことである。スポーツ新聞も関西発行版では競馬欄を掲載しなかった。

震災直後、被災を免れた競馬場で重賞を勝った馬が、その1年間を通じて活躍する   。つい最近、我々はそんな一頭に巡り合ったばかりだ。東日本大震災直後に阪神競馬場に場所を移して行われたスプリングSで重賞初制覇を飾り、そのままクラシック3冠と有馬記念を勝ったあの馬。そうオルフェーヴルである。

AJC杯を勝ったサクラチトセオーは、中山記念、安田記念、宝塚記念でいずれも1番人気に押されるが、あと一歩のところで勝利を逃してしまう。しかし、秋の天皇賞でついに悲願達成。直前に調教師転身を発表し、「騎手人生最後の盾」と退路を断ってレースに臨んだ小島太騎手の執念が実った瞬間。見る側にも鬼気が伝わるほど、まさしく怒濤の追い込みだった。

Chitose2  

この年のサクラチトセオーの成績は7戦して【2,2,1,2】。GⅠとGⅡをそれぞれ1勝ずつだから、オルフェーヴルの成績には及ばないかもしれない。とはいえ、前年の3冠馬ナリタブライアンが不調を極めたこの年、震災直後の競馬界を支える存在であったことは間違いない。実際、最優秀5歳以上牡馬にも選ばれた。あらためて冥福を祈る。明日の東京5Rでデビューするサクラアンプルールは、サクラチトセオーの妹サクラメガの息子。明日は偉大な伯父の弔い戦になる。

 

 

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