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2013年8月10日 (土)

戦争に消えた競馬場

今では想像もつかないだろうが、つい20~30年前ほどまではJRAよりも地方競馬の方が活気に満ちあふれている時代が長く続いた。さらにもっと前、戦前の「全国3大競馬場」と言えば、川崎、羽田、大宮を指したのだが、いずれも地方公営競馬場というのは驚きである。

大宮競馬は1931年12月に初開催を迎えた。県内をはじめ東京方面から押し寄せたファンで2カ所の仮設スタンドは十数万人の人垣で埋まったと言う。開催は年2回だったが、当時はまだ珍しかったサラブレッドが出走したことで人気を博した。しかし、1939年に競馬場は閉鎖。跡地には中島飛行機大宮製作所が設立され、ゼロ戦のエンジン製作の拠点となり、その地に再び蹄音が響くことはなかった。

同じようにかつて西宮市鳴尾浜にあった阪神競馬場も、戦争の激化に伴って軍用機のテスト飛行場にするため海軍の手に渡った。1943年のことである。

今でこそ競馬監督省庁といえば農水省だが、戦前の競馬は陸軍省の監督下にあった。馬は兵器であり、競馬はその性能品質検査の場として、かろうじて存在を許されていたことによる。しかし、馬を兵器として重宝する時代はとうに過ぎ去り、航空機に取って替わるようになった以上、軍部が監督配下の施設の用途を転用したのは極めて自然な成り行きだった。

戦局が悪化し、本土決戦が叫ばれるようになると、航空機関連の工場用地のみならず、駐屯地や作戦司令部などとして競馬場が接収されるようになる。函館競馬場には函館独立高射砲第31部隊が配備されたし、かつての関屋(新潟)競馬場には陸軍軍医学校防疫研究室が存在した。いわゆる731部隊の研究機関である。

日本で始めて洋式の常設競馬が開催されたことで知られる根岸競馬場は、前面に大きく張り出したガラス張りの雄大なひさしが特徴。丸ビルを手がけたモーガン氏の設計にかかる名建築である。地上7階、観覧席4500席の規模を誇り、遠く東京湾と三浦半島までも一望できる眺望は「日本で一番見やすいスタンド」とも言われた。だが、横須賀軍港を一望でき、海軍の動静を詳細に探知できてしまうという理由から海軍に接収されてしまったのである。日本一の眺望が、競馬場の閉鎖の要因となったのは皮肉だ。その後、根岸で競馬が開かれることはなくなった。

Stand 

根岸競馬場の跡地は、今では『馬の博物館』や森林公園として整備され市民の憩いの場ともなっている。だが、かつて国内随一と称賛されたかつての一等スタンドは、老朽化が著しいため、現在では一般の立ち入りは許されていない。

廃虚同然の姿が風雨にさらされている姿は見るに忍びないものがある。戦前の競馬場建築物としては唯一現存する歴史的遺構と知れば、その思いはさらに募る。

終戦からはや68年。競馬開催は無理でも、スタンド建物の復元はならないものか。中京、札幌に次ぐスタンド改修は「根岸」   なんていう計らいがあってもいい。来週木曜は終戦の日。根岸で先の戦争に思いを寄せるのも悪くはない。

 

 

 

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