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2013年5月 3日 (金)

一日一冊

この連休を読書に充てようとされている方もいらっしゃることだろう。まとまった読書時間を取るのは簡単なことではない。世間の喧騒とは無縁のゴールデンウィークを過ごすというのは、ちょっとした贅沢でもある。

かくいう私も「一日一冊」を目標に掲げていながら、思うように時間が取れずに「三日一冊」程度のペースに甘んじている。一方で、読むべき本たちは「一日一冊」を前提にかき集めてしまっているから、部屋の片隅には未読の本たちが雨後の筍のごとく屹立することになる。このGWに少しでも取り戻さねば、未読の本で部屋が埋め尽くされかねない。それで、府中や浦和に行っても競馬新聞ではなく本ばかり読む羽目になった。今更、村上春樹の新作を広げるのも気が引けるけど、部屋のスペース確保ために背に腹は代えられない。

Book 

そんな読書繁忙期に限って、セールのカタログが届けられたりする。私にとって、セールカタログは立派な“読み物”であるから、全ページ余すとこなくちゃんと読む。読んだところで何の役に立つのかは分からないけど、一頭一頭のプロフィールにきちんと目を通さねば、売られる馬たちに失礼な気がするのである。

そもそも、まともな本を一日一冊のペースで読み倒したとしても、その本に書かれた内容がすべて役に立つとは思っていない。

本はたくさん読んでいる。他人よりものは知っている。でも、それだけ   

そんな人間が巷にどれだけ溢れていることか。何事においても対価をめる風潮の為せる業であろう。「読書」を労力と捉え、それに対する「対価」としての知識を求めているようにも見える。

片っ端から本を手にとって読み漁ること自体は、決して悪いことではない。だが、知識は在庫をただ積み増すのではなく、入れ替えることが肝要。使わぬ知識に価値はない。在庫の入れ替えは思考力の鍛錬にも繋がり、不易な知識のみを残すことができる。

これを具体的に示す行為が、読み終えた本の処分であろう。古本屋に持ち込む本の選択がいかに難しいか。体験のある人でなければ分かるまい。思い入れもあるし、ひょっとしたらまた必要になるかもしれない。それは馬券検討における重大決断「切り」にも通ずる。馬券上手は切り上手。本も知識もヒモ候補も、切るべきものはスマートに切りたい。

 

 

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