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2013年9月 8日 (日)

五輪を目指したサラブレッド②

(昨日の続き)

競走馬アスコットの戦績は35戦17勝(2着13回)。連合2マイル、帝室御賞典、中山記念(当時は4000m)などを勝ち、生涯獲得賞金6万8423円は当時のレコードだった。

父は宮内省がイギリスから輸入したチャペルプラムプトン。母は小岩井農場が輸入した名牝系の出自という、まさしく貴顕である。もし馬術の世界に足を踏み入れていなければ、種牡馬になっていたに違いない。

特筆すべきはそのタフさで、帝室御賞典を勝った翌日の目黒記念に出走して、なんと勝ってしまうのである。むろん現在では前日に走った馬の出走など認められていないが、このエピソードは全長数十キロにも及ぶクロスカントリーコースを走破するに足る頑健さを示したものといえる。

アスコットを管理していたのは名伯楽・尾形藤吉。アスコットは尾形が手掛けた数多くの名馬の中でも際立って性格がおとなしく、素直で、賢い馬であり、教えたことは何でもよく飲み込んだと言われる。ここに第一の壁「適性」がクリアされた。

また当時尾形は「(オリンピック出場は)馬の名誉であり私の名誉でもある」とも語っている。

種牡馬にさせるよりもオリンピック出場の方が名誉なこととされた当時の時代背景に加え、全兄のワカクサが既に種牡馬入りしていたことも手伝って二つ目の壁「種牡馬入りの葛藤」はクリアされた。こうしてチャンピオンホースのオリンピック出場は日に日に現実味を帯びてくる。

1933年5月14日。引退レースとなる根岸競馬場の横浜特別(3200m)を70キロという酷量を背負いながらも勝つと、アスコットは陸軍騎兵学校に寄贈された。そこに待ち受けていたのは、前年に行われたロサンゼルスオリンピック障害飛越で金メダルを獲得した「オリンピックの英雄・バロン西」こと西竹一だったのである。

来るべきベルリンオリンピックでは純日本産馬に乗って連覇を   

これは西本人のみならず、日本国民の悲願でもあった。「オリンピック連覇のためにアスコットの馬術転向を」という声は日増しに高まり、こうして3つ目の壁をもクリアしたアスコットは3年後に迫ったベルリンオリンピックに向け特訓を始めることになる。

普通の馬では3年間で馬術のすべてを仕込むことは不可能とされるが、西は「この馬なら大丈夫だろうと思う」と語った。

(明日付に続く)

 

 

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