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2013年7月22日 (月)

続・騎手が足りない!

1月21日付の当ブログ「騎手が足りない!」において、「調教師や調教助手に転じた元障害ジョッキーが、いざという時に手綱を取るという案を推したい」と書いた。この前日に行われた中山と京都の障害戦2鞍の出走馬が、騎手不在のため取消となったことを受けてのことである。

直後には、ネガティブな意見が寄せられたりもしたのたが、このたびJRAは騎手免許試験の要項に「引退騎手の再受験」に関する規定を明文化することに決めたという。西田雄一郎騎手の例を持ち出すまでもなく、もともと一度引退した騎手の受験は可能だったわけだが、より取得条件が緩和されることで、引退騎手の復帰への道筋は大きく広がった。むろんその背景には、慢性化しつつある騎手不足への懸念があることは言うまでもない。

先ほど触れた「ネガティブな意見」というのは、復帰しても活躍を期待できないというものがほとんど。「勝てないから辞めるのに」とか「ブランクを埋めるのは無理」など辛辣なものだった。

だが、西田雄一郎騎手は5年間のブランクを埋めて騎手に復帰。その5年後に重賞制覇を果たした。さらにもっと遡れば、蛯沢誠治騎手(故人)のように、カムバックを果たしてから数えて10年目にして自身初となるGⅠ優勝を掴み取った例もある。

蛯沢誠治騎手は、1975年に運転免許不正取得事件に連座していたことが発覚し、懲役5か月・執行猶予2年(求刑懲役6か月)の有罪判決を受けた。競馬法では、禁固以上の刑に書せられた者は騎手の免許試験を受けることができない。蛯沢騎手もJRAから騎手免許はく奪の処分を受け、競馬界から追放される。その後、かつての師匠である成宮調教師が携わる青森県の明神牧場の牧夫として反省の日々を過ごした。

それでも、成宮調教師を始め関係者の必死の尽力により、1978年の3月には騎手復帰が叶う。馬事公苑で連日乗馬訓練に励んで勘を取り戻し、迎えた3月12日の中山記念で復帰後初勝利を果たした。跨ったのは9番人気のカネミカサ。愛弟子の復帰のため奔走してくれた、成宮調教師の管理馬である。

騎手が鞭を置く理由は、成績不振や年齢による体力の衰えばかりとは限らない。意外と多いのは厩舎経営を引き継がねばならないというもの。かつて野平祐二氏は「調教師になんかなりたくなかった」とこぼしていたし、今も検量前では「俺が乗れば勝てたのに……」と呟く調教師を見かける。

ただ、前回私が言わんとしたのは、あくまで障害レースに限り、調教師や調教助手が、その身分のままレースに騎乗できるようにしたらどうか? ということ。障害レースは体重制限が緩いし、若くして調教助手に転身する元騎手には、引退直前は騎乗機会を求めて障害レースに専念しているケースも多い。

まあ、こんなことを書くと、またお叱りの意見を頂戴するかもしれないけど、JRAの騎手は勝てなくても食っていける。年間未勝利のくせにBM乗り回している騎手だっているほど。「勝てなくて生活が苦しいから辞める」などというケースは、案外少ないと思いますよ。

 

 

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コメント

勝てないから辞めるのより、乗せてもらえないから辞めるの方が多いと思いますよ。それよりは中央・地方の騎手免許を一本化した方が互いの騎手不足も解消でき、尚且つ荒尾・福山の騎手たちの受け皿にもなれたはずです。

投稿: 馬さん | 2013年7月23日 (火) 08時20分

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