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2013年8月11日 (日)

戦争に消えた馬たち

「来るべき本土決戦に備え、10万リットルの血清を製造せよ」

昨日、戦争のため軍に接収された各競馬場の話を書いたが、むろん中山競馬場も例外ではない。いや、そこで繰り広げられた光景に思いを馳せれば、むしろ根岸よりも悲惨であったと言うべきであろう。

中山競馬場が陸軍に接収され、陸軍軍医学校中山出張所とされたのは1944年3月。間もなく、500頭の馬と競馬関係者が招集される。そこで彼らが受けた指令は、「来るべき本土決戦に備え、10万リットルのガス壊疽血清を製造せよ」というものだった。

集められた馬に、ガス壊疽菌を注射して抗体を作らせ、抜き取った血を人間用の血清にするのである。動員された騎手や調教師に与えられた使命は、馬の体中の血をすべて抜き取る「全採血」。毎日を一緒に過ごし、ともにレースを闘った馬を殺さなければならない。だが「馬1頭の命で何百人もの兵隊の命が助かるんだ」と言われれば諦めるしかなかった。

採血作業は凄惨を極めた。前脚と後脚を縛って一斉に引っ張ると馬は横に倒れる。それでも暴れる馬は、オノで眉間を叩いて気絶させた。この作業には学徒動員の女学生も従事させられたというから驚く。と同時に、あまりに気の毒ではないかと思う。かつて、私にこの話をしてくれた方は、「最初はとても正視できる光景ではなかった。だが、これもお国のためと自らに言い聞かせると、やがて何の感情もなく馬の頸を押さえ、流れ出る鮮血を眺められるようになってしまった」と淡々と語った。

作業を終えて脚を縛っていたロープをほどくと、馬は前脚2本ですっくと立ち、最後のいななきを残してからバタンと倒れて絶命したという。

敗戦から1年半後の春。中山競馬場に再び蹄音と歓声が甦った。

その日中山のコースを駆けた馬たちは、かつて猖獗を極める戦局下にあってなお競馬復活を信じてやまなかった騎手や調教師たちが、軍医学校の幹部に必死に懇願して「全採血」から免れることができた馬。その数、わずか20余頭である。それでも、こんな早くに競馬を再開できたのは、彼らの必死の思いがあったからに他ならない。

戦争は人間が殺されるだけではない。今日(こんにち)の競馬場の賑わいの陰にはこんな出来事もあった。競馬に携わる一人として忘れないでおきたい。

 

 

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