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2013年2月26日 (火)

国益と競馬

先週土曜の未明、突如としてTPP問題が動き始めた。日米首脳会談において、「すべての品目の関税撤廃がTPP交渉開始の前提とはならない」との方針が確認されたとして、安倍首相は今週中にもTPP交渉への参加を表明する意向を固めたという。これは一大事である。

ところが、土日の競馬場でTPPに関する話題はひとつも耳にしなかった。興味がないのか、あるいはその話題を敢えて避けていたのか。とはいえ、生産者にしても、馬主にしても、あるいは騎手らにとっても無関係では済まされぬ問題である。楽観主義がもたらした悲劇を、つい最近もレスリング競技に見たばかりではないか。ひとつ舵を誤れば、日本の競馬の行く末を大きく迷わせかねない難所と心得て事にあたりたい。

TPP交渉で相手国が言及する可能性がある競馬絡みの事案は、大まかにこんなところだ。

 ・競走馬や受胎牝馬の輸入にかかる関税の撤廃
 ・日本国内全レースの外国馬への開放
 ・海外で認可された外国人馬主、調教師、騎手の参入

1993年のGATT/ウルグアイラウンドでは、競走馬はコメや牛肉と同じ農産物であるとして協議の対象となり、当時400万円だった関税は段階的に340万円にまで引き下げられた。さらに、ほとんどのオープンレースは外国馬に開放され、外国人馬主や騎手も条件付きながら日本の競馬に参入を許されるなど非関税障壁対策も進んだ。

だがそれでも米豪新の3か国は納得していない。そもそも彼らが求めているのは関税の「減額」や「条件付き」の開放ではない。米豪新が無条件で日本馬や騎手を迎え入れているのと同じように、日本側にも無条件を求めてくるのは必然と思われる。

安倍首相は日本を発つ前の参院予算委員会で、TPP交渉について「日本の国益を守る代表として臨む。国益を確保するために全力を尽くしたい」と、「国益」という言葉を強調した。野田前首相もTPPに関しては「国益」という言葉を繰り返したように思う。

我が国の近代競馬は、鹿鳴館政治のさなか、「国策競馬」として発展した歴史を持つ。「国策」の目指すところは「外国列強と肩を並べ得る近代国家たる日本」を海外にアピールすること。最終的にはその先にある不平等条約改正や国際的立場向上などの「国益」だった。さらにその後は、良質の軍馬を供給するための検定手段として競馬は発展を続ける。軍馬供給も「国益」に違いあるまい。

そも「国益」とはいったい何なのだろうか。

普通に考えれば「国家の利益」であろう。だが、昨今は「国民の利益」と勘違いしている人もいるようだ。世論調査によれば、若い人ほど「国益主義」を肯定する傾向があるという。国益、すなわち「お国のため」というお題目のもとに、国民の利益が抑圧され続けた戦中戦前を知る世代は、今や少数派。こと利益という観点から論ずれば、国家と国民は対立することの方が多い。

では、果たして現代の競馬は国益にかなう役割を担っているか。「否」と答える人が大多数に違いない。むしろ国益を害するという見方さえある。かつて国策として発展し、我が国に多大な国益をもたらしたはずの競馬が、100年を経て、国益の名の元に今度は矮小化の道を辿ることになるかもしれない。

「日本の国益を守る」と言い切った以上、首相が、あるいは国家が、競馬を積極的に擁護することはなかろう。だからこそファンを含めた競馬関係者は、たとえ政治が嫌いでもTPP問題には注目すべきだ。安易な国益主義はしばしば大道を誤る。実体も分からぬ国益のために、国民の利益が抑圧されることがあってはならない。

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