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2013年4月12日 (金)

日本人の幸せ

昨日の大井5レースにコメシャワーという名の馬が出走していた。

Baken 

タップダンスシチー産駒の4歳牝馬の名は、かの非業のステイヤー「ライスシャワー」をもじったネーミングであろうと思っていたら、「人名愛称+シャワー」と登録されていた。ふーむ。まあ、ひとつ上にコメネーチャンというお姉ちゃんがいるので、そう言われればそうですかと言うしかない。

Riceshower

ところで、「究極の料理」というものが仮にあるとすれば、それは炊きたてのコメ、すなわち「ご飯」を置いてほかにあるまい。

美味いモノを突き詰めればコメに行き着く。美味いからこそ毎日食べ続けていられないのである。ところが、この「ご飯」という料理を料理と思っていない店が意外にも多いことに驚く。大衆食堂では先発投手並の重責を担い、懐石料理においてもクローザー的存在のご飯がダメとなれば、すべてがぶち壊しになってしまうという事実を理解していないとしか思えない。

特に老舗と呼ばれるような料亭では、「飯炊き」というと料理人ではなく雑用人とか見習いの仕事という風習があった。さすがに現代においてはそのような習慣はあるまいが、それでも炊飯とその他の料理との間に一線を画す考えを持つ料理人はゼロではないと聞く。パンを美味く焼く料理人に対する評価の大きさと比較するに、ご飯を軽視しがちなのは料理人のみならず、日本国民全体の意識に問題があるのかもしれない。

日本のみならず人類全体を対象にしても、コメの美味さに対する嗜好は絶対的なものがある。欧米人であれその他の種族であれ、一度でもコメの味に接すると、それまでの主食をさしおいて米食に移ろうとする傾向があるのに、その逆というのは決してない。日本人のコメ離れが叫ばれて久しいが、それでもコンビニでのおにぎりの売り上げが増え続けていることひとつをとってみても、日本人がコメ好きであることに何ら変わりはないことを表している。

日本人はコメと共に二千年もの歴史を紡いできた。コメ作りに集中させるため、動物の肉を食べることをタブーにしたほどの固執ぶりで、こんな国は他にない。この歴史が私たちの体の中に根付いている。パンが増えたから食生活が変わったと、単純に言い切ることはできまい。

そんな日本人のひとりとして、八丁堀『鈴木米店』は有り難い存在だ。

お米屋さんが営む食堂となれば、そのご飯が美味くなかろうはずもない。むろん、その味はコメのブランドなどではなく炊き方によって引き出されたもの。つやつやと輝くコメの一粒一粒を味わうにつれ、日本人としての幸せをあらためて噛みしめるのである。

Suzu 

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