2019年7月28日 (日)

祭りだ

不定期更新が続いております。

今日敢えて筆を取ったのは、ある誤解を解くため。実は、木曜から明日月曜まで、5日間ばかりの夏休みを取らせてもらっている。

旅行に行くわけではない。そんな立場ではないのは重々承知。なのに、一部の間からは「ヤロウ! 仕事を放り投げてキングジョージ観に行きやがったな!」などという、あられもない誤解を受けているらしい。そんなワケないじゃないですか……とも言い切れないけど。まあ、20年前ならそうだったかもしれませんね。私がキングジョージを観に行ったのは、スウェインが勝った1997年。2着ピルサドスキー、3着エリシオ、4着にシングスピール。小倉に行くのもアスコットに行くのも、さほど変わりないと考えていた当時。私も若かった。

あの夏から22年を経てすっかりトシを取った私が、記念すべき令和最初の夏に向かった先は、アスコットではなく病院である。この半年、まともに通院もできなかったから、この際まとめて済ませてしまおうと考えた。木曜は眼科、金曜は内視鏡科、土曜は耳鼻科、今日は休診で、明日は内科である。やれやれ。いったい何が楽しくて夏休みに病院行脚をせねばならんのか。あらためて己のトシを実感する。

それでも今日に限れば正真正銘の休み。ひょっとしたらこの夏、最初にして最後の休みかもしれない。それで、暑さに負けずに外に出てみると……、

Matsuri 

おお! 祭りだ!

競馬ファンが「祭りだ」と聞けば、思い出すのはマツリダゴッホに代表される「マツリダ」の馬たちであろう。

Matsuri2_2

「マツリダ」の冠号を使っていらっしゃるのは、八幡平市在住の高橋文枝オーナー。夫の福三郎さんが大の祭り好きということで、この冠号を付けるようになった。それより前は、福三郎さんの「福」にちなみ「ハッピー」の冠号も使っていたが、「マツリダ」と付けた馬たちが活躍したことで、最近では「マツリダ」一本で勝負していると聞く。ただ、最近はJRAで久しくその馬名を聞かない。2015年、16年と2年連続で千葉サラブレッドセールで最高値落札を果たした勢いは、いったいどこへ行ってしまったのか。

一方で、マツリダゴッホの勢いはまだ衰えていないようだ。今日の新潟6レースの新馬戦を産駒のシコウが勝利。ノーザンファームのロードカナロアを下したのだから偉い。

いやあ、それにしても人生初めての大腸内視鏡検査は、エネイブルに勝るとも劣らないほどの衝撃でしたなぁ。50年生きていてもなお知らないことはたくさんある。ある意味で思い出に残る夏休みになった。

 

 

 

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2019年7月25日 (木)

【追悼抄】原良馬さんを偲ぶ

相変わらず競馬とは無縁の仕事に忙殺され、競馬のニュースからは意図的に距離を置く日々を過ごしてはいるものの、原良馬さんの訃報に触れれば、一歩立ち止まって手に取らざるを得まい。

読売新聞社やデイリースポーツのOBで、俳優でもあり、そして競馬評論家として長く活躍された原良馬さんがお亡くなりになった。85歳。若いファンの方にはテレビ東京「ウイニング競馬」の印象が強かろう。80歳を超えてなお、電車に揺られて競馬場に通い、その上テレビカメラの前で矍鑠たる振る舞いを続けられていたことには、感銘を通り過ぎて畏敬の念を禁じ得なかった。他の出演者が尊敬の念を込めて「レジェンド」と呼んでいたのも、今となっては大きく頷ける。

原良馬氏が競馬記者となったきっかけは、スピードシンボリが野平祐二騎手の巧みな手綱捌きで馬群から抜け出し、菊花賞馬アカネテンリュウを鼻差退けた1969年の有馬記念。このレースの特集記事を「週刊読売」に書いたことがすべての始まりだった。このとき原良馬氏36歳だから、業界入りは決して早い方ではない。それでもほぼ半世紀に渡り、スマートで分かりやすい予想や解説をファンに提供し続けてきた。

Ryouma

もっと若い時分には、俳優座の養成所に所属されていた経験を持つ。同期には市原悦子さんや大山のぶ代さん、作家のジェームス三木さんといった錚々たる名前が。競馬好きで知られる森田芳光監督の映画「愛と平成の色男」で、バーテンダーの役を好演されていたことも今となっては懐かしい。俳優から競馬記者へ。なんと華麗な転身であろうか。テレビやトークショーで見せる落ち着いた語り口や身のこなしは、様々な経験がもたらす賜物だったに違いない。合掌。

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2019年7月15日 (月)

やめたことに

2か月半ぶりの更新だが、状況が変わったわけではありません。コメントもいただいているので、いちおう生きてはいますよ、というお知らせ。忙しさはむしろ悪化しており、気が付けばダービーは終わっており、宝塚記念は気付かぬうちに終わっていた。状況は南関東でも同様。帝王賞はいったい何が勝ったのか? ジャパンダートダービーはいつだ? なに? もう終わっているだと?

実はこの春から競馬を「やめた」。初めて馬券に触れたのはグリーングラスが勝った有馬記念という私である。40年のキャリアを思えば、人生の一大事と言っても過言ではあるまい。

むろんそれにはカラクリがある。もとより私は競馬を最優先とする生活を送ってきた。それが諸般の事情で競馬に行けないとする。その精神的葛藤はなまなかではない。実際、2~3年ほど前からメンタルがヤバくなった。昨年2月にめまい病を患ったのは、それが原因だと秘かに疑っている。ならば、競馬はやめてしまえ。正確には「やめたこと」にしてしまおう。それならば競馬に行けないからと言って、駄々をこねたり、悶絶したり、めまいをおこすこともあるまい。なんだ、簡単じゃないか。

しかし、ひとつだけ気になることがあった。ダービーである。競馬ファンにとってダービーは人生の証。初対面の競馬ファン同士が自己紹介替わりに交わす話題は決まっている。「初めてダービーを観たのはいつか」。競馬の場合、ダービーがそのままキャリアの深さを示す。それを観ないとなれば、ひょっとしたら私は死んでしまうのではあるまいか―――。

周囲は笑うだろうが、私は真剣にそんな心配をしていたのである。

結果から言えば、ダービーを観ずとも私が死ぬことはなかった。これは大きな発見に違いない。それで気を良くして競馬を「やめたこと」にしていたら、いつの間にか夏の福島も終わりに近づいていた。

とはいえ、ラジオNIKKEI賞の福島競馬場には行った。あの忌まわしき震災以来、毎年必ず「復興のために」と福島競馬場を訪れては、馬券もそこそこに腹がはちきれるほど食べ、腰が抜けるほど「飛露喜」を飲み続けたおかげで、最近では地元の方が来賓室に招待してくれるようになったのである。

こんな申し出を「ありがたいのですが、競馬はやめたことにしているので」などと断るバカはおるまい。とはいえ、カメラは持参せず、馬券もそこそこに、ただひたすら地元の名物と地酒にお金を注ぎ続けた結果、お昼の新馬を待たずに私の記憶は飛んだ。その後の記憶はない。

Nikkei

しかし、我がスマホにはこんな写真が残されていたから、ラジオNIKKEI賞はちゃんと観たのであろう。勝ったブレイキングドーンは秋の展望が大きく広がった。翻って私はどうか。なにせ1か月先も見通せない身。「やめたこと」にするのは意外と簡単だが、このまま本当にやめてしまいそうな気がしてならないのである。

 

 

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