2018年5月20日 (日)

500分の1の矜持

「こんにちは! お久しぶりです」

Paddock 

オークスデーの東京競馬場で20年来の競馬仲間に声を掛けられた。彼とは社台・サンデーの会員仲間でもある。むろん出資馬の成績は私より常に上。だがそんな彼も、ここ数年は競馬場やツアーでお会いする機会もなかった。

「オークスは何を買われるのですか?」

ひと通りの挨拶が終わったあと聞いてみた。オークスで桜花賞組が強いのは周知の事実。だが給料日前にアーモンドアイを買う余裕などあるわけない。私はラッキーライラックとリリーノーブルの2頭で腹は決まっている。

「アーモンドアイです」

さらに彼はこう続けた。

「実は一口出資してまして……」

ええっ!?

それはおめでとうございます。いや、「おめでとう」というのは桜花賞のぶんで、オークスのぶんじゃないですよ。いやでも、勝ったも同然でしょ。それにしても凄い馬を持たれましたねぇ。

「いやいや、シルクですから」

謙遜であろう。事実、彼はキャロットの会員として2009年のダービーで2頭出しの快挙を経験している。相馬眼の良さは折紙付きだ。それにしても桜花賞を勝って圧倒的1番人気でオークスを迎えるというのは、いったいどんな気分がするものなのだろうか。

彼と別れてオークスを見た。

最内枠から好スタートを決めたリリーノーブルは、流れに乗って最短距離を進んでいく。さすが川田騎手。いっさいロスがない。そのまま4コーナーを回ると、力強い脚色で一気に先頭に躍り出た。

それを見る位置で競馬を進めたラッキーライラックも、ピタリと折り合って手ごたえ十分。直線で先頭に立ったリリーノーブルの直後に付けて、追い出しを待つ余裕がある。この手応えなら、後ろの馬に差されることはあるまい。

「取った……」

そう思ったのもつかの間、外から矢のように青い勝負服が飛んできて、サンデーの2頭をアッサリ抜き去ると、一気にこれを突き放した。

Eye2 

もしアーモンドアイがオークスを勝つことがあれば、それはすなわち歴史的名牝の誕生だと思っていたが、その勝ちっぷりは私の想像を遥かに超えていた。2分23秒8はジェンティルドンナのレコードにコンマ2秒足りないが、上がり33秒2はジェンティルドンナより1秒早い。ほぼ完璧なレースをしたリリーノーブルとラッキーライラックをまるで相手にしなかった。2400mに距離が伸びて強さを増されては、相手は為す術がない。桜花賞のときと同様、ルメール騎手は「牝馬3冠」に言及したが、もはやそこに留まる存在でもなかろう。

Eye3 

「続けていて良かった」

レース後、件の知人からそんな言葉が届いた。

それを聞いて私が勝手に思ったことを書く。社台・サンデーだけでは続けられなかったかもしれない。なぜか。欲しい馬が手に入らない、いわゆる「抽選漏れ」は、社台・サンデーの会員の増加に伴い顕著化の一途にある。もはやクラブ存続を揺るがす問題と言ってもよかろう。本来「これは走りそうだ!」と思う一頭を選ぶことからクラブライフは始まるはず。それが社台・サンデーでは「これは人気にならなそうだ!」と思う一頭を選ぶことが優先されるようになって久しい。果たしてこれが楽しいか。

サンデーの2頭を並ぶ間もなく抜き去ったのは500口募集のシルクだった。だが、会員の喜びが40口に劣るとは思えない。なにより自分で選んだ矜持があろう。リーディングオーナー争いでトップを走るサンデーと2位シルクとの差はオークス終了時点で2億円余り。ダービー(ブラストワンピース)と目黒記念(ゼーヴィント)で逆転できる差に縮まった。シルクの存在価値がクローズアップされるクラシックになりつつある。

 

***** 2018/05/20 *****

 

 

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2018年5月19日 (土)

片方の眼が見るもの

カメラの話を続ける。

子供が産まれたのを機にデジタル一眼レフカメラを買った知人から質問メールが届いた。なんでも、いざ写真を撮ろうと右眼でファインダーを覗いたら、奥さんから「なんで片眼つぶるの?」と指摘されたらしい。つまり「眼つぶっちゃいかんのか?」という質問である。

最近では、写真を撮るというシーンにおいて「ファインダーを覗く」というアクションは消えつつある。コンデジであれ、スマホであれ、モニタ画面を見ながらアングルを決めるのが一般的な時代。ファインダーの覗き方を忘れたお父さん方も多くいらっしゃるかもしれない。

片眼でファインダーを覗きながらもう片方の眼でファインダー外の出来事に注視することは、プロならば基本的な技術に入る。ただし、その技術を特に求められるのは、予測不能な動きをする被写体の場合ではないか。例を挙げれば、サッカーの試合や野生動物など。ファインダーの内外で起きる様々な出来事に即時対応しなければならない場合である。

逆に、被写体を常にファインダー内に捉えていられるような場合は、片眼を閉じて覗いた方がファインダー内の被写体に集中できるという利点がある。だから、件のメールに対する答えは「小さな子供を撮るなら片眼は閉じていても構わないのでは」というものになる。

ただこれらはあくまで一般論であり、最終的には撮る人の馴れを優先した方がベターだと思う。作法に気を取られるあまり、シャッターチャンスを逃してしまったりしたら元も子もない。

Heartscry1 

私は、以前は両眼を開けてレースを撮っていたが、そのうちにファインダーを覗いてない片眼はつぶるように変えてしまった。右眼に緑内障を患って以来、左眼でファインダーを覗くようになったことも影響しているが、どれだけ凄い脚を使って飛んで来る馬がいても、それはある程度予測の範囲内だと悟ったからである。

逆に牧場で子馬を撮るような場合は両眼は開けっ放し。だが、これはシャッターチャンスを逃さぬためというより、多分に事故防止への気持ちが強い。子馬たちは、我々人間の想像の埒外で激しく動き回るもの。ヒヤッとすることは日常茶飯事である。

そういう意味では、競馬場においても両眼を開けて常に周囲に気を配りながら撮らなきゃならないシチュエーションはゴール撮影以外の場所にある。撮り逃しよりも恐いのは事故・トラブルの類。昨日付で書いた「かえし馬専門カメラマン」は、なぜか普段からカメラを3台もぶら下げているのだが、人が同時に覗けるファインダーはひとつしかない。残る片方の眼は―――つぶっていようがいまいが―――「配慮」という名のファインダーを常に覗いていなければならんのだ。

Heartscry2 

 

***** 2018/05/19 *****

 

 

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2018年5月18日 (金)

一撃必殺

「ずいぶんたくさん撮りますね」

ヴィクトリアマイル出走各馬の馬場入りを撮っていたら、アエロリットの会員さんにそう言われた。だが、そう言う会員さんにしてもパドックではスマホの連写でバシャバシャと愛馬を写真に収めていたはず。スマホの連写スピードは私のカメラより高速。ことパドックに限れば私よりも多くの枚数を撮っていられたに違いない。

Aero 

大型望遠レンズを装着したカメラをぶら下げていると、高速連写で大量の写真を撮ると思われるかもしれないが、私は少ない方ではないか。私が知るカメラマンには、ひとつのレースのかえし馬だけで数百枚を撮るツワモノもいる。ひそかに「かえし馬専門カメラマン」と呼んでいたが、むろんこの業界にそんな仕事はない。

大量撮影を可能としたのは、カメラのデジタル化と高速連写技術の進歩によるところが大きい。それ以前は、連写はともかくフィルムの長さという物理的制限が存在した。フィルム交換というロスタイムを極力避けるために、残り枚数を気にしながら撮るのもテクニックのひとつとされていたのである。

私は最後の最後になってデジタルに乗り換えたクチなので、今もケチケチとシャッターを押す癖が抜けない。「無駄ダマは打つな!」。先達の教えが身体に染み付いているのである。

ひとりフィルムカメラで撮っていた当時は、前後左右のカメラマンが機銃掃射のごとくシャッターを切りまくる中、一撃必殺の思いでカメラを構えていた。ゴールに向かって来る馬群。周囲のカメラマンは一斉射撃を始めるが、まだ私はじっと息を殺して動かない。「まだまだ。もっと引き付けてから」。そう心に言い聞かせて、ここだという一点で右手人差し指を押し込む。さながら、トンプソンマシンガンを手にしたアメリカ軍に、38式歩兵銃で立ち向かう心境である。

Deep 

でも、そこには辛いとか惨めとか、そういう思いはいっさいなかった。私のような立場だと、必要とされるカットは1枚から多くで2枚。勝つ馬さえ間違えなければよいのである。百も二百も撮る必要はまったくない。

フィルムを使っていた頃は、ファインダー越しに実にいろいろなものが見えた。騎手や馬の表情はもちろん、騎手が鞭を握り損ねたり、馬が手前を変えたりするのも、スローVTRのようにはっきりと見て取れたものである。ゴール前の瞬間だけ、時間がゆっくりと流れているのではないかと思ったほど。だから、あの当時の競馬は―――ファインダー越しであるにも関わらず―――鮮明な映像として今も脳裏に焼き付く。

Demuro 

だが、最近はそういうものが、めっきり見えなくなってしまった。勝つと思える馬を目で追いながらシャッターを押し続けるだけの単純作業ではそれも仕方ないか。一撃必殺の刹那がもたらしてくれたあの特別な感覚も、今では遠い過去の記憶になりつつある。

 

***** 2018/05/18 *****

 

 

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