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2013年1月28日 (月)

昼休みの食堂

Hiru  

競馬場が今よりずっと混雑していた1980年代末の競馬場では、午前中最後のレースで馬たちがゴール板を駆け抜けるのを見届けるや、猛然とダッシュする客が大勢いた。馬券が的中して払い戻しに走ったわけではない。トイレを我慢していたわけでもない。さて、彼らはいったいどこへ向かったのか?

答えは食堂。当時は今より10分長い1時間もの昼休みが設定されていたのに、それでも食べ終える頃には午後最初のレースが発走してしまうほど昼休みの食堂は混雑を極めていた。

今はそこまで極端ではないにせよ、それでもGⅠ開催日ともなれば昼休みのレストランには空席待ちの長い列ができる。馬主エリアのレストランであっても30分待ちは当たり前。しかも、その行列の先にそれほど美味いモノが待っているわけでもない。貴顕社会にお住まいの面々が、おとなしく行列に並んでいる姿には興を覚えなくもないが、何かが決定的に間違っているように思える。

そもそも、競馬場のタイムスケジュールにおいて、明確に区切られた「昼休み」は必要なのだろうか?

決まって昼休みに昼飯を食さんとする行動は、日本人の哀しい性(さが)に違いない。腹が空いていようがいまいが、あるいは食堂が混んでいようがいまいが、昼休みと定められた時間内に昼飯を食べなければ落ち着かんのである。

すべてを知っているわけではないが、私が行った限りの外国の競馬場において、昼休みというものを体験した覚えはない。

障害レース直後ゆえ、放馬などのアクシデントに備えるための時間が必要だとする“昼休み必要説”を聞くこともある。だが、放馬は必ずしも障害レースだけで起きるものではない。また、各種イベントを行う時間として必要とも聞くが、すべての開催日にイベントを行っているわけでもないし、昼休みの時間を埋めるために敢えて冗長なイベントを組み入れているという裏話もチラホラ漏れ聞こえてくる。こうなれば本末転倒も甚だしい。

競馬場での行動は原則として各個人の自由である。決められた昼休みなどなくとも、腹が減ったタイミングで何かを食べれば良いのだし、店が混んでいれば時間を改めれば良い。一定の時刻を合図に、数千、数万の人間がうつむき加減でゾロゾロと食事に向かう光景は日本のサラリーマン社会そのものではないか。日常を捨てるべき競馬場に杓子定規な昼休みなどを規定する必要性は、さほどないように思えてならない。

Retsu

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