2017年3月23日 (木)

グレート・ギャツビー

村上春樹氏の新作「騎士団長殺し」を読了したら、今度は久しぶりにこの一冊を読みたくなり、本棚の奥から引っ張り出してきた。なぜそんな気持ちになったのか。それは「騎士団長殺し」を読んでいただければ、お分かりいただけると思う。

Great 

実を言うと―――というほど重大な話ではないが―――私はこの小説が大好きで、大学時代の講義のテキストとしてこの原書に出会ってからというもの、「一番好きな小説は?」と聞かれれば、迷わず「グレート・ギャツビー」と答えることにしている。

10年ほど前、調べものをする中で小説の中のとあるシーンを読み返す必要がでてきた。ほぼ同じタイミングで、村上春樹氏がその訳を世に問うたことは、偶然というにはあまりに出来過ぎの感がある。すぐさま書店に走り、手に取ったことは言うまでもあるまい。今回10年ぶりにその頁を開いた。

突然だが、ケンタッキーダービーと聞いて、皆さんは何を想像するだろうか?

「マイ・オールド・ケンタッキーホーム」の大合唱や、優勝馬の首に掛けられる深紅の薔薇のレイが大多数を占めるだろうけど、ミントジュレップもこれらに負けぬほど得票を集めると思う。10年前に私が調べていたものこそ、その「ミントジュレップ」についてであった。

ミントジュレップは、バーボンにグラニュー糖とミントを混ぜた甘いカクテルで、ケンタッキーダービーには欠かせない飲み物。

昔、ケンタッキー人の船乗りがミシシッピ川を船で進んでいた時、ふとバーボンを飲みたくなった。そこで陸に上がって湧き水を汲もうとしたときに、そばに生えていたかわいらしい草の葉を一緒に入れてみたところ、これがことのほか美味い。そのケンタッキー人は、その草を故郷のルイヴィルに持ち帰り、そこからミントジュレップが広まったと言われている。

そのミントジュレップが「グレート・ギャツビー」のストーリーのどこかに登場してきたような気がする。あれはどこだったか―――?

そんなことを悩み出したら、もうその一冊を読まずにはいられない。そこに村上春樹氏の新訳が上程されたのだから、やはりこれは天恵としか思えぬのである。

で結果から言うと、物語の最大の山場とも言うべきシーンでミントジュレップが登場していた。ニューヨークのホテルに、主要な人物が集まり、ジェイ・ギャツビーとトム・ブキャナンがついに直接対峙する場面の直前、デイジー・ブキャナンがホテルのサービスにバーボンとミントを注文して、ミントジュレップを作ると言い出すシーンだった。実は物語の中でのデイジーの出身地はルイヴィルだったのである。

そのルイヴィルではケンタッキーダービーの1週間前から「ケンタッキーダービー・フェスティバル」が行われ、実に10万杯ものミントジュレップが飲まれるという。果たしてデイジーは、チャーチルダウンズ競馬場に足を踏み入れたことがあったのだろうか?

 

***** 2017/03/23 *****

 

 

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2017年3月22日 (水)

世界を舞台に

残念ながら侍ジャパンは敗れてしまったが、明日の深夜にはサッカーW杯2次予選UAE戦が、そして土曜の夜にはドバイでワールドカップミーティングと世界の頂点を目指す戦いが続く。しかも国内では高松宮記念を含む4重賞の週末。睡眠時間の確保には気を配りたい。

昨年のラニやリアルスティールのように、今では毎年のように日本馬が活躍するドバイミーティングだが、むろんかつてはそうではなかった。先鞭をつけたのは今を遡ること16年前、当時はGⅡ格のドバイシーマクラシックを勝ったステイゴールドである。GⅡとはいえ1着賞金1億5千万円。負かした相手が前年の世界チャンピオン・ファンタスティックライトだったことを思えば、日本競馬史における快挙であることは間違いなかろう。

Stay1 

ところで、ステイゴールドは4歳時から3年連続で日経賞に出走していたことをご存じだろうか。4歳時がテンジンショウグンの4着、5歳時はセイウンスカイの3着、そして6歳時がレオリュウホウの2着。成績としては悪くない。しかしなかなか勝ちきれない。でもそれは仕方ない。なにせステイゴールドである。ともあれ着順が④→③→②とくれば、次は①を期待してしまうもの。なのに、明け7歳を迎えたステイゴールドは日経賞の同日に行われるドバイシーマクラシックにエントリーした。

しかし招待馬の発表日とされた2月10日になっても、肝心の招待状が届かない。翌日も、その翌日も、さらに1週間待っても招待の連絡はない。ひょっとして選ばれなかったのか―――?

GⅠの2着は捨てるほどあるが、なにせ未勝利。やはり無理だったか。それなら阪神大賞典に……。

そんな話も出始めた2月21日、待ちに待った招待の知らせが届いた。いま思えば、なんと大きな意味を持つ報せであったことか。もしこれが届かなければ、オルフェーヴルもゴールドシップもいなかったかもしれない。

ステイゴールド不在の日経賞をメイショウドトウが勝ったその夜、ドバイからの国際電話で快挙を知った。それはゴドルフィンマイルのノボトゥルーではなく、デューティーフリーのイーグルカフェでもなく、ましてやワールドカップのトゥザヴィクトリーでもレギュラーメンバーでもない。まさかまさかのステイゴールド。受話器の向こうの声は涙に震えていた。

Stay2 

今年もドバイミーティングが行われる土曜日に、中山で日経賞が行われる。ショウナンバッハ、ツクバアズマオー、レインボーラインの産駒3頭に加え、孫にあたるミライヘノツバサもエントリー。この4頭から勝ち馬が出ても不思議ではない。3月の最終土曜日になるとステイゴールドの血が騒ぐ。そう思えてならないのである。

 

***** 2017/03/22 *****

 

 

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2017年3月21日 (火)

白毛の挑戦

白毛馬初のクラシック出走を賭けて先週土曜の若葉Sに出走したシロニイだが、4着に敗れて皐月賞の優先出走権を得ることはできなかった。しかし、負けたとはいえバッタリ止まったわけではない。手綱を取ったシュタルケ騎手も「ダートなら走る」とコメントしている。

シロニイの兄弟姉妹たちは、JRAとダートグレードで5頭が19勝をマークしている。この数字だけで母シラユキヒメが名繁殖牝馬であることは疑いようがない。が、その16勝のうち15勝がダートで挙げたもの。父が変わっても同じようなタイプの子を出すというのも、この母の特徴なのかもしれない。

ホワイトベッセル(3勝)
ユキチャン(5勝)
マシュマロ(2勝)
マーブルケーキ(3勝)
ブチコ(4勝)
シロニイ(2勝)

芝での唯一の勝利は2008年3月29日の中山9R。ユキチャンが勝った芝2000mのミモザ賞だった。

ちなみにこの日のメインレースは歴史と伝統を誇る日経賞。だが、最終コーナーを回って早々にマツリダゴッホの独走状態となった同レースに比べ、直線坂下3番手という位置取りから、真っ白な馬体のユキチャンが一完歩ずつ先頭との差を詰め、ゴール寸前でついに差し切るというレース展開も手伝ってか、この日一番の大歓声はむしろこちらのミモザ賞の方だったように思う。

Yuki 

JRAの芝レースを白毛馬が勝ったのは初。ついでに特別競走の勝利も初めて。すなわち快挙である。

「白毛」というサラブレッドではきわめて珍しい毛色の馬の誕生が、日本で初めて確認されたのは1978年だが、”正式な毛色”として「白毛」が正式認可されたのは1991年。同じ白馬(はくば)でも芦毛は年齢とともに白さを増すが、白毛馬は生まれた時から真っ白なのが特徴で、地肌がうっすらと透けて見えるので淡いピンク色にも見えることもある。特に雨の日はそれが分かりやすい。

海外においては、この毛色はかなり前から知られていた。19世紀アメリカにはホワイトクロスという白毛のサラブレッドが存在したし、フランスにはモンブランという白毛の種牡馬すら存在したという。

「白毛馬は体質的に弱い」という説を唱える向きもあるが、白毛の発生要因はメラニン色素を産生させる遺伝子の一部に突然変異が生じたものと考えられている。そうした遺伝子を片方の親から受け継いだ馬でも正常に成長すれば、メラニン色素が産生されない点以外は競走能力も含めて他のサラブレッドとなんら変わらない。

ただ、他の毛色に比べ体毛が薄いため皮膚が弱いことは確かなようだ。つまり、陽射しの強い夏場の体調管理は難しくなる。芦毛馬は「夏場に強い」という馬券学的な”定説”があるが、白毛馬には必ずしも当てはまるとは限らない。

それにしてもミモザ賞は立派な勝ち方。あの差し脚は決してフロックではなかろう。むろんオークスへの期待も膨らんだわけだが、それを聞かれた金子真人オーナーは高らかに笑った。真意は測りかねるが、「そんなに甘くはないよ」といったところだろうか。実際、次走のオークストライアルでは7着に敗れた。やはりクラシックはそんな甘いものではない。金子オーナーは誰よりそれをよく知っている。

結果的にユキチャンは白毛馬初のクラシック出走を逃した。それから9年。今度は弟のシロニイが皐月賞を目指したが、やはりあと一歩及ばなかった。しかし諦めるのはまだ早い。むろんダービートライアルというルートは残されているが、ここは兵庫チャンピオンシップでどうだ。1着賞金2800万円。獲得賞金としてダービー出走に申し分ない。しかも得意とするダート戦。なくはなかろう。次走にも注目だ。

 

***** 2017/03/21 *****

 

 

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