2018年10月21日 (日)

抗えぬ睡魔

昨日の話から。

8時に起床。午前中は留守番を仰せつかっている。家人は既に出かけたようだ。朝食をとって、犬を散歩に連れていく。帰宅して洗濯物を干し、撮り溜めておいたTV番組を観ていると、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。Amazonの宅配。私の買い物ではないから中身は知らない。でも、それを受け取ったら外出しても良いと言われているので、そそくさと支度。競馬場に到着したのは5レースが終わった直後だった。

今日はメインまでいられないので、割と真面目に馬券を買うのだがサッパリ当たらない。でも慣れているのでどうということもない。しかし昨日も書いた通り、9Rで16倍の複勝が300円当たったので負けはチャラに。コーフィールドカップの実況を見て府中競馬正門前駅へと向かう。

各駅停車に乗って大手町を目指す。急ぐ旅でもない。特急を利用すれば10Rを観てからでも間に合ったはずだが、座りたいがゆえの各駅停車。なにせ車内ではひたすら眠る。ならば時間が掛かる方がむしろ都合が良い。

16時に大手町到着。産経新聞社地下1階の『舎鈴』で食べる遅い昼メシはつけ麺。あまり食べないメニューだが、土曜のこの時間だとココしか空いてない。東京駅まで歩けばうどん屋さんもあろうが、歩けばそれだけ疲れる。夜の仕事前に疲れたくない。こちらの大盛は茹で前で400グラム。茹で後だと700グラムに近い麺量がある。これを食べておけばひと晩はじゅうぶんに持つ。

Sharin 

そこからは競馬とは無関係の仕事がずっと続く。ただし、ずっと座り仕事ではある。終わったのは翌日3時。送りのクルマに乗せられて眠っているうちに自宅に到着したのは3時半くらいか。むろん家人は眠っている。音を立てぬようササッと風呂に入って、布団にもぐるが意外と眠れない。電車やクルマでは眠れるんですけどね。まあ、ついさっきまで仕事場にいたのだから、頭が切り替わってないのかもしれない。

ようやくウトウトし始めたタイミングを逃さず眠る。それがおそらく4時頃。だが、次に目が覚めたのは今朝の8時だった。なんだ、昨日と変わらんじゃないか。

またも家人は出かけているらしい。一人で朝食をとっていると、犬が散歩を待っている。仕方なく散歩に出かけて、戻ってきたら録画番組のチェックの続き。身体はひどく疲れているのだが眠くはない。それにしてもなんでこんなに疲れているのだろうか? 昨日、競馬場へ行く電車では座れた。競馬場でも最近はほとんど座って過ごしている。食事も取らない。パドックへの往還なんてもってのほか。少しでも体力を温存したい。

競馬場からの電車もずっと眠っていた。もちろんつけ麺にしても立ち食いというわけではない。仕事は仕事で辛いけど、それでも机と椅子があるのは恵まれていると思うようにしている。しかも帰宅はハイヤー。それなのに、この身体の疲れようはいったいどういうわけか。肝臓病を疑うレベルに近い。

そんなことを考えているうち睡魔が襲ってきた。夜にはまだ早いが、このアーモンドアイ級の睡魔にはとても抗えぬ。布団に辿り着いた途端に“落ち”た。あとは勝手に目が覚めるまで待つしかない。実際に意識を取り戻したのは夕方になってから。窓の外はもう薄暗い。時計を見ると17時を回っているではないか。しまった。菊花賞を見逃した……。

最近こういうパターンが多い。夜更かしのツケが翌日の午前中ではなく夕方にやってくるのである。筋肉痛も翌日ではなく翌々日に襲ってくるし、なんなら二日酔いも翌日の夜の方がひどかったりする。「あれ? あんなに飲んだのに、今朝はやけにスッキリしてるな」なんて油断していると、夜になってオェーっ!となりかねない。

原因はなんとなく想像がつく。単に身体の反応が遅くなっただけ。つまりそれだけトシを取った証拠であろう。なにせ50になったばかりである。去年まで、すなわち40代の私なら、今朝8時に起きた時点で「さあ今日も競馬だ」とか言って、嬉々としながら府中に行ったに違いない。30代なら京都に行った可能性だってある。

しかし50歳でそれができなくなった。競馬場に行かなかったことはまだ許せたとしても、TV中継を観ないというのは、もう競馬ファンとしてダメになった気さえする。でも、眠かったのだから仕方ない。昔は仕事で二晩くらい眠らないことなどザラだった。今はそれができない。50歳になったからには、これを受け入れつつ競馬と付き合ってゆくしかないのであろう。

さて、これからJRAのサイトより菊花賞のレースVTRをチェックすることとする。果たして勝ったのはどの馬だろうか。

 

***** 2018/10/21 *****

 

 

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2018年10月20日 (土)

値段で走るわけじゃない

かつてのアイビーSは1400mのオープン特別。グラスワンダーがデビュー2連勝を飾ったことでも知られる。その後、2003年を最後にいったん休止。1800mのオープン特別として復活したのは4年前だ。

一昨年のソウルスターリング&ペルシアンナイトの決着は語り草。だが、実際1800mになってから4年間で、実に3勝をビッグレッド(=マイネル)の馬が制している事実は見逃せない。その人気は古い方から順に⑦、④、⑥。今年のメンバーの中にもコスモカレンドゥラがいるではないか。しかも7番人気。なら馬券はこれで良かろう。

Baken 

人気はトーセンカンビーナ。新馬ではなく、コスモカレンドゥラと同じく未勝利を勝ち上がってきたにもかかわらず、単勝1.7倍とはなかなかエグい。鞍上ミルコとセレクトセール2億3千万の評価額の合わせ技一本。そんなところか。ならば、コスモカレンドゥラにもチャンスがあって良い。

しかし勝ったのはクロノジェネシスだった。メンバー中、唯一の牝馬でバゴの産駒。ノーザンファームの生産でサンデーレーシングの服色だから私は牧場時代に彼女を見ているし、そのときの印象も覚えている。なにせノーザンにバゴは珍しい。しかも募集価格は1400万円(一口35万円)とサンデーにしては格安。自分が打てる球だからじっくり見たのは当然だ。だが、買わなかった。馬を見過ぎてしまったのかもしれない。いま、すごく反省している。

1400万円の馬が2億3千万の馬を負かすのだから競馬は面白い。しかも、今回は安い方がノーザンファーム生産馬というところにも妙味がある。先日訪れた牧場でも、同じような話で盛り上がった。毎日王冠で6着に敗れたサトノアーサーは、セレクトセールで1億9500万円だった。それを負かしたのはやはり1400万円のアエロリット。サトノアーサーは、まだ自分の落札価格分を稼いでいないが、アエロリットはもう既に3億4千万円を稼ぎ出している。

しかし、である。だからと言って、1歳7月のアエロリットを見て、それを買おうと思えたか―――。

それが牧場で盛り上がったという話のキモの部分。おそらくアエロリットやクロノジェネシスに出資された会員さんの多くは、その価格が大きな要因となって購入を決意されたのだろうと推察する。馬を見ようとする人はそれをしない。しかも見たらとてもじゃないが買えない。その時点で勝負アリ。これも―――と言うよりこれこそが、ザ・ケイバであるという気さえする。むろんこれは自省の言葉である。

9r 

アイビーSでクロノジェネシスがマークした上がりタイムは32秒5。1ハロン10秒台のラップを2度含まないと32秒台を記録するのは難しい。すなわちGⅠ級の証。一方、ディープインパクト産駒でありながら、得意なはずの瞬発力勝負で敗れたトーセンカンビーナは、5着では言い訳が難しい。しかし実馬を見れば、なるほど惚れ惚れする馬体の持ち主である。2億3千万の評価は分からないでもない。

社台のスタッフには「ダメなところを見ちゃダメ。自分なりの良いところを見つけなきゃ」と言われる。それは分かる。分かっているんだけど、実際に見ると、嫌なところばかりに眼が行っちゃうんだよなぁ。もはや自身の性格に問題があるように思えてくる。

ところで、アイビーSはコスモカレンドゥラが2着に粘って16.8倍の複勝が見事的中。やはりこのレースはビッグレッドさんに縁がある。これを機に岡田繁幸さんの相馬眼に乗ってみるのも手か。しかし、それにも増して今日は珍しく戸崎圭太騎手の調子が良かった。その戸崎騎手が明日の菊花賞で手綱を取る3番人気・エポカドーロの募集価格は4500万円。2番人気エタリオウはセレクトセールで8700万円。そして1番人気のブラストワンピースは2000万円で募集されている。高ければ走るというわけではないことは散々書き連ねた通り。果たして結果は……?

 

***** 2018/10/20 *****

 

 

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2018年10月19日 (金)

未知との遭遇

第1回ジャパンカップは1981年11月22日に行われた。だが、我が国で初めて外国調教馬が走ったのは、実はこのレースではない。

このJCの2週間前、11月8日に行われた東京9Rの4歳上オープン(芝1800m)。のちに「富士ステークス」と呼ばれる国際招待レースに出走してきたインドのオウンオピニオンこそ、本邦初の外国調教馬である。首にコインのネックレス、頭に赤い飾り花、鼻先の流星の先を丸い紅で飾ったオウンオピニオンがパドックに姿を現すと、初めて外国の競走馬を見るファンはどっと沸いた。

調教ではゾウと併せるらしい―――。

そんな笑い話みたいな噂が流れたのは、やはりそれだけ外国の競馬が日本のファンにとって未知の存在であったことの証であろう。オウンオピニオンは5番人気に推されたものの、勝ったタクラマカンから14馬身離されたしんがりに敗れた。ちなみに前述の噂の出所はI崎某氏とも言われている。

このオープンレースには翌年から「富士ステークス」と 名付けられ、JCを目指す外国馬のためのステップレースとして実施されたが、実際に出走してくる外国馬が少ないこともあり、1996年を以てその役割を終えた。晩年は毎年のように少頭数のレースが繰り返されたから、1400mへの距離短縮(のちに1600m)は正解だったのであろう。シンコウラブリイ(赤帽)が勝った1992年などは、寂しさも極まる6頭立てだった。

Lovely 

ところで、前述した富士ステークスの実質的な第1回優勝馬のタクラマカンは、ミルリーフの従兄弟という良血輸入馬。いわゆるマル外ゆえクラシックに出走は叶わなかったが、3歳2月のバイオレット賞ではカツトップエースを4馬身差で下しており、この馬がクラシックに出ていればカツトップエースの春2冠はどうなっていたか分からない。

そんなことを思いながら、明日の富士S出走馬の血統表を眺めていたら、エアスピネル、クルーガー、ハッピーグリンの5代血統表にミルリーフの名前を見つけた。今年の富士Sは、この3頭の馬券を買ってみようか。

 

***** 2018/10/19 *****

 

 

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